クリスマスプレゼントが“天使付き耳かき”だった話。
開いた玄関ドアから入り込んで来た冷たい外の空気に、僕は身震いをした。
「じゃあ……行ってくるから。」
「いってらっしゃい、お母さん。」
日が完全に沈んだ頃、僕のお母さんは仕事へと向かう。
僕のお母さんは所謂、夜のお仕事をしている為、帰宅は朝日が昇る頃になるのだけど、その頃には僕も通学時刻になっているから、僕とお母さんは親子でありながら、夕方の僅かな時間しか顔を合わせない生活をしている。
(クリスマスにもお仕事……。)
今日はクリスマス。クラスの友達は家族でクリスマスパーティーをすると言っていた。家族全員で出掛けると言っていた友達もいたと思う。
「今年も一人か……。でも、仕方ないよね。」
僕が独り言ちた言葉が白い水蒸気となり、冷たい部屋に溶けてゆく。
「今年はサンタさん、来てくれるかな……。」
僕の家にサンタクロースが来なくなって久しい。
確か最後にサンタクロースが家に来たのは、お父さんとお母さんが離婚する前だから、3年くらい前の話になる。
「僕が悪い子だから、来てくれなくなったのかな?」
呟いた独り言に泣きそうになる。
この前、宿題を忘れて行って、その前はお皿を割ってお母さんに怒られた。サンタクロースは今年も来てくれないかもしれない……。
僕は靴下に名前と欲しい物を書いた紙を張り付けて、バルコニーへと出した。
何故、バルコニーに出したかと言うと、僕の家はアパートなので、サンタクロースが近隣の部屋と間違える可能性があると考えたからで、対策として、靴下へ僕の名前も書いておいた。
「どうしたの?外、寒いでしょ。」
バルコニーで靴下を吊るしていると、アパートの隣に住むお姉さんがバルコニーを隔てる仕切り版の向こう側から、ひょっこり顔を出した。
「あっ、お姉さん。こんばんは。」
僕がお辞儀をすると、お姉さんは少し悲しそうな表情を浮かべた。
「お母さん、またお仕事なの?」
「はい……。」
隣のお姉さんは優しい人だ。いつも僕にお菓子をくれたり、遊んでくれたりする。
お姉さんは「一人暮らしの大学生は暇だから」と言って、僕に構ってくれるけど、本当は違うと思う。
きっと、お姉さんは凄く良い人なんだ。
もしかしたら、お姉さんみたいな良い人にしか、サンタクロースは来てくれないのかな……。
また涙が出そうになった僕は、口を結び、上を向く。
「サンタさんへのお願いかな?何をお願いしたの?」
お姉さんが優しく僕へ問う。
「……耳かきです。」
「えっ?耳かき……?」
驚いたお姉さんが、少し目を見開いた。
「あんまり高そうな物だと、サンタさんも困ると思うので……。」
耳かきくらいなら、悪い子の僕にもお情けで貰えるかもしれないと思ったし、ちょうど綿棒の在庫が無くなっていたから、僕はクリスマスプレゼントに耳かきをお願いする事にした。
「サンタさん……絶対、来るよ。」
「ありがとうございます。お休みなさい。」
お姉さんに就寝の挨拶をして、僕は部屋に戻る。
(本当に来てくれたらいいなぁ……。)
◇ ◇ ◇
夜中、僕は窓を叩くような不審な音で目が覚めた。
「………?」
寝ぼけ眼を擦りながら布団を出た僕は、寒さから身を縮こまらせ歩く。
「……天使……さま?」
窓の外へ目を向けると、そこには輝く粉雪を背景に、翼の生えた美しい女性が佇んでいた。本来、夜中に突然、異形の存在が現れたら驚くところけど、僕は寧ろ安心してしまった。
透き通るような金色の髪と、蒼い瞳、白い翼。女性の姿は絵本に出てくる天使そっくりだったから。
僕は天使さまが手に何かを持っている事に気が付いた。
「耳かき……?」
天使さまが手に握っているのは、僕がサンタクロースへお願いした“耳かき”だった。
◇ ◇ ◇
「痒いところ、無い?」
