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命の水の満つる夜に  作者: 中川聖茗
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第六章

 二人はこうして出会った…。その後の二人についてしばらく語らねばなるまい。

 新幹線の出会いと同じ年、1980年4月の第一日曜日、場所は京都円山公園。

 桜は満開であった。時間は夕刻6時である。ー左様、英彦と信恵が約束を交わしたその時刻と場所である。

 ひときわ目立って美しい、枝垂桜の下で、一冊の本を持って、佇む女性がいた。ーそう信恵である。彼女は三度目の正直で京都千都大学医学部に合格したのであった。

 試験本番になると極度に緊張して失敗してしまう悪い癖が、今年に関してはひどく落ち着いて試験に臨めたのである。

 それはやはり、試験の前、あの新幹線で、李という青年と語り合った、また合格再会を誓い合った、その出来事の影響が大きかった、そう信恵は素直に思うのであった。

 彼は合格しただろうか?ーいや、合格していてほしい、そして会いたい、そんな思いで周囲を見回していると、こちらへ向かって一冊の本を脇に抱えて歩いて来る青年の姿を認めた。

「彼だ」ー直感的にそう確信すると、彼女は彼に向かって手を振った。ー山川の教科書を持ったままである。

 すると李も気がついたようだ。同じように手を振ると急いで駆け出した。ーすぐに彼は枝垂れ桜の下に佇む信恵の元に辿り着いた。

「原田さん!」

「李君!」

 こうして二人は再会を果たした。大学合格の喜びを分かち合ったことは言うまでもない。

 再会の喜びと興奮が冷めやると、李は枝垂桜を見上げた。そして言った。

「美しいですね!ー僕も満開は初めて見るんです。いやー素晴らしい…」

 そう言った後に、彼は続いて、枝垂れ桜について解説を始めた。

「ここまで育てるのは大変らしいんです。いや、と言っても小説の世界の話ですけど…。僕は水上勉の小説が好きで、彼の小説に”桜守”というのがあるんですけど---」

 信恵は、彼が熱心に京都の桜について語るのを、彼の横顔を眺めながら、じっと聞いていた。生まれてから今まで、約20年間、味わったことのない不思議な感覚に自分が囚われているのを感じた彼女は、同じ受験戦争を経験してきた二人なのに、各々の持っている情感の差がとても大きいことに気付くと、自分は人間として、ひどく中途半端な存在で、こんな頭でっかちの人間が、将来果たして医師として立派な活動を出来るのだろうか、とそんな素朴な問いかけを、自らの心に反芻するのであった。

 李は、そんな信恵の心の動きには気付かぬように、夢中に話を続けていた。

「いやー、京都にね、本当に住みたかったんですよ。だから今回は夢が半分かなったって、そんな感じかな。大津もいいところですけどね、でも、やっぱり京都だな…」

 信恵は、自分とは全く違う価値観で受験に臨んでいたこの青年を、別の言い方をすれば、別の人種と言ってもいいこの青年を、もっと知りたいと思った。そこで彼女はこう彼に呼びかけた。

「あのー、少し辺りを歩いて話しませんか?」

 声をかけられて、李はハッとした。

「いやーごめんなさい。一方的に喋ってばかりで。ー僕の悪い癖なんです。相手を思いやらないんだな、すいません。ーそうだな、そしたら、ここから円山公園を抜けて、清水寺の方に行きましょう。三年坂、ってやつですよ。行きましょう」

 そう言いながら彼は先導して、円山公園の出口に向かった。その間もずっと喋りっぱなしである。信恵は「本当に天真爛漫な人だわ」と、彼のことを評価しつつ、そんな彼の話し方に魅せられていく自分に気が付くと、反面戸惑いもした。

 そんな思いでいると、李が急に後ろを振り向いて、彼女に笑顔で語り掛けた。

「そうだ、この歌ならご存じでしょ。ー清水へ祇園をよぎる桜月夜、今宵あう(こよひ逢ふ)人みなうつくしき…。与謝野晶子の短歌ですよ。ー本当、今宵あう人は皆美しい、ーー原田さんもね!」

 李に突然そう言われ、また見つめられ、信恵は思わず顔を赤らめた。

「そんな…」と、言葉をもらしかけた信恵を後に、李はどんどんまた、前を向いて進んでいく。

 信恵はあきれながらも、うれしさもまた覚え、急いで彼の後を追った。


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