家の迷宮へようこそ
そこは、家だった。
確かに家としか言いようは無いが、おかしな事は多い。
まずもって、床が平面ではない。斜めに傾き、その先には壁があるが、手の平ほどの小さな扉しか付いていない。まして、天井と思われる場所に正規の扉がついていたりする。
階段は有るが、昇りにも関わらず、その先には何故か床が見えている。下り階段に到っては、行き着く先が、壁。
床に窓が並び、天井に扉が並ぶ。もはや、何を以って「床」「壁」「天井」と呼ぶべきなのか、全く判らない。トリックアートの中に迷い込んだような世界だった。室内は凸凹に張り付きあい、まるで部屋の絵を、グシャグシャに丸めて、もう一度開いたかのような有様。
そんな家の中に、二人の青年が立っていた。
一方は、金の長い髪を結わえた、長身痩躯の青年。豪奢な服を着込み、いかにも「貴族です」といわんばかり、紅の外套を身に付け、腰にはレイピア、肩には弓と矢筒。端正な顔立ちで、理知的な緑の瞳は、もう一人の青年を見つめている。
その視線の先には、正反対な印象の青年が立っていた。黒い長髪で、紺色のローブを身に着けている。中性的な顔で、表情は陰鬱。黒い瞳は目の前の青年ではなく、この家の天井を見つめている。
そして黒い髪の青年が、呟いた。
「……どうして、こんな事になったのだろう……」
嘆息交じりの言葉に、金髪の青年は大きく頷いて、答えた。
「お前がこんな迷宮作ったからに決まってるだろうが!」
その言葉に黒髪の青年――イードは、金髪の青年――ルヴァを見る。
「……そうだろうか?」
「そうだっ!」
ルヴァは改めて怒鳴る。イードはやはり得心がいかないらしく、首を傾げていた。
彼らがそこ……『家の迷宮』に迷い込んだのは、つい先程の事だ。もっとも、ルヴァとイードが知り合ったのも、その少し前でしかないのだが。
ルヴァは元々、冒険者だった。彼はある物を探す旅をしているのだが、それはまた別の機会に語るとする。
とにかく、彼は偶然、ウィードという村に立ち寄った。
ルヴァはディラという、女の魔術師と二人で旅をしていた。
ディラは、露出の高い怪しい服に、ショッキングピンクのベリーショートという、奇抜な容姿の女だ。しかし、魔術師としての実力はそこそこで、特に医療系が得意だった。いわゆる、プリーストとしての才能が有る。
ウィード村で慈善を目的に、ルヴァとディラは臨時医院として活動した。怪我や、軽い病気なら治せるとあって、村人は二人に頼る。正規の医院は治療費が高すぎて、庶民には手が出ないのだ。
村人達は二人に感謝して、礼をしようとするが、ルヴァは笑って断り、
「他に、お困りの事は無いですか」
と尋ねる始末。村人達は彼を信頼して、相談した。
「実は、沼地の辺りに、怪しい人物が住んでいるのです」
怪しい人物は、まだ若い男の魔術師だという。それも、よろしくない事には、暗黒系の。
男は沼地に屋敷を構え、それをどんどん、変な方向にリフォームしているらしい。それはもう悪趣味で、紫色のハートが置かれ、ドピンクの悪魔像が建ったりと、違う意味で危険なのだそうだ。
そこで、村人達はルヴァに、この不審人物の追放を願ったのであった。
ルヴァは二つ返事でOKを出し、さっそく件の屋敷に向かった。
屋敷は確かに、すさまじい事になっていた。これほど悪趣味な建築物は、おそらくこの世界が終わるまで待っても、他には出現しないだろう。
ピンクと紫を基調とした、配色も構造も、ましてオブジェに及ぶ全てが、住居としてはあまりにも脈絡が無い。
逆に、そのヤバさが全体に共通している。いちいちハート型がそこら中に散りばめられ、確かにピンクの悪魔像が有ったが、その悪魔でさえ、着ている服はハート柄だったりする。
おかしい、コイツは本物のヤバイ奴だ。かなりイタイ。
