4. Don't worry
「ほら、あっちにいっぱいかかってるよ」
私は防獣ネットを指差すA-1042番を呆然と見上げていた。
それは紐では無いのでは。そして勝手に使ったら怒られるのでは。しかもこれを取ったら人間の居住区域に侵入してくるのでは……あ、よく見ると柵がある。大丈夫か。
私は無い知恵を振り絞って何か良い方法が無いか考えた。しかしなかなか良い方法は思いつかない。
そもそもA-1042番だけで何とかできるのではないか?あんなに素早く動けて、かつ私を抱えても速度が落ちない。息切れもしていなかった。
私が黙って考えていると、A-1042番がしゃがんで不安げな表情で覗き込んできた。
「ごめんね……。実は僕、いつも指示されて動いてるだけだから、頭を使うのが苦手で……」
なるほど、そうだったのか。ならば仕方がないと思う。私も頭を使うのは苦手だ。
「ついでに言うとここの担当じゃないからあんまり地形に詳しくないんだ……」
なるほど、担当じゃないのか。ならば仕方がないと思う。私も担当ではないから……うん?
「……あの、担当区域は」
「市街周辺……」
「……仕事は」
「居住区域の警備と、侵入してきたレムレスの駆除……いつも指令員の指示に従って行動してる……」
なんだと。てっきり担当の生き残り(他の兵が死んでいる訳ではないが)かと思っていた。市街周辺から突然山に駆り出されたというのか。そして市街周辺を任されているとはやはり優秀なのか。
地形に詳しくない者2人を組ませるなんて余程人材不足なのだろうか。もしかすると優秀な彼ならばひとりでもどうにかなると思って、いざという時に私を囮にして逃がすために組ませたのかもしれない。
「普段はどんな風に……その、駆除するときの、こう……」
やり方? 戦法……? 何て言えばいいのか分からない。なんとか伝わってくれないか。
「どんなふう……? 駆除……ええと、追いかけて狙いやすい場所に誘導して、みんなで挟み撃ちみたいな。そんなに大きくなければ1人で追い込んで捕まえるよ」
なるほど、そんな風に獲物を捕まえているのか。
「そのような感じで、できませんか」
「……!」
A-1042番は一瞬とても嬉しそうな顔になったが、次の瞬間再び不安げな表情に戻った。表情に合わせて耳が上がったり下がったり忙しそうだ。
「できたらいいなとは思うけど……あんなに大きいやつ、僕が追いかけたくらいで逃げるか分からないし、追い込めるところが無いよね」
「……あれに」
私はネットを指差した。
「角を引っ掛けるなど……」
「角を」
「引っ掛からないでしょうか」
引っ掛からないだろうかと先程の鹿の方を見ると、まだこちらを見ている。何をそんなに警戒しているのか。
ふと向き直るとA-1042番も鹿のいる方向を見ていた。目標としっかり目を合わせている。
そういえば、動物にとっては目を合わせるのは威嚇行為だと聞いた気がする。
「……引っ掛からなくても、ネットに突っ込んでくれたら、動きは止められるかも」
「うん、そうだね。やってみようか」
A-1042番は目標をまっすぐ見詰めながら言った。
私は頷いた。
そういうわけで、私とA-1042番は防獣ネットの近くの木の上にいた。というより私が彼に運んでもらった。蹴り飛ばされた衝撃がまだ身体に残っていて登るのがきつかったのだ。そういえば人に頼み事をするのは初めてだったのだが、それがこの内容とは。
防獣ネットは柵に取り付けられていたが、この柵には電流が流れていた。これならあわよくば電流で気絶などしてくれるかもしれない。電流はとても痛かった。
適当に選んだ柵の支柱1本からネットを外し、上端の部分を手に持って木の上に待機する。ネットの反対側は支柱に付けたままの状態だ。
「ええと、僕があいつをここまでおびき寄せて、君がネットでガバーっとする、でいいのかな?」
「……はい」
