ループし続ける悪役令嬢が、愛を見つけ幸せをつかむまで
「ヴィオレッタ、お前には私の婚約者の座を降りてもらうぞ!」
第一王子の放ったセリフに、舞踏会の会場はしんと静まり返った。
王子に睨まれた私は、全身の毛が逆立ったような衝撃を受けながら、そんな様子はおくびにも出さず「はい?」としなを作る。
「殿下、冗談は時と場所を選んでくださいませ。今日は私たちの婚約を祝うパーティーではありませんか。それなのに……」
「冗談なものか。お前の悪行を私が知らないとでも思ったか? 嫌がらせ、暴行、脅迫、その他もろもろ……。いちいち挙げていったら朝になってしまう」
周囲の令嬢たちが、広げた扇の陰でニタニタ笑っているのが目に入った。
……そういうことね。
彼女たちはかつて、私と第一王子の婚約者の座を巡って争ったライバルだ。その競争に負けたのが不満で、王子に私の悪評を吹き込んだんだろう。
舌打ちしたいのを我慢して「殿下、私は……」と反論を試みようとした。
けれど第一王子は、「黙れ」と聞く耳を持たない。
「魔術師部隊、前に出ろ」
柱の陰から、黒いローブの集団が現われる。まさかの展開に、ぎょっとせずにはいられない。
「で、殿……」
「彼らは新しい術の実験台を探しているらしい。ちょうどいいと思わないか、ヴィオレッタ?」
魔術師たちが杖を構える。その先から光線がほとばしり、それをもろに受けた私の意識は彼方へと弾き飛ばされた。
*****
「ヴィオレッタ、お前には……」
「『私の婚約者の座を降りてもらうぞ!』でしょう!?」
会場に響く大声に負けないくらいの声量で、私は第一王子に怒鳴り返した。
「私が悪行を重ねたのが原因ですよね! はいはい、すみませんでした!」
「な、何だ、その態度は!」
開き直る私に、王子は唇の端をピクピクさせる。
「もう許しておけん! 魔術師部隊……」
「そうはいかないわよ!」
私は舌を出して踵を返した。
飛んでくる何本もの光線を避け、窓から外に出る。廊下を行くのは危険だと分かっていた。前回は行き止まりに追い込まれて、そこで捕まってしまったんだもの。
今度こそ逃げ延びてみせる。そのための作戦を私は何度も頭の中で反芻した。
迷路のような園路を駆け抜けて、こっそりと建物の中へ戻る。そこは、ほとんど人が寄りつかないわびしい区画だった。
階段を一段飛ばしで上がり、ある部屋のドアを叩き割りそうなくらい強くノックする。
「ルネ! いるんでしょう!? 開けてちょうだい!」
背後を気にしながら必死に呼びかけると、扉がギィと音を立てて開いた。隙間から顔を覗かせたのは、さっきの魔術師たちと同じような黒ローブ姿のアンニュイな雰囲気の青年だった。
「どうした、ヴィオレッタ」
ルネは金の瞳を細める。
「ひどい顔色だ。殺し屋にでも追われているのか?」
「もっと悪いわよ!」
私はするんと部屋に入る。ようやく人心地が着いて、近くのソファーに腰を落ち着けた。その肘掛けにルネが座る。
「今日は舞踏会じゃなかったか? ……君と兄上の婚約記念の」
「あんなもの、とっくに中止になってるわよ!」
私は歯を剥き出す。
「もう十回も婚約解消されたわ! こんな屈辱、一度味わえば充分だっていうのに……!」
「十回?」
ルネは怪訝そうな顔になる。……そうか。順を追って説明しないと何も分からないわよね。
「私、何度も時間を巻き戻ってるの。あの黒ローブの……宮廷魔術師の呪いよ」
初めは何が起きているのか把握できなかった。彼らの魔法を浴びて意識を失ったと思ったら、もう一度王子から「私の婚約者の座を降りてもらうぞ!」というセリフを聞かされたんだから。
そしてまた、私は何も分からないままに魔法を食らってしまった。
けれど、二回三回と同じことを経験していく内に何となく事情も分かってくる。どうやら私は呪われて同じ瞬間を繰り返しているらしい。
何とか状況を呑み込めたからには、あんな魔法を受け続けてやる義理はない。そこで何度も逃亡を試みた末、こうしてようやく安全な場所まで来られたというわけだ。
「宮廷魔術師を連れてくるなんて、兄上は相当ヴィオレッタに腹を立ててるみたいだな。嫌がらせだの暴行だの、いちゃもんまでつけて……」
「あら、それは本当よ」
ルネは憤慨しているようだったけど、私はあっさりと言ってのけた。
「私、殿下の婚約者になるために悪いことをたくさんしたもの。でも『暴行』は大げさかしら。ちょっと扇子の先でつついただけだから。だけど、そんなことをしてたのは私だけじゃないのよ?」
――国王陛下が第一王子の婚約相手を探しているらしい。
半年前、そんな噂が王宮に立ち始めた瞬間から令嬢たちの戦いは始まった。皆第一王子の婚約者に選ばれようと必死になったんだ。もっとも、私は興味がなかったから知らん顔していたけど。
でも、「この競争に加われないのは負け組だ」という風潮が流れ出してからは態度を一変させた。この私が負け組? 冗談じゃない!
