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「それにしても、お嬢様。
あれどうするんです? 」
一気に混ぜた粉の一部をとりわけ、何とか焼いたホットケーキを食べながら、ケイトが残った粉を目に訊いてきた。
「ああしておけば、使いたい時に簡単に使えるでしょ」
少なくともこれで向こう十日は、粉を計らないでもホットケーキが焼ける。 ケイトの分と一緒に淹れたお茶を飲み干しながら、あたしはさっき小分けにした粉の入った紙袋を見た。
その隣にこのキッチンでは見慣れない箱が目に入る。
「あ、そうだ。
これなんだけどね」
その箱へ手を伸ばして引き寄せると、あたしはケイトの前に差し出した。
「昨日のお土産、なの。
王妃様の手作りのお菓子。
お茶の時間にでも、皆で食べて」
もう、あれだけ押し付けられたら、今日は見るのも沢山。
焼き菓子の一切れだって自分の口に入れる気には今はなれない。
「まぁ、王妃様の!
どうしましょう。
ありがとうございます、お嬢様」
ケイトが顔を輝かせてはしゃいでいる。
ま、あたしはもうこりごりだけど、ケイトが喜んでくれるなら、まぁいっか。
「そういえば、レスターは? 」
皆と言う言葉で思い出したけど、ちびっこの護衛だって言ういつも側にいてくれている少し年上のあの少年の姿がない。
「レスターは、蜂に刺された個所が多かったせいか、まだ熱が少しあるので休ませています」
「そっかぁ、悪いことしちゃった。
謝ってお礼言わなくちゃ」
「そうですね。
お土産のお菓子は、レスターにも届けておきますね」
食事を終わらせてケイトは食器を洗いながら言ってくれた。
これだけは、お嬢様の特権かなぁ?
前世のあたしなら、自分が使った食器や調理器具は自分で洗わなきゃだったんだけど、洗い物だけは使用人が全部やってくれる。
「ロレッタ、やっぱり今日もまだここにいたのかい? 」
食器を拭くのだけ手伝って、棚に戻していると、ひょっこりあの父親が顔を出した。
仕事柄かなり忙しいはずなんだけど、どんなに忙しくても一日に一度必ずこうして顔を出すみたい。
さすが子煩悩。
だけど今日はちびっこの記憶にある父親とは少しだけ様子が違っていた。
いつもなら、早足で顔を出して、キスだけして姿を消すのに、今日に限ってキッチンの小さな椅子に座り込む。
「何か作ってくれないかな?
昨日お母様の機嫌を損ねてしまってね」
少しだけ情けなさそうな笑顔を浮べた。
なるほど、国王の食事係が王妃なら貴族の食事係もその奥さんってことなのね。
夫婦喧嘩なんかしようものなら、たちまち食事を作ってもらえなくなる。
だからって外食なんかしたら、たちまち夫婦仲が悪いのが世間にバレてしまうって訳なんだ。
なんか、気の毒だなぁ。
なんて思いながら、あたしはさっき作ったばかりのミックス粉を取り出し、ボールに移す。
牛乳と卵を入れて適当にかき混ぜ、ケイトが洗い物を中止して暖めてくれたフライパンに流し込む。
程なく、ふんわりとホットケーキの焼ける匂いが漂い出した。
「どうぞ、おとうさま」
焼きたてのホットケーキにバターとチーズを入れて焼いたスクランブルエッグを添えて出す。
シロップやクリームを添えるより、確かこの方が好評だったような記憶がある。
「ありがとう、いただくよ」
あたしがホットケーキを焼く様子をずっと眺めていた父親は、待っていたとばかりに早速ナイフを入れた。
「ところで、ロレッタ。
それはなんだい? 」
さっき一袋使った粉を興味深そうに見つめている。
「これ?
ホットケーキ用に使う粉を全部計って混ぜておいたの。
こうしておけば、卵とミルクを混ぜるだけで簡単にホットケーキが焼けるのよ。
今のように急な時にも簡単に作れるでしょう」
本当は面倒なだけだったんだけど、さすがにそれは言えない。
「ロレッタが考えたのかい?
すごいよ、これ!
