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晴天前夜  作者: 木風麦
3/4

【3】

 検査も含め、吉海はしばらくの間入院することになった。

 医者が言うには、

「栄養失調と貧血もあるので、一カ月は入院生活になると思います」

 とのことだ。

 会社に連絡をすると言い出した吉海に、

「何言ってるの」

 と都は呆れ顔になる。

「連絡なら誠くんが、倒れた日に入れてくれてたよ。いい子ねぇ、あの子。しっかりしてるし。息子になってくれないかしら」

「それは、誠くんが迷惑でしょ」

 苦笑しながら言い返すと、「え」とカーテンの奥から声があがった。

 カツカツと靴音を響かせながら、当の誠が姿を見せた。

 聞かれてたのか、と吉海は耳を赤くする。都は何事もなかったかのように、しれっとした表情で「あら誠くん。来てくれたのね」と話しかけた。

「あ、はい。え、それより今、名前……」

「名前?」

 と親子二人して首をかしげる。その仕草がそっくりで遺伝を感じさせる。

「はじめて名前で呼ばれました」

 と顔をほころばせる誠をまじまじと見つめ、

「誠くん、やっぱりお婿にこない?」と都は真顔でいう。

「ちょ、おかあさ……ッ!」

 興奮した吉海はお腹を押さえて涙目になる。

「あらあら。だめよ、おとなしくしとかなきゃ」

 わざとらしく頬に手を添える母親を恨めしそうに睨みながら、「誰のせいよっ」と吉海は呻く。

「あ、お父さんは明日来るそうよ。仕事が忙しすぎて、抜けだせないんですって」

 母親の一言に、吉海は一瞬呼吸が止まったように感じた。

 肺が乾燥してスカスカして、胃はグラグラ煮えてるんじゃないかと思うほど熱くなっていく。

 吉海の異変を察した誠は、「都さん」と服の裾をつまむ。

 都は軽く目を見はったものの、特に口を出すことなく腕時計に視線を落とす。

「……あら、もうこんな時間。二人の邪魔するわけにはいかないわね。じゃ」

 と荷物を手早くまとめ、病室を出ていった。


 室内に、衣擦れの音が響く。

「……わたし、そんなわかりやすい?」

「うん」

 率直な感想に、吉海は「素直か」と眉じりを下げて笑う。

「何も聞かないの?」

 笑みを浮かべたまま、吉海は指先をいじる。

「俺は、吉海さんにとっての部外者だよ」

「そっか」


 再び、室内に静寂が落ちる。

 開いた窓から、さわやかな風が入ってくる。吉海は、

「気持ちいいね」

 と目を細める。陽が当たる顔の前に細い腕をかざしながら、

「時間、ある?」

 と目だけを誠に向けながら尋ねた。

「今日は店、定休日なんで」

 大丈夫ですよ、と誠は応える。

 吉海は「そっか」とうなずき、かすかに震える声で言った。

「じゃ、ちょっとだけ付き合ってくれない?」



 吉海はまだ万全な体調ではないため、車椅子での移動が義務付けられていた。

「もうすっかり春だよね」

 木漏れ日を浴びながら、吉海は目を閉じる。

「明日はまた真冬みたいな気温になるそうですよ」

 と言いながら、誠は病院近くの散歩道に沿って車椅子を押す。

「それは嫌だなぁ。あ、あそこのベンチにでも座ろう」

 備え付けられているベンチを指し、吉海は頭だけ振り向かせる。

「車椅子押すの、ほんとうに大変じゃない?」

 遠慮がちに上目遣いになる吉海に、

「平気ですよ」と誠は笑う。

 ベンチのすぐ横に車椅子を並べ、「ここでいいですか」と声をかける。

「うん、ありがと。誠くんも座って」

 促されるまま、誠はベンチの隅に腰を下ろす。

 吉海は「何から話せばいいかな」と唸る。

「私、中学までこの辺に住んでたんだ」

 想いを馳せるように、吉海は空を仰ぐ。

「あの時私は正義感が強くて、まぁ人からウザがられてたってことね。けど他の人から否定されても、両親は肯定してくれたから」

 だから私は正義のヒーロー気取りだった、と吉海は声を落とす。

「煙たがられることもあったけど、でもやっぱり感謝されることも多くて。私調子乗ってたんだよなぁ」

 持ってきていた水筒を傾け、付属のコップに白湯を注ぐ。

「私とその他大勢の人って、全員が全員違う思考を、感情を抱いてるってことをわかっていなかった。だから、一人の女の子の人生を変えてしまった」

 白湯が容器の中でかすかに揺れる。

 ふっと息を吐き、

「その子にとっての『最善』を、私は勝手に決めつけていたの」

 とカップに口をつける。

 誠は無言で手を組みなおした。

「この説明じゃよくわかんないよね」

 と朗らかに笑い、

「年が明ける、ほんの数日前のことだったな。受験期で、私は遅くまで塾で勉強してた。その帰り道に、ちょっと変わった女の子に会ったの」

 話しながら、吉海はカップを握る手に力を込めた。

「とても汚れていて、髪はぼさぼさ。しかもガリガリで、毎日ご飯食べてるのかなって感じだった。その子にね、話しかけたの。家に帰らないのかって。そしたら、遊んでるだけっていうの。明らかにお腹すかせてたし、お風呂しばらく入ってなさそうだしで、放っておけなかった。でも連れ帰ったら誘拐犯になっちゃうから。できることなんて思いつかなくて、とりあえずその子の話を聞いてた。そしたら」