「足の引っ張り合いなんて日常茶飯事だったわ。その中でも私は特別に悪事が上手かったの。だから最後まで生き残れたのよ。そして殿下と婚約できた」
「でも解消された」
「元ライバルたちの差し金でね! あいつら、今に見てなさいよ! 私に何度も恥をかかせた殿下もろとも、いつかひどい目に遭わせてやるわ!」
第一王子への愛情など、もはやこれっぽっちも残っていない。というか、元々そんなものはなかった。私はただプライドの問題で彼の婚約者になりたかっただけなんだから。
「でも、今は行動を起こす時じゃないわよね。もっと大変な問題に曝されてるんだし。……ルネ、お願い。匿ってちょうだい。もうあなたしか頼れないのよ」
ルネは私の幼なじみであり、この国の第二王子だ。身分の低い妾の子だから周囲からは軽く見られがちだけど、私はルネのことを一番大切な親友だと思っていた。
「いつになく弱気だな。明日は空から槍でも降ってくるんじゃないのか?」
「その『明日』が来ればだけどね」
私は口を尖らせる。ルネが懐から杖を出して、ドアに向けて呪文を唱え始めた。結界を張ってくれているんだろう。
「ありがとう。大好きよ、ルネ」
「いつでも君の味方でいるって、昔約束しただろう?」
ルネは不遜に笑う。彼の魔法の腕は一級品だ。皆はルネの才能を理解していないけど、私はその実力をちゃんと分かっていた。
「これで一安心だわ」
私は軽く伸びをした。いつまでもここに籠城しているわけにはいかないけど、今後のことはまた後で考えよう。
「何だか疲れちゃった。ルネ、ベッド貸して」
「その前に少しいいか?」
ルネは杖先を軽く私の体に当てる。そこからわずかな熱が伝わってきて、ムズムズとした感覚が走った。
「何なの?」
「大したことじゃない。気にするな」
ルネは話を打ち切るように杖をしまう。……まあいいか。彼が私に変なことをするわけないし。
私はあくびを噛み殺しながら寝室へ入った。ルネが「僕はソファーで寝るから、何かあったら言ってくれ」と声をかけてくる。私はちょっと驚いてしまった。
「何で? これはあなたのベッドよ。ここを使えばいいじゃない」
「え……。だけど君が……」
「少し狭くなるくらいなら平気よ」
私はベッドに潜り込む。広がるドレスを苦心して押さえながら、ルネのためのスペースを確保した。
「おやすみ、ルネ」
挨拶をして瞼を閉じる。ルネが「人の気も知らないで……」と呟いたのが聞こえた気がしたけど、夢の世界の入り口にいた私にはその意味がよく分からなかった。
*****
「ヴィオレッタ、お前には私の婚約者の座を降りてもらうぞ!」
「何で!?」
目を覚ました私は、眼前に広がる光景にショックを受けた。
多くの参加者で賑わう大広間。お馴染みの婚約記念パーティーの会場じゃない!
