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「何から話そうか」
パチン、と爆ぜる暖炉の木の音が、執務室に響いた。
温かい紅茶の香りを広げてくれたシュヴィアは、「お話ししやすいように」と柔らかく微笑んだ。
アルマティスはそれに、有難う、と笑い返して、両親を思い浮かべた。
今のアルマティスの記憶の中では生きている、不愛想な父と、不機嫌な母を。
「俺の父の話は君も知っているんだろうか」
「はい。フォーディア家は、辺境の守護者でいらっしゃいますから。お父様の剣の腕や、戦でのご活躍も聞き及んでおります。ご立派な方だと」
ああ、とアルマティスは頷いた。
「父は、世間の評判通り、強くてな。戦場で膝をついたことが無い、というのは有名な話だが、俺も父のそんな姿を見た事は無い」
「本当にお強いのですね」
「俺の方が強いがな」
にやりと笑うと、シュヴィアはからからと笑った。
本気なんだが、と思ったが、その笑顔が可愛かったのでアルマティスはまあ良いかと笑った。
「戦場であれほど頼りになる男はいないだろうと思う。……だが、あれほど最低な男もいないだろうな」
「最低」
「ああ。父は、戦場でしか生きられない男なんだ。領地管理に興味はなく、戦が無ければ酒に溺れ、女の家を渡り歩き、まともな姿を家で見ることは無い」
目を大きく見開いたシュヴィアに、「嘘みたいだろう」とアルマティスが笑うと、シュヴィアはこくんと頷いた。
「王に呼ばれた時なんかは、さすがにしゃんとしているからな。この家の周辺、父が出歩くような場所の人間しか知らないだろう。王都まで噂は届かないし、届いたとて、誰も信じない。全てを押し付けられた母がいなければ、どうなっていたやら」
「お母様が、領主のお仕事を?」
「ああ。といっても、かなりリカルドが手伝っていたようだし、随分前から俺が代わっているがな。……母は、そういう夫も、家も、嫌気がさしているんだ。いつも若い男を連れ込んでいて、最近では離れにこもりきりだ」
「離れがありますの?」
「……そうか」
シュヴィアがそう問うということは、今はもう無いのだろう。
父が戦に行っている間に建て、母が父と大層揉めた、あの煌びやかで、泥ついた離れは、もう、無いのだろう。
清々して、荷が降りるようでほっとして、なのに、すうと風が通り抜けるように、なぜかものさみしい。
不思議な気分で、アルマティスは笑った。
「きっと、母が死んだときに俺が取り壊したんだろう。ああ、どうも頭が混乱するな。そうだ、これは4年前の話だな」
「無理なさらないでください。今の貴方にとっては、ほんの最近のお話でしょう?」
シュヴィアは話を合わせてくれていたんだろう、とアルマティスはようやく気が付いた。
アルマティスが「これは過去の話だ」と気付くまで、シュヴィアは一度も過去形で話さなかった。父は強かった、ではなく。強いのね、と。
その気遣いに微笑むと、シュヴィアもやわらかく微笑み返してくれた。
アルマティスは、ほうと心に温かさが戻った気がして、再び口を開いた。
「俺の剣は、父の戦友が師匠となって鍛えてくれたもので、知識はリカルドや教師がつけてくれたものだ。俺は、体裁だけ繕ってその実、とっくに破綻しているこの家が嫌いで、互いを憎み合ってすらいる両親が、ずっと嫌いだった」
逃げ出す力を付けた頃には、すっかりこの家の責任を理解しきっていて、結局、両親のようにアルマティスもこの家で、色んなことを取り繕いながら生きるしかなくなっていた。
「だから、この家に女性を呼べるはずは無いし、王女との結婚だなんて、頷けるわけがなかったんだ」
「王家からの婚姻を断っていたのは、そういうことだったんですね」
「ああ。両親も自覚はあったのか、無理強いをすることはなかったし、そもそも俺自身も結婚に興味は無いからな。いつかは結婚しなくちゃいけないんだろうが、少なくとも両親が家にいる間は逃げ切ろうと、思っていた」
そんな、アルマティスにとって嫌悪の対象でしかなかった両親が死んだ。
アルマティスは、何を考えたんだろうか。
今のアルマティスはただ、この家にあの二人が居ないと聞いてほっとするばかりだが、あの両親が死んでも尚、アルマティスは結婚から逃げていたというから、やった死んだぜラッキー! とはいかない何かがあったんだろう。
つまりは。
「……恐らく、普通に死んでいないんだろうな。王都に行くときすら、別々の馬車を用意していた二人が、同時に事故で死ぬなんて不気味だ」
「リカルドたちがご両親の事を口にしないのも、関係があるのでしょうか」
「俺が両親を嫌っていたことを知っているから、とも考えられるがね。君が言った通り、遺品も絵も無いのは、俺が処分したからだろうから」
なるほど、とシュヴィアは顎を撫でた。考えるときの癖だろうか。と、シュヴィアを眺めていたアルマティスの視線は、ふと、ほっそりとした指の上にある、赤い唇にいく。
母の濃い化粧にはいつも嫌悪感しかなかったのに、シュヴィアの赤い口紅はとても似合っていると思うから不思議だな、とアルマティスは思った。
母の濃い化粧を嫌っていたくせに、シュヴィアにはすすんで化粧品を買わせていたという、記憶を失くす前の自分を、アルマティスは少しだけ見直した。
「二人の死因は、リカルドに聞いてみよう。リカルドなら、全部知っているだろうから」
「……教えてくださるでしょうか。アルマティス様にとって、良い思い出ではなかったでしょうから」
「両親の死はびっくりするくらい、なんとも思っていないから心配しないでくれ」
「まあ、そのお気持ちはなんとなく理解できますけれど」
ふ、とシュヴィアは、肩をすくめて笑った。
笑ってくれるのだな、と思って、アルマティスは、ふいに涙が滲みそうになって驚いた。
アルマティスが両親の愚痴をこぼせば、親を悪く言うなと、貶めるなと、誰もに窘められた。
あんな奴らを? と言えば、眉をひそめられた。
だから、いつしかアルマティスは諦め、ただ粛々と日々を生きていた。
諦観と嫌悪に塗れた日々を、ただ生きていた。ただ、ただ、死なぬように生きていた。
「……シュヴィア」
「はい」
シュヴィアは、情けない顔をしているだろうアルマティスに何も言わず、静かに返事をした。
青い、青い、優しい瞳で。
「がっかりしただろうか。君が想ってくれた男は、こんな情けない家に生まれて、それを捨てきれなくて、親の死を悲しむこともできない男だ」
みっともない。
自分が抱えている、どろりと醜いそれをシュヴィアに負わせるように、契約結婚などと、都合の良い相手に使った。
情けなく、愚かで、みっともない自分が恥ずかしくて、申し訳無いアルマティスに、けれど、ああ、シュヴィアは。シュヴィアは、なんでもないように笑った。
「貴方に恋をしている女は、家族にすら愛されず、コート1枚持っていなかった、自分が生き延びるために初対面の貴方に契約結婚を持ちかけるような、軽薄でふしだらな女ですわ。がっかりなさいました?」
「っ、いいや」
「わたくしもきっと、あの家族を失っても泣けません」
シュヴィアは、眉を寄せ、ふる、と瞳を震わせた。
「今は、貴方と家族になりたいと思っています」
がっかりなさいました? と泣きそうになりながら、それでも、シュヴィアは微笑むので、アルマティスは思わず両手を伸ばした。
抱きしめた身体は小さくて、細くて、信じられない程に温かかった。