 頭を下げ、言葉を切る。

「殴られたり蹴とばされたりって、明らかに虐待されてた」

 吉海は、ふと横を振り返る。

「どうしたの」

 誠が、真っ青な顔色になっていた。

 本人は自覚がないのか、気遣いからか、

「あ、平気。続けて」

 と無理に笑う。

 吉海は気にかけつつ「うん」と小さくうなずき、

「その子、笑顔で話すの。自分のお父さんとお母さんのこと。私、その子が無理して笑ってるんだと思ってた」

 だから、と吉海は苦渋に満ちた声を発した。

「その子を警察に連れて行ったの。警察はその子を保護した。児童相談所も動いて、ここの地域ではかなり大事になった。私は、その子と面会する機会があって……なんの疑問も抱かず、感謝されるのかな、なんて思ったりして……でも」


 長い爪が皮膚に食い込む。

 胃がキリキリと痛くなる。

 脳みそが揺れているように、視界がぐらぐらと定まらない。

 吉海は、ぎゅっと目をつむった。



「余計なことしないでよ!!」


 警官に見張られた部屋の中、少女は絶叫した。

「お父さんとお母さんと離れなきゃいけなくなったじゃない!ふざけんな!ふざけんな!!」

 その子は、彼女の父と母と一緒に居られるだけで幸せだったのだ。

 そんな幸せを、吉海は想像もできなかった。

「あんたと会わなきゃよかった!あんたは私の人生を変えたのよ!私の一番大切なものを奪ったの!!返せよ!私の家族、返せよ……ッ!」

 少女は泣き叫んだ。

 部屋にいた警官は、今にも掴みかからんとする少女を取り押さえ、何か言葉をかけていた。

 だが、吉海の耳には届かなかった。


――ああ、取り返しのつかないことをしたんだ。


 それだけが理解できた。

 吉海は逃げるように、別の地域の高校を受験した。



 話し終えるなり黙りこくった吉海に、

「しってるよ」

 と組んだ手を見下ろしながら、誠は男性特有の少し低い声を出す。

「え?」

 怪訝そうにする吉海に、

「実はその子には、年の離れた兄がいました」

 誠は指先を自身に向ける。

「なんと、それは俺です」


 誠の告白に、吉海は息を呑んだ。

「吉海さんが妹を警察に連れてってくれなかったら、俺たち兄妹は売られてたか死んでたと思うよ」

 誠はそう言いながら右腕の袖をまくる。

 皮膚に、痛々しい煙草による火傷の跡、切り傷が残っていた。

「夏でも長そでが手放せないんだよね。暑くてホント困る」

 と笑う。

 吉海は顔をゆがめる。

「……私は、その時気づいた。ヒーローなんかにはなれないって。私の一言で、行動で、誰かを深く傷つけてしまうんだって」


 だったら、何もしない。したくない。吉海はその日、心に誓った。


――できるだけ周りの景色を無視して生きていこう。


 吉海の良心は痛んだが、自分を守るためだと言い聞かせた。

 そうしたら、助けを求めることを躊躇うようになった。

 道端に落ちているごみ、いじめられている男子、けがをしている少女。全部を見て見ぬふりをしているのに、自分だけが助けを求めるなんて自分本位過ぎないか。


 そう思うと、前に進むことなんかできなくなった。


 茨が足に巻き付いて血を流そうと、それを取り除く術すべを持たない彼女は、いつか痛みを感じることができなくなってしまっていた。


 悲鳴が聞こえなくなって、限界値がわからなくなって、血まみれになっても気づかない。


「自分がしたことが正しいか、わからなくなったんでしょ」


 誠の一言に、吉海は拳を握りしめた。

「吉海さん忘れてない?吉海さんがヒーローごっこしてたときに、多くの人が笑顔になってたんだよ」

 誠は「ごっこじゃなくて」と顔を近づける。

「ちゃんと、ヒーローだったんだよ」


 ヒーローだなんて恥ずかしい単語を、真剣な表情で言ってのける。

 真剣な瞳が、真摯な心が、吉海の心に響いて目を潤していく。

「何回、泣かせる気よ……」

 目元をこする吉海にハンカチを差し出しながら、

「さあ?」

 と誠は意地悪く笑う。

「吉海さんて、責任感強すぎるというか……なんていうか、極端だよね」

「わかってるよ」

 むすっと口をとがらせる吉海に、誠は陽だまりのような笑みを向ける。

「吉海さんのそういうとこ、かわいくて好きだよ」

「そりゃ、どうも」

 とそっけなく返したが、じわじわと耳が赤くなっていく。

「……ほんとこういうの苦手なの。だからお世辞でそういうのは言わないで」

 と誠を振り返るが、誠は吉海の方を向いておらず、俯いて口元に手を当てていた。

 その耳は、吉海と同じくらい赤くなっている。

「じ、自分で言っておいて照れないでよ……」

 吉海の頬がさらに熱を帯びていく。

 互いに顔を背けて押し黙った。


 そんな甘い空気に満ちた空間を、生暖かい風が遠慮がちに通り抜けていった。

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