「それはな、お前がとんでもない悪女だからだ。嫌がらせに暴行……」
王子の言葉も耳に入らない。私はふらつく足取りで廊下に出た。
「ヴィオレッタ、避けろ!」
怒声が周囲の空気をつんざいて、私は反射的に姿勢を低くした。頭上で飛び交う光線。振り向けば、背後で魔術師たちが伸びていた。
「ルネ!?」
前方から杖を構えて走り寄ってきた幼なじみを見て、私は目を丸くする。どうやら私を助けてくれたのは彼らしい。
「どうしてここに……」
「転移の魔法を使った」
ルネに手を引かれ廊下を走る。空き部屋に入って魔術師たちの残党をどうにか撒くと、私は彼に疑問を投げかけた。
「何で助けに来てくれたの? 私がどんな目に遭ってるかなんて、あなたは知らないはずでしょう?」
今までは、時間が戻っても記憶を保っていられるのは私だけだった。ルネは「嫌な予感がしたから、ヴィオレッタに魔法をかけておいたんだ」と返す。
「部屋を訪ねてきた君に僕は杖を向けただろう? シンクロの魔法。片方が受けている術の影響を、もう一方にも与えるんだ。分かりやすく言えば、僕と君は呪いを共有しているんだよ」
「共有?」
私はあんぐりと口を開けた。
「どうしてそんなことを? お陰で、あなたまで変なことに巻き込まれちゃったじゃない! 早く術を解いて!」
私はルネをなじったけど、彼は素知らぬ顔だ。「味方もいないまま、ヴィオレッタを一人で戦わせるわけにはいかないだろう?」と言った。
「もう、ルネったら!」
私は腰に手を当てた。
でも、本気で怒る気にはなれない。彼は私を守ろうとしてくれているんだ。親友の厚意、ここはありがたく受け取っておくべきだろう。
そう結論付けると、私は不思議に思っていたことを尋ねる。
「私、前回は魔法を浴びてないのよ。それなのに、どうしてまた時間が戻ってしまったの?」
「多分、呪いが強すぎたんだ」
ルネは私を観察するような目付きで見た。
「ヴィオレッタの中に今まで受けてきた呪いの残滓が溜ってるんだよ。それが君の時間を戻したんだと思う」
「じゃあ、その呪いの残り滓がなくなるまで何度もこんなことが起こるっていうわけ!? どうにかできないの!?」
「難しいな。研究途中の術らしいから、解く方法も分からないし……」
ルネの言葉に、私は唇を噛む。
「しかも、新しく術を受けたらまた呪いが蓄積されちゃうじゃない。私、永遠にあいつらから逃げ回らないといけないの?」
「それか、兄上を説得して何とか術の行使を思いとどまってもらうかだな」
「お兄様のお楽しみを取り上げるなんてひどい弟ね」
私は鼻を鳴らした。
「あの人が魔術師をけしかけるのをやめてくれると思う? 無理よ」
「いや、そんなことはない」
ルネは確信があるように言った。
「兄上は単純だから、ちょっとおだてて反省しているふりをすればどうにかなるはずだ。……そんなに不本意そうな顔をするなって。演技だよ、演技。そういうの、得意だろう? 兄上を君の手のひらの上で転がしてやれ」
何とも悪女心をくすぐる言葉だ。私はちょっと乗り気になってしまう。ルネが「君ならできるよ」と請け合ったんだからなおさらだ。
「君がするべきことは二つだ。一つ目は、一度でも多くの遡行を経験して、溜った呪いを早く消化してしまうこと。二つ目はこれ以上呪いを受けないこと。簡単だろう?」
私たちの居場所に勘付いた魔術師たちが部屋になだれ込んできたのは、その直後のことだった。
*****
「ヴィオレッタ、お前には私の婚約者の座を降りてもらうぞ!」
「ああ、そんな!」
ふんぞり返る第一王子に、私は悲痛な声で応じた。
「何故そのようなことを仰るのですか!?」
「お前がとんでもない悪女だからに決まっているだろう」
王子は私の悪行をつらつらと挙げていく。ここからが腕の見せどころだ。
彼の話が終わると、私は「なんということでしょう!」と芝居がかった仕草でその場に崩れ落ちる。
「殿下が私の卑しい面をご存知だったなんて……! やはりあなた様のような聡明な方に隠し事はできませんね……」
「では、自分の罪を認めるんだな?」
「聡明な方」という言葉に気を良くした王子は得意顔だ。私は心の中で悪態を吐きながら「もちろんです」と返す。