ルヴァとディラは、ある種の覚悟を決めて、屋敷に乗り込んだ。
小さな屋敷の中。書斎と思われる一室。一人の男が、なにやら怪しく実験器具を振り回していた。ルヴァはすぐに突入し、「覚悟しろ、変態」とレイピアを抜く。
「なんだ貴様は」
男……イードは(屋敷にイード・ルデ邸という看板がかかっていたので、そう断定されている)不愉快そうに振り返り、二人を見る。
「私はルヴァ、この世に平和をもたらす、正義の使者だ!」
今時ありえない決め台詞を吐くルヴァに、イードは「ははは」と高らかに笑って言った。
「時代遅れの凡人め。何をしに来たかは知らないが、私の才能を確かめる実験材料にしてやろう」
そしてイードはその右手から魔術式を展開した。円形のそれが彼の手から離れ、部屋中に広がる。
「ルヴァ、危ない!」
ディラが勘付いて叫ぶが、もはや手遅れだった。
イードは封印系魔術を展開したようだ。眩しい光に包まれたルヴァはいつのまにか、見た事も無い奇妙な家の中に居た。
そして、
「ははは、思い知ったか。私の作り出した『家の迷宮』で朽ちるがいい!」
と高らかに笑う、術者本人も、何故かそこに居る。
「……あのさあ」
「なんだ、凡人」
「……なんで、アンタもここに居るわけ?」
「……」
ルヴァが思わず尋ねると、イードはしばらく呆けたような顔をして、そして、
「……あれ?」
と、間抜けな声を出した。
それが、数分前の出来事である。
「大体、どうして罠を作った本人が、その罠にはまってるんだ!」
「まぁ、罠と総称される物は、往々にして作用者を選べないものだ」
「自分にだけは効かないようにしとけよ! そして出口ぐらいは知っておけよ!」
先程、ルヴァはイードを殺そうとした。が、イードがそれを制す。
ここは『家の迷宮』。イードオリジナルの世界型魔術で、正解の扉以外は無限に部屋が続いている。イードが死ねば、迷宮は無に帰すが、同時に内部にある物も消滅する。つまり、ルヴァも死ぬ。
イードが説明すると、ルヴァは舌打ちしてレイピアをしまった。そして、出口を尋ねたが、イードは「さあ、知らぬ」と首を傾げるばかりだった。
かくして、二人は仲良く出口捜しをするハメになってしまったのだ。
「大体、自作の魔術はモルモットとかで実験して、デバックしておけ、二流魔術師め」
「魔力の無い凡人が何を言うか。第一、実験などと……モルモットが可哀想ではないか」
「俺だったら良いってのか、この偽善者!」
「暗黒魔術師に善人など、居てたまるか!」
ルヴァとイードは口論を続けながら、『家の迷宮』を歩き続けた。
階段を昇れば、何故か窓に辿り着く。窓を開くと、その先は次の部屋。扉を開くと、床が天井に変わり、シャンデリアの隣の扉を開くと、暗黒が広がっていた。
「あ、その黒いのは虚無だから、入ると死ぬぞ、凡人」
イードがボソッと忠告する。ルヴァは慌てて扉を閉めて、「さっさと言え、変人!」と叫ぶ。
「どうなっとるんだ全く。意味が判らんぞ」
「常識に捕らわれていては、先に進めないという事だ」
「ほーう、大口叩く前に出口を見つけて欲しいもんだがな」
言い合いながら歩くが、行けども行けども、家はひたすらに家だった。迷宮と言うだけの事はある。
もうどうにでもなれ、と諦めかけていたその時、ルヴァが物音に顔を上げる。何かを引きずるような音が聞こえた。しかも、少しづつ近付いているようだ。
「おい、変人。あの音は何だ」
尋ねると、イードも顔を上げて、そして言った。
「……巡回型の殺人魔術式を組み込んだ覚えがある」
「何?」
「……迷宮の中で、いつまでも標的が生きていたら困るから。手っ取り早くトドメがさせるように、殺人鬼型の魔術を」
「おい……それって……」
「うむ、ヤバイ。見つかったら殺される」
イードはあっさり言って、そしてルヴァを手招きした。
