老舗殺し屋一族九条家の姻族
※pixivでも同じものを投稿しています。
朝。
自室として与えられた部屋の一室で、俺は優雅に目を覚ます。
いつもの癖で、寝たままの状態で伸びをしようと腕を動かすと――ふに。
「あんっ!」
「んなっ!?」
何やら柔らかい感触。そしてほんのり温かい。
「…………、」
「……」
視線を横に向ければ、そこには無表情ながらも整った顔立ちの少女が寄り添うようにして横たわっている。
しかしどことなく柔らかい微笑を浮かべているのは気のせいだろうか。
できれば気のせいではないと思いたいが。
――というか。
「一体なんであなたがここにいるのでしょうか、伊澄さん」
「一緒に寝たかったから、ではダメかしら?」
「ダメです。男女七歳にして同衾せずというでしょう。もっと慎みを持ってください!」
「はぁ……相変わらず、あなたは堅いわね…………殺すわよ?」
「はいはい、殺すなら自分の煩悩を殺しましょうね」
軽くあしらって、俺は目の前にいる義理の姉を部屋から追い出す。これから俺はお着換えタイムなのだ。
俺は男だけど、恥じらいを捨てた記憶はないから、異性の義姉が同室にいるのはどうしても気になってしまう。
「わかったわよ。ちょ、押さないでってば、自分で歩くから」
「はいはい。ならキリキリ歩いて、さっさとご退室ください!」
「言ってることとやってることが一致してないじゃない。押さないでって言ってるでしょう――本当に殺されたいの?」
「殺されたくはないですけど、恥じらいも捨てたくはありませんからね。――それじゃ、また後で」
――バタン。
義姉を部屋から追い出して、開けた扉を閉じる。
そして、その扉にもたれかかった。
体からは、冷や汗がにじみ出ていた。先ほどの義姉との話の端々に含まれていた、不穏な言葉がまだ脳裏に残っているからだ。
――殺すわよ。
――殺されたいの?
それらの言葉は、普通の価値観で考えるならば、冗談としては決してたちのいいものではないものの、それでも本気で受け取れるようなことはまずないだろう。少なくとも、現代の一般的な価値観で考えるならば。
しかし、ことこの家の住民にはその価値観は当てはまらない。
この家に住まう人達からすれば、それは至極まっとうな『宣誓』であり、今回で言えば義姉はまだ冗談の範疇に収めてはいたものの、いざとなれば『本気』でそれを実行する、ヤバい価値観を持っているのだ。
なぜならここ、九条家は――古くから代々続く、老舗の殺し屋一族なのだから。
[newpage]
――時は、数か月前までさかのぼる。
ある日家に帰ったら、知らない女性の人がいた。
もちろん、俺は盛大に驚いた。誰だこの人は。めちゃくちゃきれいな人なんだが!? ってな具合で。
「あら、おかえりなさい、武人君」
「あ、はい、ども……」
そして、余りにも自然な『おかえりなさい』。
俺は戸惑いのあまり、碌にそれに返事をすることすらできなかった。
――というか、本当に誰なんだろうか、この人は。
俺の名前は貝塚武人。
当時は地元の学校に通う中学生であった(ちなみに女性がやってきたのは三月で、もうすぐ卒業式。その次の月からは地元の高校に通っている)。
家族は父親が一人いるだけ。いわゆる父子家庭というやつだ。
母親は俺が小さいころに、なにやらいろいろあったらしくですでに故人となってしまっており、今は家の中にある小さな仏壇に顔写真が飾られている状態である。
そして家はマンションの一室――と思いきや、実は閑静な住宅街にきちんとした一戸建てを持っている。貸家ではない、きちんとした固定資産である。
「この家は、母さんとお前と俺、三人で生活していた時もあるんだっていう、証でもあるからな。おいそれと捨てることはできないさ」
とは、父親の談である。
そんなわけで、この男しかいない、むさくるしいだけの家ではあるが、だからこそ今目の前にいる人のような、見目麗しい女性が家の中にいるという光景は、珍しいを通り越して異常事態と言ってもおかしくないような事態だった。
玄関で混乱していると、状況を悟って様子を見に来たのか、女性の後ろから俺の実父――貝塚真人がやってきた。
「おう、武人。帰ったのか。どうだ武人、いきなり別嬪さんに出迎えられて驚いただろう?」
「お、おお、親父。この人、誰だ?」
「うん? この人か? この人は、その、なんていうか、なぁ……?」
「あらあら、真人さんたら。急に別嬪さんだなんて…………。それに、武人君にはあなたから説明するって言っていたのに、今になって照れ臭くなってどうするんです?」
「あぁ、その、ごめん」
なんだろうか、この形無しは。
そう思った俺は多分悪くない。
とりあえず、ここに居ては埒が明かないので、ひとまず家に上がって、話しやすい格好に着替えてから話を聞くことにしようということになった。
俺の目の前には、男女二人が並んで椅子に座っている。