「それでも、どうか私の気持ちを分かってくださいな。私が悪事に手を染めたのは、ひとえに殿下を愛するがゆえ。あなた様を他の女性に取られたくなかったのです」
私はくすんくすんとすすり泣くマネをする。
「けれど、それは言い訳にはなりませんわ。私は悪辣な虫けらです。塩をかけられたナメクジ、殻をなくしたカタツムリ、足のないムカデ……。いいえ、それ以下の存在なのです。とても殿下のような高貴で威厳に満ちた才気煥発な方の傍にはいられません。婚約の解消も当然です」
「ふむ。分かったのならよろしい」
第一王子は満足そうに頷いた。納得できない顔になったのは、周りにいた令嬢たちだ。
「殿下、約束が違いますわ!」
「あの悪女を罰して下さるとお約束なさったではありませんか!」
「私たち、彼女にひどい目に遭わされたんですよ!?」
皆はキャンキャンと喚く。でも王子は「まあまあ、ヴィオレッタも反省しているようだし」と取り合わない。
「情け深いお方!」
私はほくそ笑まないように必死だった。
「罪人を許すなど、誰にでもできることではありませんわ。殿下の名は、希代の聖人として後の世まで語り継がれることとなるでしょう。そのような神々しいお方の目に、これ以上ゴミくずが映らないようにしなくては……」
私はいそいそとその場を立ち去る。令嬢たちは色めき立ったが、王子は声色に慈悲深さをにじませながら、「一件落着だな」と言っていた。
「意外と簡単だったわ」
外ではルネが待っていた。彼は「流石ヴィオレッタだ」とニヤついている。
「まさか君が自分のことを、『虫けら』だの『ゴミくず』だの言う日が来るなんてな」
「……忘れてちょうだい。吐き気がしてきたわ」
ルネと連れ立って王宮を歩く。ひとまず、今回は上手くいったと見てよさそうだ。
*****
「ヴィオレッタ、お前には私の婚約者の座を降りてもらうぞ!」
「まあ、どうしてですか!?」
****
「ヴィオレッタ、お前には私の……」
「嫌ぁ!」
***
「ヴィオレッタ!」
「うぎゃー!」
**
婚約解消は何度も続く。回を重ねるごとに私のお世辞と卑屈も板についてきて、王子を手早くその気にさせることができるようになった。
減っていく広間での滞在時間。それと反比例して増えたのは、ルネと過ごす一時だった。
研究室で面白い実験や魔法具を見せてもらったり、難しい魔導書を彼の講義を受けながら読んだり……。
それは、随分とご無沙汰していた楽しい時間だった。
「あっ、魔法の絨毯!」
私は宝物庫の隅っこに転がっていた魔法具を見つけ、歓声を上げる。
「前に破っちゃったところ、もう直ったの?」
「ああ。今から使ってみるか?」
ルネはバルコニーで絨毯を広げる。私たちがその上に座ると、絨毯はふわりと浮かび、二人を星空へと誘った。
「ああ……気持ちいい……」
ルネの一つにまとめた黒髪が優雅に揺れている。夜風を吸い込むように、私は深呼吸した。
ルネがこの絨毯を手に入れたのは、二、三年前のことだったはずだ。その時から、空の散歩は私の大のお気に入りになっていた。
「落ちるなよ、ヴィオレッタ」
「大丈夫よ。そんなに早くあなたとの時間を終わらせる気はないもの」
どうやら私の中に眠る呪いの残滓たちは、宿主が意識を失うとその効力を発揮するらしい。つまり、私が眠ったり気絶したりすると時間が戻るんだ。死んでも同じことが起こるかもしれないけど、それを試してみる予定は今のところない。
「呪いを消すためには、何回も術を発動させないといけないのは分かってるけど……。ルネといるのは楽しいから」
「僕も久しぶりに君と過ごせて嬉しいよ」
ルネが体の向きを変え、私を正面から見つめる。
「この半年くらい、ずっと疎遠だっただろ。ヴィオレッタが他のことに気を取られていて」
第一王子の婚約者の座を賭けた戦いのことを言っているんだろう。私はかぶりを振った。
「仕方ないじゃない。強かなご令嬢たちが相手じゃ、気を抜くわけにはいかなかったのよ。ルネも手伝ってくれればよかったんだわ。殿下に飲ませる惚れ薬を作るとか!」
「絶対に嫌だ」
ルネは拗ねたようにそっぽを向く。そういう魔法は専門外なのかしら?