「奴は広い空間が好きだ。狭い部屋を探そう」
そして二人は暖炉から煙突を抜け、そこに有った狭い倉庫に隠れた。
「闇雲に歩き回っても無駄なのだ。それが、迷宮と言う物なのだから」
殺人鬼が入って来ないよう結界を張って、イードは呟く。彼はそのまま壁にもたれ、座り込んでしまった。
良く考ると、イードは魔術師だ。華奢な体型を見ても、今までロクに運動してこなかった事は良く判る。それが、今まで歩き詰めだったのだ。相当の体力を消耗したのだろう。
ルヴァはそれを溜息混じりに見て、自分も座った。迷宮の作成者が出られないようでは、自分がどんなに頑張っても、可能性は無いと感じたようだ。
二人はしばらく黙って居たが、やがてルヴァが尋ねた。
「おい、変人。お前はここで何をやっていたんだ?」
「私には、イードという名があるのだぞ、凡人」
「……俺にも、ルヴァという名がある。イード」
「……」
イードはルヴァを一度見て、「ふん」と目を反らす。
「私は、ここで実験をしていたのだ」
「何のだ? 暗黒大魔王ベルメンゾとかの降臨実験?」
「違う。大体、何だそれは。……凡人には考えも及ばぬだろうが、私は暗黒魔術の、暗黒たる部分を除外しようとしていたのだ」
「……それって、ただの魔術じゃないのか」
「は。暗黒が暗黒たる所以は、光が有るからだ。光もまた暗黒無くして、光たりえない。暗黒魔術には、それが担うべき必然がある。ただ、それが今までは、命の犠牲や、怪しげな儀式を必要としていた。その部分を消せば、暗黒魔術に忌むべき所は無くなるはず……」
長い歴史、暗黒魔術は忌まわしきものとして、敬遠されていた。けれど、無くなれば困る物でもあった。
光だけでは、安らかな眠りを求める死者を導けない。葬儀と同レベルで、暗黒魔術は必要なものだ。
しかし、世界は彼らを迫害しながら、必要とする。存在が無ければ困るというのに、人々は暗黒魔術師達に石を投げ、罵倒を浴びせた。
イードもまた、そうした迫害を受けて育ったのだろう。
「それが完成すれば、……誰にも文句を言われずに済むと、思ったのだ」
なかなか上手くいかなくて、変な物ばかり出来た。もったいないから、屋敷に飾り付けていたのだ。
イードの言葉にルヴァは納得して呟いた。
「それで屋敷が異常に悪趣味だったのか。……それにお前、悪い奴じゃないんだな」
その言葉にイードは驚いて顔を上げる。
「普通に頑張ってるのに、……疑って、変人とか言って、悪かった」
「……そういうお前も……ただの正義バカでは、無いようだな」
イードは苦笑して、そしてルヴァを見た。ルヴァもまた見つめ返す。
「イード……」
「ルヴァ……」
ここは密室である。しかも、狭い。狭い室内に、二人っきりである。まして、出られる希望も無い。
そうした状況で、芽生える物もあるという。幸いな事に、ルヴァもイードも、結構な美形であった。
「……」
「……」
そして彼らは、長い間、見つめ合い、そして、
「……だ、だあああああ!」
ようやくルヴァは我に返り、イードを掴むと、壁に放り投げた。
「ぎゃ!」
イードにとっては災難以外の何者でもない。壁に頭をぶつけて、イードは唸っている。そしてルヴァも違う意味で唸っている。
「よせ、よせ、バカ、俺のバカ、目を覚ませ、ルーヴァイス!」
何か勘違いしかかったらしく、ルヴァは必死で己に言い聞かせている。
そんなルヴァに、イードが声をかけた。
「……ルヴァ」
「よせっ! 今、声をかけるな! あらゆる意味でヤバいんだ!」
「いや、確かに大変だ。見てみろ。壁が……」
「何?」
イードの言葉に、ルヴァが恐る恐る彼を見た。すると、イードが頭をぶつけた壁が、僅かにひび割れ、開いている。その向こうからは、まばゆい光が差していた。
