6. お昼ごはん
『Z-0046番くん、まだ17歳だったんですね。 顔が見えないから分からなくて……』
製造番号、性別、年齢。
一般職員にはどこまで情報が開示できるのだろうか。
私も大して知っている訳ではない。
どういう目的で造られたのか。
誰に造られたのか。
それしか。
◇
「せっかくだから食べて行きますか? お昼ごはん……」
お昼ごはん。
「ごはん…………」
「…………」
ごはん……。
リナリアさんは半笑いのような表情で私を見つめている。もしかしなくても私に言っているのか。
ごはん、とは食事のことでいいのだろうか。
「ごはん……?」
確認の為に聞いてみた。
「ごはん……」
ごはんらしい。
だんだん悲しげな表情になってきた。
そんなにお腹が空いていたのか。
私はゆっくりと首を横に振って自分は要らないという意思表示をした。食事はあまり好きではない。支給されたよく分からない固形物や錠剤を噛み砕いたりそのまま飲み込んだりして胃に押し込む作業が苦手だ。食事を楽しみにしている人間は普段何を食べているのだろう。
「お腹、空いてないんですか?」
先程から吐き気がするので空腹状態なのかもしれないが、単なる緊張のせいかもしれないのでとりあえず頷いておく。
「じゃあ買って帰りましょうか」
私は再び頷いた。
待っているから好きに買い物してくれたらいい。
しばらくすると、研究所内でもいくつか見かけたような、購買が独立したみたいな感じの店に着いた。これは居住区にもあるのか。
リナリアさんは慎重にバックで駐車をすると、鞄の中身を確認して車の外に出た。私はそれを黙って見送った。
店に向かったリナリアさんが途中何度もこちらを振り向いてくる。
何故か慌てて戻ってきた。
助手席側にやってきてドアを開けられる。
「ごはん、いいんですか……?」
「…………」
私は頷いた。
しかし先程から彼女に気を遣わせてしまっているのではないかと思い、適当に理由を考える。
「……お金、持っていません」
今思い出したのだが事実だ。
そういえば彼女は鞄の中身を確認していた。買い物には金が必要なはずだ。購買で会計を見かけたことはあるが、私は今まで触ったことすらない。
私がさりげなく閉めようとドアに手を掛けると、リナリアさんはなんだか誇らしげな顔で言った。
「大丈夫、私が奢りますよ!」
そう来たか。
さすがにこれ以上気を遣わせたくないので諦めて降りることにした。
嬉しそうな表情のリナリアさんに手を引かれるまま店へついていく。
そのままついていくつもりだった。
「ん?」
店の手前でつい足を止めてしまった。
店に入るのは初めてだ。
その上居住区でこの、目しか見えていない状態の怪しい黒ずくめのキメラ兵が居たら一般人はどう思うだろうかと考えるとまた胃が痛くなってきた。
不思議そうな顔をしたリナリアさんと目が合ってしまい、慌てて視線を逸らす。
「……大丈夫、他にもキメラ兵はいますよ。 パッと行ってササッと帰りましょ!」
「いえ、なんでも……ゆっくり見てください……」
「…………」
「………………」
恐らく今が今までの人生で1番気まずい。そう思う。今嘔吐したら胃袋ごと出てきそうだ。リナリアさんに再び手を引かれ店内に入る。
なんだか変なチャイムが鳴ると共に店員と思しき人間が割と大きな声で謎の言葉を発した。なんだ。何と言ったんだ。私は思わずリナリアさんの後ろに隠れた。会計の中央には見慣れないガラス張りの棚のようなものがあるし、会計の端の方にはボタンが並んだ謎の機械がある。そしてよく分からない音がずっと聞こえている気がする。すごい情報量だ。研究所の購買とは違うようだ。
「何にしますか? 真っ直ぐ行ったところがおにぎり、お弁当、その横が麺類、その向かいの棚がパンで……」
リナリアさんが何やら配置を説明しながら奥へと引っ張っていく。おに……?おべんとう?めん?一体何なんだ。何を食べるつもりなんだ。
食品の棚と思われる付近には人間が何人かいて、昼食を選んでいるようだ。壁の棚と中央の棚の間には蓋の無い冷凍庫のようなものがあり、職員に連れられた犬キメラと猫キメラが熱心に覗き込んでいる。
「アイス、食べたいの?」
冷凍庫のようなものを見つめる私に気づいたリナリアさんが、こちらを振り返り話しかけてきた。私にはそれが何か分からなかったので首を横に振ってリナリアさんの傍に行く。