私はちょっといじけたふりをした。
「ルネは私の味方でいてくれるんじゃなかったの? 見捨てるなんて薄情だわ」
「僕ほどヴィオレッタを想ってる奴もいないと思うけど」
ルネは心外そうに言った。
「覚えてるか? 僕たちの出会い」
「もちろんよ。小さい頃、私が初めて王宮を訪れた日のことだったわ。あなた、中庭にいたわよね」
他の貴族の子どもたちの輪に入らず、一人で庭の隅でうずくまる少年。私は興味を引かれ、彼に「何をしてるの?」と声をかけた。
「そうしたら驚いちゃったわ。だってあなた、魔法で小石を浮遊させていたんですもの」
私の周りでそんなことができる子は誰もいなかった。すっかり興奮してしまった私は、「他にはどんな魔法が使えるの?」「何かやってみせて」と盛んにねだる。
そうしたらルネは、葉っぱを花に変えてくれたり、杖の先から虹を出したりしてくれたんだ。
「あんなの初歩の魔法だろ」
「でも、私は今でもすごいと思ってるわよ」
私が賞賛すると、ルネは素直に「ありがとう」と礼を言った。
「こんな素敵な人と一緒に過ごせたら、とっても楽しいだろうなって思ったの。だから私、あなたに『お友だちになって』って言ったのよ」
「僕はそんな君を変わり者だと思ったけどな。だって、君の傍にはもう大勢の人がいたんだから」
「でも、あの人たちといても面白くなかったわ。私、ちゃんと知ってたんですもの。皆が陰で私のことを『意地悪』とか『根性曲がり』ってバカにしてるのを。でも、ルネは違ったわ。皆が私を罵ってもルネは同調しなかった。それだけじゃなくて、『僕はいつだって君の味方だよ』と言って、その通りに振る舞ってくれた。だから私、ルネのことが大好きになっちゃったのよ」
「……僕もヴィオレッタが好きだよ」
「知ってるわ」
私は軽い気持ちで応じて、景色の見物を再開する。けれどルネは、「そんなわけないだろ」と言った。
その声に少し棘が含まれていた気がしたから、私は彼をまじまじと見てしまう。
「どうしたの? 何を怒ってるの?」
「怒ってない」
「嘘吐かないで」
ルネが急に不機嫌になってしまったので、私は狼狽える。
「私、あなたの気に障るようなこと言っちゃったかしら? それなら謝るわ。本当にごめんなさい」
私は確かに腹黒だけど、ルネにだけはそんな態度で接したことはなかった。それくらい彼が大切だったんだ。
「別に謝るようなことじゃ……ああ! まったく!」
ルネは額に手を当てる。
「どうして分からないんだ、ヴィオレッタ! 僕が君を好きだってことを!」
「分かってるってば! だって、私たちくらい仲のいい友だちもいないじゃない!」
「そういうことじゃなくて……」
ルネはしばし迷ったようだけど、急に真剣な顔つきになる。夜の風にたなびく前髪の下で、金の瞳が煌めいていた。
「ヴィオレッタ……今までずっと言えなかったことがある。僕はヴィオレッタと出会ってから一度だって、君の友だちでいたいと思ったことがないんだ」
「え……?」
「君が兄上の婚約者になってしまった時、僕は心底後悔した。本当のことを伝えておけばよかった、って。あんな思いはもうごめんだ。だから、今回ははっきりと言わせてもらう。僕は君が好きだ。……君に恋してるんだ」
「こ、恋……?」
予想外の展開に思考が停止する。ルネはがっくりとうなだれた。
「思った通り、『今初めて知った』みたいな顔だな」
「だ、だって……!」
やっと頭がまともに働くようになると、今度は動揺が襲ってきた。
「そんなの聞いてないわ! ずっと私が好きだったの!? 恋してたの!? それって、それって……」
「……僕は君に強制するつもりはないよ」
狼狽える私とは対照的に、長年の想いを吐き出してしまったルネは冷静だった。
「僕のことを好きになれなんて言ったりしない。いや、もちろんそうなってくれたら嬉しいけど……。でも、君が僕に恋愛感情を抱けなかったとしても、これまで通り友だちでいて欲しいんだ」
言いたいことだけ言って、ルネはくるりと体を反転させ、背中を向けてしまった。
私は両手で頬を覆う。
ルネのことは大好きだ。彼の隣は落ち着くし、これからも一緒にいたいと感じている。
私はずっとそれを友情だと思っていた。思っていたけど……。
心の中に新しい風が吹き込んできたような気がする。私はいつの間にか未来のことを考えていた。ルネと親友でなくなった未来。ルネと結ばれた未来のことを。
それって悪くないかも。それどころか……とっても素敵じゃない?