僕は天使さまの膝に頭をのせて、耳かきをされている。
天使さまの柔らかい手で、丁寧に耳かきをされながら、もう片方の手で優しく頭を撫でられる。
心地良いはずなのに、僕はいつの間にか涙を流していた。
「よしよし、大丈夫だよ。君は良い子だよ。」
天使さまが僕の耳元で優しく囁く声に、僕はまた涙する。
本当は寂しかった。クラスの友達が羨ましかった。
僕は誰かに愛されたかったんだ。
それから、毎週金曜日の夜には天使さまが耳かきに来てくれるようになった。
天使さまが言うには、僕がサンタクロースへお願いした耳かきは“天使付き耳かき”だったみたいで、良い子限定のオプションらしい。
天使さまは僕へ耳かきをしながら、いつも「良い子」だと頭を撫でてくれる。
いつしか僕は、天使さまが大好きになっていた。
柔らかい微笑みや優しい声、甘い香りも全部……全部が好きだった。
◇ ◇ ◇
その日、天使さまは来なかった。
毎週金曜日には必ず耳かきをしに来てくれる天使さまだけど、もしかしたら、大雪で来られないのかもしれない。
僕の住む地域は2月が最も積雪量が多く、今夜も大雪だった。
布団に包まり、時計を眺めていると、不意に救急車のサイレンが聞こえて来た。
サイレンは僕のアパートのすぐ側で止まったようで、窓の外を見れば、救急車のパトライトが降り積もる雪を赤く照らしていた。
胸騒ぎを感じた僕は、バルコニーへ出る。
救急車は僕のアパートの前で止まっており、僕が手摺りから身を乗り出して様子を見ようとした時、ふと、それが目に入った。
「こ…これって!?」
バルコニーに積もった雪の上に、白い羽が落ちていた。
僕は恐る恐る手摺りから身を乗り出して下の地面を覗く。
――降り積もった真っ白な雪の中、片翼を失った天使さまが倒れていた。
天使さまの元へ、救急隊員達が駆けつけ声を掛けるが天使さまは応答しない。
嫌な汗が背中を伝う。
血の気が引き、バルコニーに膝を突いた僕は、何気なく隣を部屋がある方向へ視線を送った。
「……ぁ。」
僕と隣の部屋を隔てるバルコニーの仕切り版には、失われた片翼が引っ掛かっていた。
薄々気が付いていた。
それでも、僕は気が付かないフリをしていた。
いつまでも幸せを享受していたかったから……。
◇ ◇ ◇
あれから10年が経ち、僕は高校3年生になっていた。
内定を貰った僕は、来月から都会に出て、就職先のソフトウェア会社へ勤める事になっている。
このアパートともお別れだ……。
部屋を出た僕は、今は誰も住んでいない隣の部屋のドアを一瞥し、歩き出した。
電車に乗った僕は4つ先の駅で降り、バスに乗る。
僕を乗せたバスは、やがて大きな病院の前で停まる。
すっかり通いなれた病院の中を歩き、辿り着いた部屋にはお姉さんの名前が書かれたプレートが掛かっていた。
「入ります……。」
ノックをした後、僕は病室の扉を開ける。
「お姉さん……体、大丈夫?」
「平気よ。」
病室のベッドには、身体を起こしたお姉さんが座っていた。
「でも、もう“お姉さん”じゃないでしょ?パパ。」
お姉さんはその腕に抱いた僕らの赤ちゃんを撫でながら、僕を揶揄う。
かつて、僕を救ってくれた優しい手が、今は僕とお姉さんの間に宿った子どもの頭へと添えられている。
「そうだね。もうお姉さんとは呼べないかな……。」
頬を掻いた僕を見て、お姉さんがクスリと笑った。
「でもね……僕にとって貴女は、永遠に天使さまですよ。」
頬を紅く染めてそっぽを向いてしまったお姉さんの横顔へ僕は微笑む。
お姉さんから享受する一方だった幸せを、今度からは僕が与えるんだ。
僕にそうしてくれように、お姉さんと子どもへ精一杯の愛を捧げよう。
――きっとお姉さんは、神さまからの愛だったのだから。
季節外れな作品ではございますが、楽しんでいただけましたら幸いです。