「うーん、ハンバーグオムライス弁当……あ、蒸し鶏とほうれん草のチーズクリームパスタがある! どうしよう……」
リナリアさんはどうやら、はん……何と言ったか。とりあえず2つで悩んでいるようだ。
すごく量が多く見えるが、食べきれるのだろうか。
「0046番くんは何にする? 持ち帰るならあっちの棚にインスタント食品もありますよ。 最近のは生麺みたいなのもあって美味しいんですよ」
私はリナリアさんが指さした方へ行ってみることにした。紙……ではない、何かでできたカップがたくさん置いてある。これは職員が持っているのをよく見かける。購買にも似たようなものがあった気がする。
棚を眺めながら奥へ進むと、ふと馴染み深い箱を見つけた。私は迷わずそれを手に取りリナリアさんの元へ戻る。
「あ、決まりました? このカゴに入れて……それでいいの? 飲み物とかも……」
リナリアさんに少し驚いた顔で訊ねられる。私は頷いた。
研究所でよく支給される、非常食。
食べ慣れないものを食べたら、吐き出してしまうかもしれない。こんなに彩り鮮やかで凝った人間の食事は、私には勿体ない。
「ううん、まだ早いか……」
リナリアさんは難しそうな表情で呟いた。
何の話だろうか。
リナリアさんはカゴになんとかを入れると、私の手を引き中央の棚へ向かった。
「ちょっとお菓子見ていいですか?」
「…………かし?」
「お菓子、食べたことないかな?」
棚一面になんだかカラフルな袋や箱が並んでいる。リナリアさんは慣れた手つきで幾つかの袋や箱をカゴに放り込んでいく。カゴからはみ出すか出さないかのあたりで手を止め、そのまま棚を抜けて会計の方へ進んだ。
私は外に出て待とうかと思ったが、荷物を持つべきだと気づき後ろで待つことにした。
リナリアさんは中央のガラス張りの棚のものも購入し、店員から袋3つを受け取った。
私が荷物を持つ為に手を差し出すと、リナリアさんが何故か私を見て微笑んだ。
「持ってくれるんですか? ありがとう」
何故そんなことを言うのだろう。
キメラ兵は人間の役に立つ為に作られたのだから、そんな当たり前の事で、そんなことを言われるのはおかしい。それは私が、人間から、そう簡単に何度も貰っていい言葉ではない。
そう思ったものの、何も反応しないのも失礼なので、少し頷いてから荷物を持って車へ向かった。
「座席の後ろに袋引っ掛けるところありますよ! あ、飲み物だけ取ってください……あと、お弁当傾かないようにしてもらえると助かるなぁ」
私は言われた通り、飲料と思しき蓋がついたカップを手渡し、なんとかの入った袋は膝に置いてそれ以外は座席後ろのフックに掛けた。
「お弁当の袋の透明なカップのやつ、取ってくれますか?」
袋の中を見ると、茶色い何かが複数入った透明なカップが入っている。リナリアさんはそれを受け取ると蓋を外して付属していた太めの針のようなものを突き刺した。あまり鋭くない針のようなものが刺さる程度に柔らかいようだ。
リナリアさんはそれをじっと見つめてから、真剣な顔で私の方を見た。
「……食べてみる?」
いや、待ってほしい。これは何なのだろうか。
嬉しそうな顔で購入していたため、恐らく好物なのだろう。そして今とても真剣な顔をしている。どうして。
私は少し悩んでから、それを受け取った。
今日は何度も彼女の提案を断っている。人間に気を使わせるなんて許される身分ではない。
受け取ったそれをとりあえず観察してみるが、何なのかさっぱり分からない。茶色くて、よく見ると湯気が立っている。加熱調理した何かだろうか。臭い……は、マスクをしているのであまり分からない。
……取ればいいのか。取らないと食べられないし。
一瞬だけリナリアさんを横目で見ると、彼女は真剣な顔のまま頷いた。それはどういう意味の頷きだろうか。
私は意を決して、窓の方を向きマスクを下ろした。
何かよく分からないが、一気に飲み込んでしまえばいい。私は深呼吸してそれを口の中に押し込ん
「……!」
……熱い。
………………熱い。
どうしていいか分からず口を手で覆った。
「ああっ! ごめんね、ごめんね! 熱いからフーフーしてねって言うの忘れてた!」
ふー……何だ?