A-1042番はネットをガバーっとするジェスチャー(恐らく)をしながら私に言った。
ガバーっ、とは……。いや、なんとなく伝わっているならそれでいい。
「うん、じゃあやってみるね」
A-1042番はそう言うと木から飛び降りた。
目標よりも更に遠くを目掛けて走っていき、すぐに姿が見えなくなる。
A-1042番が動いたことに気づいてか、目標が反対方向へと跳ねるように走り出した。やはり彼を警戒していたのだ。
「遅い!」
吠えるような鋭い声が一面に響く。
先程までの穏やかな口調が嘘のようだ。声に驚いた目標がこちらへ逃げてきた。
速い……。
全然遅くない。凄く速い。私は慌ててネットを持ち直し、落ちないように木にしがみついた。これはもしや、突き破られるのではないか。まあ、後ろには電気柵もあるので何とかなるだろう。電流で気絶してくれたら1番いいのだが。
「行ったぞ!」
A-1042番の声が聞こえた。
目標がこちらに突っ込んでくる。
物凄い音がした。
「Z君、どこ? 大丈夫?」
一瞬意識が飛んでしまったようだ。自分でも何処にいるか分からなかった。
私は声を頼りに木やら何やらの残骸の下から這い出した。全身が痛い。色々と折れたかもしれない。
「いたいた、よかった!」
A-1042番が笑顔で駆け寄ってくる。残骸をどけて私を助け起こしてくれた彼は、何故か頭から全身血塗れだった。
「喉のあたりを切ったらすごい血が出てきちゃって……なんか可哀想だね」
A-1042番は悲しげな表情で顔の血を拭った。どうやら目標に止めを刺したようだ。一応死亡を確認しておこうと、四つん這いでそれの元へ移動した。
近くで見るとやはり大きい。前半身にはネットが絡まっていたが、ところどころ破けている。周囲に暴れ回ったような痕跡があった。首から下は真っ赤に染まっており、よく見ると喉がかなり抉られていた。
噛み千切られたようだ。
彼が顔面血塗れの理由が分かった。刃物を使った方が早い気がするが……武器を持たないスタイルなのだろうか。
「ふぅ……とりあえずなんとかなってよかったよ。ありがとう。本部に連絡はしておいたから、しばらく待ってようか…………ん」
「ん……?」
見上げると、A-1042番は表情の無い顔で遠くを見ていた。何か居るのだろうか。
「ちょっとまってて」
彼はそう言い切る前に何処かへ向かって走り出した。どうしたのだろう。
私が呆気にとられていると、程なくしてA-1042番が、何か大きなものを抱えて戻って来た。A-1042番はこちらへゆっくりと歩きながら、それを駆除した死骸の上に向かって放り投げた。
鹿のレムレスの子供だった。
「さっきの子供がいたんだ」
A-1042番は何事も無かったかのような軽やかな口調で言った。
子供の死骸を見ると、首は骨だけで辛うじて繋がっており、脚が1本捥げていた。
「僕に気づく前に仕留められてよかった。怖い思いをさせないで済んだよ」
A-1042番は血塗れの袖で口元を拭い、舌舐めずりをした。
「あ、車の音だ。処理班がそろそろ来るかな?Z君、立てそう?」
A-1042番が手を差し伸べてきた。
私が少し躊躇っていると、しゃがんで私の腕を取り、そのまま背中に担ぎ上げた。背嚢のような感じで。
これはもしかして、文字通りのお荷物なのでは……。
「ごめんね、本当なら先輩の僕がちゃんと指示できないといけなかったのに」
「いえ、私は何も」
「ううん。僕ひとりだったら、きっともっと苦しい思いをさせてしまったかもしれない」
「…………」
何だか気まずくなった。
こんなに人と会話をしたのは初めてだ。
こんな風に運んでもらうのも、役に立たなくても怒られなかったのも……いや、それは後で別の人間に怒られるかもしれない。
できればもう、仕事で一緒にはなりたくないと思った。
迷惑をかけるのは、役に立たないのは、心苦しい。
私は何とも言えない気持ちで、いつもより高い景色を眺めた。