牽制と確信
「間違いありません」
横長の机に乗せられた黒いリュックサックを見つめながら、由弦は答えた。鷲見は「ご協力ありがとうございます」静かな声色で返した。
「中身も、すべて白河六花さんのものでしょうか。それか、不足しているものはありますか」
「わからないです、把握してません。リュックサックは私が貸したものですし洋服に見覚えはありますが……他のものについてはあの子が持っていそうだと思いますけど、断言できません。すみません」
「いえ、十分です。ありがとうございます」
「これらは証拠品の扱いですよね? いつか返していただけるんですか?」
「そのつもりです。ただ、事件解決後になりますから」
「正確な時期はわからないんですね」
「ええ、はい」
「今年中は難しいですか?」
「捜査次第です」
「そうですよね」
髙橋は、鷲見と由弦の会話を数歩下がったところから観察し続けていた。妹の遺体と対面したとき含めて、あくまでも取り乱さない由弦だ。本質を見えないよう抑えているようでもあった。
「問題なければ、少々話聞かせてもらえますかね」
ひと段落して髙橋が由弦に問う。眼鏡のレンズが反射して瞳は見えなかったが、青年は緩やかな笑みを口元に浮かべてひとつうなづいた。
それを合図に、事件まもなく集った会議室へ移動することになった。髙橋は鷲見と由弦の背を眺め、後ろ手にジップロックに収められた一式を掴んで部屋を出た。
遺族担当含め、あの日と同じ椅子に腰を下ろした。
「取調室に案内されると思いましたが、違うんですね」
「そちらのほうが話しやすいかな」
鷲見は髙橋に鋭く肘打ちしてから「確認したいことがいくつかあるだけですから」なるべく穏やかな声色で告げた。由弦側に座る遺族担当は、遺族を労われば良いのか髙橋を睨めばいいのか、状況についていけず困惑している様子だった。
「長い時間お待たせしてすみませんでした」
「いえ。私が早かっただけです」
「ちなみに、熱海には何時くらいに到着されたんですか?」
「昼下がりです」
「何か目的がおありでした?」
「いえ。なんとなく思いつきです」
「それだけかい?」
「……隠しても時間の無駄ですね」
由弦は、顔を上げて目の前の刑事らをまっすぐ見つめると
「知りたいだけです、真相を」
明言した。会議室内に沈黙が流れた。やがて鷲見は「そのためにホテル内や市内を歩き回っていたのか?」重々しく質問を返した。
「星は私たちの気を惹きますが、私たちを束縛することはありません。事実として、そこにあるだけです……繋げたり想像を働かせたりするのは私の勝手です。誰も、与り知らぬところでしょう」
「妹さんの友達を疑っているように見えるけれど?」
「仮に六花のことを何も知らない人物による犯行だとして、あまりにも解決が遅いですから。偶然、目の前の人間を襲うなら計画性など無いでしょう。遺された痕跡からまもなく犯人は逮捕される。日本の警察は優秀だと聞いたことがありますから。それが適わないなら、身近な人物による実行だと考えるのが自然です。あの子の着衣などから何か採取できたとしても直前まで行動を共にしていたなら証拠としては不十分だと扱われる。難航しているのはそのあたりも関係しているのだろうと思いますが……?」
「痛いところをついてくるね」
「当たらずも遠からずだと考えていますが、いかがでしょうか」
「あいにく捜査中だから」
「そうですよね」
「ただ、君はすでにあの子たちから話を聞いたんだよね? それならわかるはずだ。二日目の夜、被害者がひとりで部屋を出た二十時四十分前後、ひとりは疲れて寝ていてもうひとりは入れ替わりでシャワーを使い始めた直後だった。二十一時半くらいになるまで、このふたりはずっと室内にいたし、男子たちも自分たちの部屋にいた。知らない土地で三十分以上遅れてどこへ向かったかも知らない妹さんを追いかけるのは困難だろうし、以降は必ず二人以上で行動を共にしている……彼らに犯行は不可能だったんだ」
納得させようと言い聞かせるような若い刑事の主張を聞いて、由弦は言葉を失い、呆然と虚空を見つめている。髙橋は「加えて」落ち着いた声色で続ける。
「幸い回収された所持品の中でも、この袋の中に入っていたハンカチとノートだけは浸水を免れていた。ハンカチから採取された指紋は被害者ものだけだったが、ノートは二人分……被害者と、もうひとりの指紋が残されていた。虚構ではなかった、とまでは言わない。が、兄である君の知らない交友関係は学校内だけには収まっていなかった可能性がある」
髙橋は手袋を装着したままジップロックからノートを取りだし、適当なページを開いた。青インク一色で三色団子を描き分けて紅葉や銀杏の葉を周囲に散らしているイラストだ。端には「ゲンのお気にいり、すっごく褒めてくれた!」はねやはらいが丁寧な文字によって綴られている。
「ゲンと名乗る男を知っているか?」
信じがたい事実に遭遇したかのように、由弦は目を見開いて硬直していた。
「心当たりはないか?」改めて鷲見が労わるように尋ねる。由弦は机に両肘をつき、何も言えないまま組んだ両手に額を押しつける。
「このページ以外にもゲンは登場する。定期的に会っていたんだ。探せば必ず見つかる」
「……そうですね」
「難航しているのは事実だ。それでも、必ず犯人を捕まえる――信じてほしい」
鷲見は真摯に告げた。由弦がゆっくり顔を上げると、三対の視線が彼に集中した。
憂色を帯びた、危うい儚さ……柔和を感じさせつつも、そこにあるまっすぐな芯。兄妹ともにどこか人好きのする雰囲気がある。兄が鷹のように鋭く大切に研いだ爪を隠しているように見える一方、妹も一筋縄ではいかないような美しき花の棘を思い出させる。知れば知るほど、認識が固まっては解けてしまう……静かに席を立つと
「すみません、もう良いですか」
「……ええ。ご協力ありがとうございます」
由弦は警察署を出ると、早足で熱海駅へ向かった。途中の信号で足止めを食らうと、ポケットからスマートフォンを取りだしてまもなく耳に押し当てた。
十分なキョリを取ってその背を見つめる髙橋もまた、ある番号に電話を掛けた。




