第十二章
李が信恵に語った話はざっと以下のようであった。
即ち…。
お見合いから結婚まではあっという間だった。卒業して2年目、まだ早いと言う者もいたが、当事者はもうその気だし、女性の父が、娘に医師の婿を迎えることに前のめりになり、新居まで準備する有様であったから、あっという間に二人を新婚生活に入った。
女性の名は、河聖子と言った。熱心な北朝鮮支持の組織活動家の子としては、当時は当然歩むべき道、即ち、朝鮮学校(北朝鮮の国家体制を公然と支持し、教育内容も、特に歴史は、北朝鮮の革命歴史を教え、当時の金日成国家主席を賛美する、たとえば彼の肖像画が各教室に掲げられるという、徹底した愛国教育を実施していた)を、中学高校大学と卒業し、大阪の朝鮮学校の教員として働いていた。彼女にとっても李は新鮮な存在であった。親は彼の医師としての肩書が欲しかったわけだが、彼女は付き合ってみて、彼の人間性の深さにひどく惹かれたのであった。ー率直なところ、愛国教育を受け、また、在日朝鮮人ばかりの環境の中で育った彼女にとって、周囲の人間は、誰も、愛国ばかりを口にする、どれもコピーされたような、画一的、均一的な人間ばかりであった。ー無論自分もそうであったのだが…。
それが、李と付き合うことで一気に視界が開けたのである。李の両親は在日コリアンとの付き合いをどちらかと言うと避けていたし、しかも育ったのが東京であるから、彼は、ほぼ”日本人”だったのである。話し方、考え方、一つ一つが、彼女にはとても新鮮で、彼女はもうすっかり彼の虜になってしまっていた。
李も同様であった。とても素朴で、ある意味、無垢ともいえる、そんな彼女と過ごす時間はとても楽しく、何物にも代え難い、貴重なものとなっていた。
ところが…。
李の将来に暗雲が立ち込め始めたのは、研修3年目を迎えたころであった。
自由な気風の民族学生運動を経験した来た彼にとって、この大阪同胞の病院は、結局安住の地ではなかった。
具体的には…。
まず、彼の国籍の問題があった。北朝鮮系資産家の娘と結婚したと言っても、いわゆる”純粋培養(これは両親共に朝鮮籍の愛国者で、学校も朝鮮学校を卒業した者を指した当時の在日コリアン社会での呼び名)のコリアンからは、彼はやはり所詮は”さげすむべき”存在であった。挙句の果てには、医師免許で血筋を手に入れた、などと蔭口まで叩かれる有様であった。
次に彼の心の内面の葛藤の問題があった。当時の北朝鮮の指導体制は朝鮮労働党の一党独裁であったが、ほかの社会主義諸国にもれず、独特の支配構造があった。それは、個人崇拝である。
これは学生時代、マルクスエンゲルスの本を読み漁った彼にとって、どうにも理解出来ない事であった。
加えて、当時の北朝鮮独特の事情がさらに彼を悩まさせた。というのも、北朝鮮では後継者問題が持ち上がっており、どうもそれが、金日成の息子の金正日にほぼ決まりだというのである。
これは社会主義国でも前例のないことである。李はひどく困惑した。
李だけではなかった。当時の在日朝鮮人社会は大きく揺さぶられた。科学的社会主義国家を歌う国にとって、指導者の親子世襲は、さすがに素直に受け入れがたい側面を持っていた。
しかし在日の北朝鮮愛国者たちは、これを”愛国者”としての踏み絵に用いるという作戦に出た。ー親子世襲を認めない在日コリアンに容赦ない批判の雨を浴びせたのである。
大阪同胞の杜病院でも事情は全く同じであった、いやむしろより過激に展開していたと言ってもいいかもしれない。ーそれは病院が開設3年を経過するにいたり、北朝鮮愛国者の集う場所と化してしまっていたからである。
李は、自分の思うところを隠す、ごまかす、ということの出来ない人間であった。真っすぐな性格と言えばそれまでだが、融通が効かなさすぎたという側面もあったであろう。妻と義理の父の立ち位置を考えれば、内面の良心は保ちつつ、表面上は、他者と融和して北朝鮮系在日同胞社会に適応することも、今考えれば、それもありだったかとも思う。
しかし、そうはならなかった。彼にはどうしても譲れない一線があったのである。
彼は病院でどんどんと孤立していった。
そしてついに破たんした…。
それは義理の父との対立に始まった。病院内で、公然と北朝鮮指導者の世襲後継について批判を繰り広げ始めた彼に、義理の父からストップがかかったのである。ここまで事態が進展しても、李は心の良心に従った。ついに李は義理の父にも批判を加え始めた。
こういった物事の展開を、彼の妻は胸を痛めながら傍観しているしかなかった。李の真面目な、かつ真っすぐな性格を知りぬき、また彼に全幅の信頼を寄せていたので、いざとなれば、それはそれで彼にどこまでもついていく覚悟でもあった。
ところが…。
義理の父は暴挙に出た。娘を彼から引き離したのである。
離婚届が一方的に送られてきた。
李は、もはやここまでと観念した。ー彼はすべてを捨てて病院を離れた。
そして大阪あいりん地区の、地域医療に携わらないか、と学生時代の友人から誘いを受け、そこへ身を投じたのであった。
彼女との別れは辛かった。
しかも、別れてからしばらくしてから知ったのだが、彼女は妊娠していたと…。
李の落胆は大きかった。
「いつか彼女とも、子供にも会える時が来るだろうか…」
彼は深い心の傷を抱えたまま、第二の医師人生を歩み始めたのであった。