現在、ダイニングテーブルをはさんで俺と、父親・女性ペアに分かれて座っている状態で、これからなぜ家の中に知らない女性が居座っているのか、その理由を説明してもらおうというところである。
「それで、失礼ですがあなたは、どなた様なのでしょう?」
「私? 私は九条真澄というの。そうね……真人さんとのお付き合いは、かれこれ1年くらいになるのかしら」
父さんの年齢は現在36歳。対する女性は、えっと……何歳なんだろう。少なくとも20歳には見えるんだけど…………。女性の年齢を見極めるのは少し苦手だ。
「そうなんですか……」
じとー、という目つきで俺は父さんを眺める。
どういう関係にあるかは知らないが、少なくともこういう状況になるというなら、RINEにメッセなりなんなり送っておいてもらえればよかったのに。
そうすれば、こんなに面倒くさいことにならずに済んだというのにな。
「それで、父さんは一体この人とどんな関係なんだ?」
「あ~、それ、なんだがな……武人。落ち着いて、よ~く聞いてくれ」
「お、おう……」
なんだろうか、急に改まって。
こっちまで緊張してきてしまったんだが。
だが、こちとら年頃の中学生だ(もうそろそろ高校生になるが)。
ゆえに、これがどういう状況なのかは、なんとなく予想はついた。
それは女性がどことなく落ち着かず、もじもじとしている様子からもうかがい知れることだった。
父さんの顔がそこはかとなく赤らんでいるのも、女性の顔が同じく少しだけ紅潮していることからしてあからさまである。
「武人。これまで、お前には寂しい思いをさせてきたと思う。小学校の頃は学童保育に入ってもらっていたし、本来なら俺がどうにかしなきゃならないというのに、夕ご飯はお前が用意してくれたこともあったしな」
「あぁ、まぁ……今更な話だけどな」
だけど、俺が夕ご飯を作るときは大体、父さんが残業をして帰ってくるときだ。
だからこそ、俺はただでさえつかれている父さんをねぎらう意味も含めて、そういったときは翌日の朝まで食事を作ったりしていたのだが……それは改まって言われるほどのことでもない気がする。
「だけど! これからは、もうそういう思いはさせないって、約束する。俺は……俺は、こちらにいる女性――九条真澄さんと、結婚をすることを決めたんだ!」
「おぉ! そうなのか! おめでとう父さん、ついに再婚するんだね!」
やっぱりそう来たか! 二人の雰囲気からして、そうなんじゃなかろうかと思っていたんだけど、予想通りで何よりだ。
俺も、ちょっと父さんと二人きりでこの家を使うには、ちょっとばかし広すぎて、こう――寂しいという気持ちがぬぐえなかったから、にぎやかになるならうれしい限りだ。
俺がそう思っていると、父さんと真澄さんがそろってこれまでの経緯を簡単に説明してくれた。
「ああ! そうなんだよ。真澄さんと出会って、いろいろなところでデートして、こないだついにプロポーズしたんだ。そしたら、真澄さん、OKしてくれたんだ!」
「真人さんは親切で、私のこと、よく支えてくれそうだし……私も、母子家庭でちょっと大変だな、って思うところがあったからね」
「あ、そうなんですね」
なんか、真澄さんから重大告白もあったけど。
なんというか、真澄さんもバツイチだったんだなぁ、とこの時初めて知った。
さらりとした衝撃告白が続いて、俺はちょっとだけ心の中が混乱気味だったけど、それでもうれしいニュースに違いはない。
素直に『これからよろしくお願いします』と真澄さんに伝えたのは、いうまでもない。
そうして、真澄さんとの結婚が決まってから、俺達は戸籍関係のあれこれでしばらく奔走することになった。
意外だったのは、普通なら苗字は俺や父親の姓――つまり結婚する者同士のうち、男側の姓で統一されるのだろうが、父さんと真澄さんの場合は真澄さんの方の姓、つまり九条の姓が使われることになったということだ。
どういうことなのかと聞いてみれば、九条さんの家はちょっと特殊で、むやみに姓を変えることは好ましくないんだとか。
この時の俺は、へぇ、そうなんだ……程度にしか思っていなかったが。
そして、物心がついてから長い間生活してきた一戸建て住宅も、九条さんとの結婚を機に売りに出すことになり、俺は父さんと一緒に九条さんの実家にお世話になることになった。
その時だ。九条さんの抱える『特殊』な事情が、実は九条家が老舗の殺し屋であり、裏社会ではその名ありと畏怖の念を持たれるほどにその業が深い一族であったということを知ったのは。
「なんだかだますような形になってしまって申し訳なかったわね、武人君」
「いえ……まぁ、人それぞれですから」
「そう。そう言ってもらえるなら、ありがたいわ」
そのことを打ち明けられた時に思わず言ってしまった言葉は、おそらく真澄さん側も『まだよくわかっていないからなんだろうな』ということは理解していたのかもしれない。
それでも、真澄さんは笑ってその言葉を受け入れてくれたけどね。