勇者が負けた世界で君を
短いです。楽しんでいただければ幸いです。
勇者が負けた世界で君を
天は暗く、灰色が辺りを支配している。
雷が轟音を、打ち付ける雨が陰鬱を届ける。
王都は震撼した。門で倒れた男の報に。
『勇者敗れり』
男は勇者が携行したはずの聖剣を手に息絶えた。勇者と共に旅立ったその者の姿は、戦いが苛烈を極めたことを推し量れるものだった。
聖剣の刃は潰れ、輝きを失くした刀身は何も写すことは無い。至る所にヒビや傷が、柄に巻かれていた革も爛れていた。ただ、内に秘めた力だけは存在が聖剣である事を証明している様だった。
暗雲立ち込める天候と、その者の姿はこの先の不安を煽るには十分過ぎた。
魔王の支配がこの地にも及ぶ。
人々は恐怖のどん底に陥れられた。
賑やかだった城下には沈黙が。
晴れない空に希望は薄れる。
しかしながら冒険者たちの中にまことしやかに流れる噂があった。
『魔王もまた重症を負っているのでは』
というものだ。魔王城の近くに行ったことのある者は、その周囲の異様な天候が、王都を取り巻く環境とは比べるべくもなく強すぎるものだから。この天変地異も魔王城ほど恐ろしくは感じないと……。
不安の日々を過ごす民の元に、さらなる衝撃がやってきた。
勇者が帰ってきたのだ。
木の枝を支えによろよろと進む足取りはおぼつかず。
さりとて目は紅くギラギラして、充血していた。ひと押しすれば倒れ込むのではないかと思われたが、気迫がただ事ではなかった。目が合えば殺されるのではないかと思うほどの殺気。尋常ではない姿に人々は恐怖した。
心臓部分の鎧はパックリと切られ、留め金は焼けただれている。中紐は片方は垂れ下がって、歩く度に脇にあるプレートを打っては前に躍り出ている。不快さを感じている様子はなかった。そんな事に気を使う余裕すら見受けられなかったのだ。
勇者もまた、門にたどり着いて力尽きたように倒れ込んだ。
門番たちはその姿を見た時には王城への報告と馬車の手配を済ませ、勇者を介抱するために囲む。倒れているのに失わない覇気に身震いする者が多くいた。
王城で治癒され、謁見の間へと連れられた勇者は王の前でも跪くことをせず、ただ一言呟くように報告した。
『魔王に敗れました』と。
王の側近くで仕える近衛騎士長は言った。
『役立たずめ』
そして罵詈雑言を勇者に叩きつける。おめおめと帰ってきたのかと。王国の恥だと。近衛騎士長は剣聖と称された稀代の天才剣士だった。此度の魔王討伐に参加を希望したものの、勇者に拒絶され、恨みは酷く大きいものである。周りも『剣聖さえいれば』と、惜しいと言わんばかりの態度だった。
周りの静止を聞かずに近衛騎士長は怒りを露わに剣を抜く。
誰もが勇者の最期を看取ろうとした。勇者が目を閉じたから。
さりとて騎士長の剣は勇者を捉えることは出来ずに空を切る。軽やかに首をいなして避けただけだった。すれ違いざまに手刀を首に落とす。
あっけない幕切れに周囲は口をポカンと開けた。
勇者は倒れた近衛騎士長の腹を蹴る。何度も何度も。
はたと気づいた兵士たちは勇者に静止を願い出る。勇者は周りを見回した。兵士たちが後退る。充血した紅い目を誰も合わせることは出来なかった。
勇者は彼が持つ剣を取り上げる。
『これを持っていればな……』
勇者は近衛騎士長の剣を手に取り、まじまじと見てからそう呟いた。
勇者は倒れている男の両手を順番に踏みつけ、拳を砕く。これで当分は復讐できまい、と。
勇者は続いて王を睨みつけた。
王城は知る。魔王はこれ以上に強いのかと。剣聖を一瞬にして無効化した勇者よりも。
勇者は言った。
『妹の釈放を』と。
王は頷いただけだった。拒否することは誰にも出来はしない。この修羅を前に誰が立ち向かえるだろう。この場の誰もが、魔王しかいないと結論付けた。
そして勇者は自ら牢へ繋がれることをよしとした。
勇者の妹は人質だった。
神殿から託宣を受けた勇者を動かすには、妹しかいないと結論付けられたからだ。動こうとしない勇者に痺れを切らした王と神殿と。
家族が一人だけだった勇者は妹をことの他大事にしていた。その妹を枷にされた勇者は動かざるを得なかったのだ。与えられた仲間達は選りすぐりのエリート達ではあったが、近衛騎士長だけはお断りした。態度が不遜で、不安が大きかったからだ。彼が求めた唯一の条件が近衛騎士長の参加拒否であることも恨みを買う一役になっていた。