うん、いい」
なんだか、やけに感動したように頷いている。
「じゃ、父さまは、仕事があるから行くけど……
探していた家庭教師が見つかったよ。
来週から来て下さるそうだ、頑張りなさい。
ご馳走様、おいしかったよ」
そう言って忙しそうに父親は出かけてゆく。
「相変わらず、忙しいお方ですね」
その後ろ姿を見送りながらケイトが呟いた。
「家庭教師って、何の? 」
国語とか算数とか、ピアノも、正直、まだ五歳児だし遠慮したいなぁ。
子供はもう少しのびのび育てるものでしょ?
「お忘れですか?
先日だんな様が仰っていましたでしょう?
お料理の実技のですよ。
栄養学とか料理史とかの座学はまだもう少し先だと思いますから、ご安心下さい」
あたしの心理を読んだようにケイトは言う。
実技? ということは、料理学校の先生ってことだよね。
五歳児に、そんな本格的な技術憶えさせるにはまだ早いでしょ。
「それにしたってまだ早いと思わない?
入学までお母さまのお手伝いしながら少しずつ覚えるので沢山だと思うわ? 」
どうせ、この様子からするとこの世界、小学校からがっつり調理実習の授業がありそうだし。
「なに言っているんですか? お嬢様。
庶民ならともかく、貴族のご令嬢を入れてくれる学校なんてありませんよ」
「そうなの? 」
「当たり前です。
学校で教えてくれるお料理なんて、初歩の初歩ですからね。
王妃様の選定試験を受けるには程遠いレベルです。
それに、貴族の奥方さまは例えご自身の娘でも、ご自分の持っている技術を他人に教えるなんてことはめったにありえません」
ケイトが困ったように眉を寄せた。
そういえば。
あたし、この記憶が戻ってから数日、メイド相手におままごとみたいなキッチンに篭ってるけど、母親と一緒にお料理してないなぁ?
「そう言うもの? 」
「レシピや技術は時に王妃にもなれてしまうものですからね。
娘だからとうっかり教えたら、それがメイドの口を経て市中に広まってしまわないとも限りませんから。
奥様も、お嬢様を絶対にご自分のキッチンに入れませんでしょう?
お邸によっては、メイドもキッチンへは立ち入らせないこともあるそうです」
納得。
だからこんなちびっこに専用キッチンなんか宛がうわけだ。
「じゃ、わたし誰にホットケーキの作り方習ったんだっけ? 」
まさか、誰も教えていないのに、自然と作り始めたなんて怖いこと言わないよね?
「わたしからですよ。
お忘れですか? あの時お嬢様三歳になったばかりでしたから無理ありませんけど」
「じゃ、ケイトは誰に教わったの? 」
その図式からするとケイトだって誰にも教えてもらっていないはずだよね。
「わたしは母親から、あとは学校ですね。
貴族の方々とは違って、秘密にすることは何もありませんから。
丁度、学校を出た時に『キッチンに初めて立つお嬢様に、簡単なお料理を教えられるお嬢様付きメイド』の募集がありまして、こちらにお世話になることができたんです。
もっとも、お嬢様はわたしの僅かな知識、この二年ですっかりご自分の物にしてしまいましたけど」
なにそれ。怖っ!
なんなのよ、このちびっこ。初歩の初歩って言ったって、五歳児だよ?
だから、家庭教師の訳ね。
正直、面倒以外の何者でもないんだけど。
というか、五歳児なのに何故に自分の食べる物を自分で作らなくちゃいけないんだろう。
前世のあたし、五歳児の時にはまだ包丁持つどころか台所に入るだって禁じられていたのに。
で、めでたく王妃の座なんか射止めちゃったりしたら、一生王様の料理番。
聞けば聞くほど気が重くなった。
やっぱり、なにが何でもこのフラグなんとかしなきゃ。
王妃になんか、されちゃたまんない。
と、なると。
なんとか、この状態を回避しなきゃ。
このちびっこすでに料理の才能の片鱗を見せているけど、ほら、あれだ。
「昔天才、オトナになったらただの人」
この流れに強引にでも何でも持っていかないと!