「こんなに明るい光は、外にしかない。ここが出口なんだ。壁じゃなくて、これは扉なのだ」
「な、なんだと! よし、そこを開けてみよう!」
二人は協力して壁を押した。ルヴァは非力なイードを助けながら、壁の形をした扉を開く。
そして眩しい光が、辺り一面を覆いつくした。
「ルヴァ! 大丈夫?」
ディラの声に、ルヴァは目を覚ます。見ると、イードの居た書斎に戻っていた。
「ディラ、俺は……」
「もー、心配したのよー。でも、しばらくしたら勝手に帰って来て、良かったー。大丈夫?」
「あ、ああ……。……イードは?」
「え? ああ、あそこ」
「そうか……って、うわあああ、ディラ! 何やっとんだ!」
ルヴァが起き上がって見ると、イードはそれはもうグルグル巻きに縛り上げられ、猿轡までされて、ウーウー唸っていた。
「だってコイツ、死刑でしょ」
「勝手に殺すな! 悪い奴じゃないんだ、放してやろう」
「えー。ちょっと前まで、殺す気満々だったのに。ルヴァ、変なの」
不服そうなディラに、事の次第を説明する。悪人ではないと伝えた。とりあえず、間違いが起こりかかった事は秘密にしておく。
解放されたイードは体中を痛がりながら、ルヴァに言う。
「もう、私の事は放っておいてくれ……」
しかしディラが首を振って言う。
「無理じゃない? 少なくとも、ウィード村の連中はアンタの事、キモがってるし。あたしらが帰ってもそのうち、また誰かが追い出しに来るよ」
「ううむ……」
イードは頷き、そして俯いた。それを見てルヴァが提案する。
「おい、イード。俺達と一緒に旅をしないか」
その言葉にイードもディラも顔をしかめた。
「はぁ? ルヴァ、カンベンしてよ。こんな根暗そうな男……」
「ディラ、これも覇行の一環だ。……イード、一緒に行こう。一箇所に居るから、皆から嫌われるんだ。転々としよう。そうしながら、例の魔術を完成させればいい」
訳の判らない理屈に、イードは困惑する。
「……しかし、私は暗黒魔術師だ。お前らのような凡人共と、旅など」
「何言ってるんだ。常識に捕らわれてちゃ、先に進めないんだろうが」
ルヴァの言葉に、イードはハッとし、そして苦笑した。
「……そうだな……」
その言葉を肯定と取ったルヴァは、イードに手を貸し、立たせる。
「ほら、そうと決まったら荷造りだ。新たな世界へ旅立つんだぞ、イード。荷物は最小限にしろよ」
「ルヴァ、どーゆーつもりなのよ」
イードが荷造りをしている間、ディラは不服そうにルヴァに尋ねた。
「俺の覇行は、人脈とギブアンドテイクで成す。イードは優秀な魔術師だ、あれだけの迷宮を作れるんだからな。人材としては申し分ない。……色々、問題は有るが」
「はーあ、王子ルーヴァイス様の覇行って、随分遠回りなのね」
ディラが溜息交じりに言うと、ルヴァは「大器晩成す」とだけ答えた。
「待たせたな」
声に二人が振り返ると、小さなトランクを持ったイードが居た。
「よし、イードの門出に、今夜は乾杯するぞ。とりあえず、祝杯だ。次の村まで進んで、大いに飲もう」
「ちょっと、お金無いんだから、控えめにしてよ」
「俺より飲むくせに、何言ってる。さ、イード。上を向いて歩くんだぞ。世の中にはいい事がいっぱいある。苛めてくる連中だけじゃないからな」
「沼地で上向いてたら、こけるわよ」
「……お前達、面白いな」
イードが少しだけ笑って言うと、ルヴァも面白そうに言った。
「常識外れの、面白三人パーティーだ。仲良くやっていけそうだろう?」
「……そうだな」
イードは笑んで、そして屋敷を後にした。
ぬかるんだ道には、三人分の足跡がついていった。
3年ぐらい前に、5ページでお願いと言われて書いた話です。四苦八苦しながら5ページに収めた記憶が有ります。
ルヴァは、グランディールの登場人物の親にあたります。よろしければそちらもどうぞ。