そうして勇者は魔王討伐の旅に出され、ボロボロになって帰ってきたのである。
牢に入った勇者は静かだった。
両手両足を枷で繋がれたまま、目はずっと閉じている。
カシャン。
牢の格子を掴んだ音を耳で拾った勇者は片目を開けて外を見る。勇者の外見にそっくりの女が顔をクシャクシャにして両目から大粒の涙を惜しげも無く流していた。
『お兄ちゃんっ』
咽び泣く声は牢屋の中のどこまでもどこまでも響いている。
『ーーか』
名を呼ばれた女の両手は格子を掴んだままで真っ赤になっている。何度も何度も頷いては彼女の額にも格子が当たって血が滲んでいた。
牢番もいたたまれなくなって席を外す。王と神殿のやり口を彼らも知るところだから、罪悪感があったのかもしれなかった。
そして知ることとなる。
勇者とその妹が瞬く間に姿を消した事を。
まじまじと自分とそっくりの顔を見た勇者の妹は言った。
『貴方はだれ……』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
勇者が姿を消した魔王城では阿鼻叫喚の地獄絵図が描かれていた。
魔王ご乱心のセンセーショナルなニュースが城内を駆け巡っていたのである。魔王は部下を、それも側近であるはずの四天王を虐殺して、死体を謁見の間で晒した。中央にあるサークル内に三体の魔物の骸を冷たく見つめている魔王のそれは、恐怖以外のなにものでもなかったのである。
魔物たちは魔王の前で忠誠を誓った。決して裏切らないと。
魔王には娘が二人いた。妻は亡くなって久しいが、娘はいつもそばにいた。現魔王が四天王だった頃にその娘たちは人質に取られ、四天王の中でも苦渋を舐めた時期が続いていた。四天王の暴挙を魔王も承諾し、当時四天王だった彼を配下に置くために取られた施策である。娘たちが幽閉されたまま魔王に仕え続ける他なく、他の四天王から娘を取り返すために奮闘していたが、ついぞ叶うことは無かった。
しかし、四天王を惨殺した今、魔王の横には美しい姿の魔人が一人いる。彼らの建物の中から発見されたのだ。もう一人はまだ見つかっていない。
前魔王を勇者たちが片付け、魔王の座が巡ってきた時は、四天王の三人も虫の息だった。彼らを放置し、満身創痍の勇者達を叩きのめすのは容易だった。しかし、魔王は思った。本気の戦いをしてみたいと。何を思ったのか魔王は勇者に治癒の魔法を掛けた。
全開に近い状態で戦う。魔王は興奮を覚えた。勇者がことの他強かったからだ。しかし、決定打になったのは剣の差で。新品同様の魔剣を手にした魔王が、傷んだ聖剣を握った勇者に勝ったのだ。苦虫を噛み潰したような魔王の顔を勇者は忘れることは無いだろうと、心から思った。生きていればだが。
勇者に勝利した魔王を恐れ、四天王たちは自身の館へと逃げた。結界を張って、魔王が入れないように封印を施して。魔の者には決して破れない結界のはずだった。
魔王の国は平穏を取り戻すことに成功した。前魔王と四天王は最悪の世代と称された無法者たちで、魔物たちを恐怖に陥れることに普進し、愉悦に至る者たちだった。統率をとることなど考えもしない、秩序のちの字も出ない時代だった。その終わりをもたらした魔王は崇められる事となったのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
謁見の間に緊張が走る。
端へ避けられた魔物の骸を一瞥し、勇者は魔王の横にいる美しい魔人に目をやって口端を僅かに上げた。魔王も勇者の隣でおっかなびっくりしている女を見下ろして目尻を若干下げた。
魔王が王座から立ち上がる。
魔物たちはすぐさま謁見の広間の両端へ逃げるように並んだ。
魔王が見下ろし、勇者が見上げる。
目が合った途端、眩い光が広間を包んだ。
途端に魔王の威圧が膨れ上がる。魔物たちはビリビリと体が痺れる感覚に襲われた。
魔王の紅い目は鋭さを増す。先の戦いの後で取り替えた体が元に戻った。
そして。
魔王は言う。
『その剣を貴様にやろう』
勇者は自分が持ってきたであろう剣をまじまじと目にし、鞘から少しだけ引き抜いて戻す。
『頂戴しよう』
勇者の目は優しさを取り戻し、光のオーラが迸った。拮抗する膨大な魔力の渦が魔王城謁見の広間に渦巻いて消える。
勇者は魔王にお辞儀をして踵を返した。
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