私は微笑する。そして、絨毯の上に置かれていたルネの手に、自分の手のひらをそっと重ね合わせた。
*****
「ヴィオレッタ、お前には私の婚約者の座を降りてもらうぞ!」
「承知しました」
いつも通り、王子が突き付けてきた婚約の解消を私は快く引き受ける。
「私は極悪人です。殿下のようなご立派な方にはふさわしくありませんわ。その代わり、もっと私にぴったりな方と婚約したいと考えていますの」
「ぴったりな方?」
王子は思いもかけず話がすんなり進んだことに驚いたようだった。
「誰だ、それは」
「あなた様の弟君のルネ殿下ですわ」
周囲の令嬢たちから失笑が漏れた。
「あら、お似合いじゃない」
「はぐれ者同士の絶妙な取り合わせですこと」
「殿下、ルネ様とヴィオレッタさんのご婚約、ぜひとも陛下に口添えなさってくださいまし」
「そ、そうだな。考えておこう」
王子は令嬢たちの勢いに流されるままに頷く。どうやら、私に呪いをかけることなんかすっかり忘れてしまっているらしい。
「ヴィオレッタ……」
私が会場を後にするやいなや、取り乱した声が聞こえてくる。ルネが全身を震わせながら、壁を支えに何とか立っているのが目に入った。
「今のが私の気持ちよ」
私は胸を張って答えた。
「私もね、ルネのことを親友だと思えなくなっちゃったみたい」
こんな言葉が聞けると思っていなかったんだろうか。ルネは足に力が入らなくなったようにへたり込んでしまった。
私は彼の肩を叩きながら、「いいのよ。今すぐ受け入れられなくても」と慰めるような声を出す。
「幸いにも、時間はたっぷりあるんだから。何回時が戻ったって、同じことを言うつもりよ。私はあなたに恋してる、ってね」
*****
「皆様、本日は私とルネ殿下の婚約記念パーティーにお集まりいただき、誠にありがとうございます」
逆行の呪いが消え去り、私の時間が進み始めてから早数ヶ月。私は実家の庭に設置された高台の上でスピーチをしていた。
「皆様のお陰で、今日という日を迎えることができました。この場をお借りしてお礼申し上げます」
客として招待されていたのは、第一王子や元ライバル令嬢たちだった。皆、涼しい顔で私の演説を聴いている。
私はにこやかな顔で続けた。
「つきましては、ささやかなプレゼントをご用意いたしました。存分にご堪能ください」
使用人たちが前に出て、分厚い冊子を配り始める。
客たちは何の気なしにページをめくり出した。
けれど内容に目を通した途端に、その顔から血の気が失せていく。
「ちょっと、あんたのことが書いてあるわよ! 娼館を友人たちと丸一夜貸し切って、男娼とどんちゃん騒ぎをしたですって!?」
「あなたの方こそ、実家の悪事がすっぱ抜かれてるじゃない! 密輸に加担して莫大な利益を上げていた!?」
「あら、第一殿下のお話もありますわ。賭け事で作った借金を返すため、国王陛下の大切にしている銀食器をこっそり売ってしまったとか……」
会場は上を下への大騒ぎとなる。冊子には暴露された悪行の証拠も多数記載されており、その内容がいい加減なものではないことは明らかだった。
「こんな素晴らしいものは、もっと多くの方と共有すべきだと思いませんか? つい先ほど、これと同じものを宮廷に届けさせたところですの」
私がにんまりすると、ますます皆の顔色が悪くなる。第一王子が「この悪女め!」と怒り狂った声を出した。
「そんなこと、すでにご存知でしょう?」
私は高笑いしながら台から降りる。下にいたルネが「大成功だな」と言った。
「また兄上に呪いをかけてもらうように頼むか? この楽しい時間を何回でも体験できるように」
「それには及ばないわ」
私はニヤリと笑う。
「皆が今後どうなっていくのかを見る方が面白いに決まってるもの」
「……それもそうか」
どうやら私に感化され、ルネもちょっとイタズラ心に目覚めたようだ。第一、あの冊子の作成を手伝ってくれたのはルネなんだし。
本当に、彼はいつだって私の味方をしてくれる。
「大好きよ、ルネ」
今までと同じ、それでも込められている意味は違う言葉を贈る。「僕も好きだよ」という返事を聞く前に、私はルネの腕の中に飛び込んだ。