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「……まぁ、たまにはこういうこともありますよ。
ほっぺの腫れもまだ完全には引いていませんし。
痛かったんですよね」
あたしの焼いた、ふわふわとは程遠い焦げ目のついたホットケーキを前に、ケイトが慰めてくれる。
「これはこれでおいしいですよ。
いつもとは違う食感で」
焦げたホットケーキを口に入れ顔を歪ませながらもケイトはフォローを忘れない。
さすがお嬢様つきのメイドさん。
自分で焼いたんだし、これ以上待っていても他に食べる物出てきそうにないから、仕方なくあたしもその焦げたホットケーキを口に運ぶ。
うん、ケーキ自体は見事に失敗作だけど、添えたバターや蜂蜜はとってもおいしい。
きっと素材がいいんだろうな。
「ナァオン」
どこからか小さな泣き声がして、何かが足に触った。
「ひっ! 」
するんとしたその突然の感触にあたしは思わず声をあげる。
「スティッキーですよ。
お嬢様、いい加減に馴れてください」
ケイトは落ち着き払ってホットケーキを飲み下すと、側にあった小皿にミルクを入れて床に置く。
「ね、ねこ? 」
ケイトが差し出した小皿の中身を用心深くかいでいるのは、毛の短い小柄で細身の猫。ポインテッドって言うの? 全体にグレーで耳に手足、尻尾と顔先だけが黒い。
なんだって、こんなところに猫がいるのよぉっ!
正直猫は苦手。
できることなら早く追い払ってもらいたいんだけど。
「慣れてください」とケイトが言うってことは、一度拒否して却下された可能性あり?
「前にも言いましたでしょう?
パントリーやキッチンにはどうしても鼠がでますから、必要不可欠ですと。
お嬢様がもふもふを嫌がったせいでだんな様がわざわざ異国から取り寄せてくださった毛の短い猫じゃありませんか。
ご心配なさらずともお部屋には入れませんから」
うっ……
ケイトの言葉から、このちびっこもまたあたし同様猫嫌いだったらしい。
けど、もはや回避不可なんだな。
仕方なく、あたしはその猫を横目に見ながら食事を続ける。
猫はミルクを飲み干すと、キッチンの片隅に行ってしまった。
よかった。
とりあえず膝に乗ってくる様子はないよね。
「ロレッタ! ロレッタはここか? 」
粉の配合を間違えたのか、焼き方が悪かったのか、ぱっさぱさのパンケーキをミルクで強引に流し込んで食事を終えようとしたところに、突然ばたばたと大きな足音を響かせてあの父親が駆け込んできた。
「おはようございます、旦那様」
ケイトが慌てて立ち上がると主人を迎え入れ頭を下げる。
「喜べ!
決まったよ。
お前が王子様のお妃選定試験を受ける候補者に! 」
キッチンに駆け込んでくると、興奮気味に声高に叫んであたしを抱き上げる。
「へ? 」
「まぁぁ! よかったですね、お嬢様! 」
気の抜けたあたしの声はメイドの声にかき消された。
「しかも王子様直々のご指名だ。
昨日お茶会でお出しする予定だったハニーチーズタルトを王子様がお気に召したんだそうだ。
それで是非にという話だ。
早速、優秀な家庭教師をつけてやろう。
調理技術に、栄養学、料理史もいるな。
それからここも改装だな……
頑張りなさい」
一方的にハイテンションで喋り捲って抱き上げたあたしにキスの雨を降らせる。
正直、そう言うの、慣れてないから止めて欲しい。
「ん? どうした?
嬉しくないのか?
この間まであんなに王子様のお妃になりたいって言っていただろう」
あたしが顔を歪めたのを勘違いしたようだ。
というか、このちびっこ、そんな大それた夢持っていた訳?
メイドが呼ぶとき『プリンセス』じゃなくて、『お嬢様』だから貴族であっても王族じゃないと思うんだけど。
それって身分違いじゃない。
「そうと決まったら、家庭教師を探して、工事の手配しなければ」
抱き上げたあたしをようやく降ろすと、一方的に喋った父親は忙しそうにキッチンを出て行った。
「ねぇ、ケイト。
おきさきのせんていしけん、ってナニ? 」
その父親の背中が見えなくなるのを待って、あたしはメイドに向き直った。
「あら? お忘れになってしまいましたか?