リナリアさんの素の口調なのだろうか。犬猫のキメラや使役動物に話し掛ける時のブリーダーのようなトーンだ。
いや、そんなことより口の中の物体を咀嚼しなければ。
一先ず噛んでみるが何なのかさっぱり分からない。毎日同じ物しか食べていないせいで味覚が鈍っているので味も分からない。
外側は少し硬く、噛む度に軽快な音がする。中身は柔らかく、熱い汁が口の中に広がる。熱い。
私はなんとかそれを飲み込んだ。
喉から食道を通り、胃の中まで熱いものが通ったのが分かる。これが加熱調理された食品を食べる感覚なのか。
なんだか胃の中が温かい。喉が焼かれるのとは違い、心地良さを感じる。
「…………大丈夫?」
リナリアさんが不安げに覗き込んでくる。私は慌てて顔を背け、マスクを着け直した。それからリナリアさんの方を向いて頷くと、彼女は悲しげな表情から一気に嬉しそうな表情になった。
「どうだった?」
どう、とは。
感じたことを説明できるほどの語彙力を持ち合わせていないので、首を傾げておいた。
「……やっぱり」
リナリアさんは少し残念そうに項垂れてから、残りのそれをまた嬉しそうな顔で食べ始めた。
「これは鶏のお肉を油で揚げたものなんですよ」
なるほど、分からない。
肉類は見たことがある。獣系のキメラが好んで食べるものだ。加熱調理には「あげる」という方法があるのか。油で、どういう風になるのが「あげる」なのだろう。確かに熱した油をかけられたら熱いが、そういうことなのだろうか。
「そろそろ行こっか……あ、じゃなくて、行きましょうか」
リナリアさんが今更ながら口調を訂正した。
そんな今更、そもそも人間がキメラ兵に大して丁寧に話す必要は無い。
「……そのまま、でも」
「うん?」
私は何故か口に出してしまった。
慌てて顔を上げると、少し驚いたリナリアさんと目が合う。
私はすぐに首を横に振り、顔を背けてごめんなさいと呟いた。
「……帰ろっか」
リナリアさんはそう言ってエンジンをかけた。
優しい声だった。
分かってしまった。
私はまだ、彼女に話しかけてほしかったのだ。
もう会う事が無いのなら、あんなことを言う必要は無い。何かと話しかけてきたり気を使ったりと人間扱いしてくる彼女が苦手な筈なのに、おかしい。おかしくなってしまったのか。
本当は知りたかった。
彼女が選んだあれの名前はどういう意味なのか、店の中にあった蓋の無い冷凍庫の中身は、たくさん買っていたあれは、「あげる」とはどういう調理方法なのか。
おかしくなってしまった。
私には必要無い情報だ。
早く忘れなければ。
また食べてみたいなんて、もっと見てみたい、教えてほしいなんて、そんなこと、私は、私には。
窓の外を見た。
太陽が見たことの無い低い位置で、見たことの無い色をしている。
どうすれば忘れられるのだろう。
何も方法が思いつかない。
私はこれ以上また見たいものを増やさないようにと、目を閉じた。