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命の水の満つる夜に  作者: 中川聖茗
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第三章

 もう20年も前にさかのぼる。

 京滋大学医学部を卒業した彼は、研修先として、当時大阪で複数の在日コリアン資産家らが出資して作った大阪コリアン同胞病院を選んだ。

 当時は朝鮮籍韓国籍の在日コリアン医師は医師免許を取得することは可能で、病院への就職も容易であったが、民間病院では本名から通称名への変更を迫られたり、公的病院では医長までは昇進出来てもそこから上への昇進のためには、日本国籍の取得を迫られたりするなど、医師といえど、差別や圧迫を受けるという、そんな時代だった。

 また当時はまだまだいわゆる「一世」のコリアンが多く、彼らは日本人医師より在日コリアン医師を信頼する傾向が強く、そんな中で在日コリアンによる病院建設の計画が持ち上がり、在日コリアンの多く住む大阪鶴橋にこの病院は建設されたのであった。

 そして公的病院での昇進を阻まれた在日コリアン医師らを部長として招聘、優遇し、また「同胞(=在日コリアン)医療」なる言葉を使って、そこを拠点に、「同胞の同胞による同胞のための医療」なるスローガンの下、積極的な地域医療活動を行なっていたのだ。

 李英彦はその活動に身を投じたのである。

 信恵との別れはその直前であった。6年間の付き合いであった。当然、別れは辛かったが、それ以上に、青年の持つ使命感、人はこれを「若気の至り」とも呼ぶが、から、彼は彼女との別れを選んだのだ。

 当時、在日コリアン運動にはいろんな組織が絡んでいたがー大きく言えば北朝鮮系、韓国系の二つであるーそのどちらであっても、積極的に運動にかかわる人にとって、日本人との恋愛はタブーであると言えた。日本の国籍を取ると、半チョッパリ(日本人を侮辱する韓国の言葉)と呼ばれ、また、日本人と結婚すれば、一族からの追放(まさに追放である)は必至であった。

 大学1年、純粋な恋愛から始まった二人の仲は、李が大学3年時、在日コリアン学生運動に関わるようになってから、その関係が微妙に変化しだした。

 彼は、信恵との関係について、仲間から「批判(当時流行した言葉、運動への背信行為があると認められると、容赦ない言葉の暴力が浴びせられた)」の集中砲火を浴びた。

 そして苦渋の決断...。

 今から思えばバカの骨頂だった。李は、その信恵が、今ここで自分のために付きっ切りでいることを思い、ただ感謝するしかなかった。

 でも、と彼は今思う。「信恵に愛される資格は俺のような人間にはそもそも無いんだ」と。暗闇の「彼女」の存在を隠していた自分はとても卑怯で、そもそも人間として失格であると。

 彼は目を瞑って、信恵との京都での学生時代、その後の大阪での生き様、挫折と復活、再びの挫折と、過去を回想した。心の痛みを懸命にこらえながら…。



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