この国の王妃様には、国一番の料理上手が選ばれるんです。
選定試験は、その料理上手を決める試験ですよ。
もっとも、まだとうぶん先ですから、時間はたっぷりとあります。
それまでに腕を上げませんと! 」
……なんじゃ、そりゃ?
料理の腕で王妃を決めるなんて、そんな選定基準、聞いた事がない。
もっとも、ここはあたしが今までいた世界じゃないからそう言うのもありかも知れないけど。
だからか。
そうなると、この親ばかの権化のようなおこちゃまキッチンの説明もつく。
そりゃ、将来身内から王妃が出せるとあれば、子供のうちから英才教育したくなるよね。
資金が潤沢なら尚更。
ん?
英才教育?
料理の?
なんか、どこかで聞いたような記憶が……
「ねぇ、ケイト。
料理上手をお妃に選ぶのって、王様の食べる物、毒殺防止に王妃様が全部作るから? 」
かすかに思い出したことをぼんやりと口にする。
「そうですよ?
ちゃんと憶えていらっしゃったのですね」
うそ、だ、よね。
誰か嘘だって言ってぇ。
頭の中を前世の記憶の一部がぐるぐると渦を巻く。
料理の腕でお妃を決めるよくわからない恋愛ゲーム。
あったのよぉ、そう言うのが。
そこに出てくるライバル(?)令嬢。
その名前がたしか、ロレッタ・スタリナール。
幼い頃から料理の英才教育を施された、天才的な腕を持つ主人公の一応、強敵。
それがこのちびっこのあたし?
よりによってゲームの中の一キャラに転生してしまったってこと?
……なんか、気が遠くなる思いだ。
「お嬢様!
大丈夫ですか?
やっぱり、焦げたホットケーキが不味かったのかしら?
それとも、蜂毒がまだ完全に抜けていなかったの?
お願いします! しっかりしてください! 」
がくがくと乱暴に躯を揺すられる感覚と同時に頭上でかすかにケイトの声がした。
「ああ、そうだ! 」
メイドに支えられようやくその場で卒倒することを免れて気を取り直した途端、先ほど忙しそうにキッチンを出て行った父親が、何かを思い出したように戻って来た。
「午後から、ご挨拶に王宮に行くから。
ロレッタの身支度を頼むよ、ケイト」
「今日、ですか?
お嬢様のドレスはどう致しましょう? 」
何故かケイトが困った表情を浮べながらちらりとあたしに視線を向けた。
これだけ裕福なお家のお嬢さんなら、いくらちびっこだってドレスの一枚や、二枚、ううん三枚も四枚ももっと持っていると、思うんだけど。
「それなら、あれがあるだろう?
ほら、先日誕生日祝いに私の母、おばあ様からいただいたドレスが。
とにかく頼むよ」
ケイトが返事をする前に言いたいことだけ言って、父親はまた去って行った。
「大変ですわ、お嬢様。
もう午後まであまり時間がありませんから、急いでお支度をなさいませんと」
父親の背中が見えなくなると同時にケイトはキッチンの片隅に置かれたテーブルの上を片付けに掛かる。
そんなに急がなくたって、まだ朝食食べたばっかりだし着替えるだけならお昼済んでからでもいいような気がするんだけど?
「お皿、洗ったら直ぐに向かいますから、お嬢様は先にお部屋に戻って、結んでいくリボンを選んでいてください! 」
手早く手を動かしながらケイトはあたしをキッチンから追い出した。
「リボン、って言われても、ねぇ。
ドレスがわからなきゃ選びようがないんじゃない? 」
部屋に戻るとチェストの上に置かれていた箱を取り上げベッドの上で蓋をあけた。
青に赤にピンクに緑、レースや、刺繍、むら染めとか、ベルベットにサテンなどなど、まるで宝石みたいないかにも高価そうな、きれいなリボンがきちんと丸められて収まっている様子を目に軽くため息をつく。
そういえば、ゲームの中のロレッタってリボン集めが趣味だって設定だったよね。
こんなところまで、ゲームにそっくり?
と、言うことは、やっぱりあたし、あのゲームの世界に転生したってことなのかな?