2. 白
ソリス・オルトゥス瘴気対策調査研究所中央支部は、瘴気の発生原因の調査及び瘴気の蔓延する環境下において異常な成長・進化を遂げた生物(通称:レムレス)の国内最大の生態調査研究施設である。
だそうだ。
パンフレットにそう書いてあった。
私は瘴気の調査や人間の居住区域に侵入したレムレスの駆除の為に造られた、レムレスと人間のキメラ、のうちの失敗作である。人間に何を混ぜたのかは分からない。
ついでに瘴気とは何かもよく分かっていない。
此処で造られたからには当然ずっと此処で暮らしている訳であるが、ほとんど外出しないため未だに建物の正確な場所が分からない。
というわけで学生・一般市民用のパンフレットを持ち歩いていた。
医療棟にはよく訪れるが、何度来ても道が覚えられない。同じような建物ばかり並んでいるのだ。
この建物は苦手だ。
内壁まで清潔感のある白で、吐き気がするほど眩しい。
私は「自分に輸血する為の血液のストックを採ってもらう」という何とも言えない理由で此処を訪れていた。
私は再生力しか取り柄がない、ほぼ普通の人間だ。そしてその再生力も脳が正常に機能していないと低下するようで、以前何かの任務で半身が吹き飛ばされた際、大量失血による機能低下で上手く再生できずに中途半端な外見になってしまった。
別に外見がどうなろうと扱いが変わるわけでも無いので気にしてはいないが、新人医療職員が死体同然の姿で歩いて帰って来た私を見て嘔吐した上失神するという事案が発生したため、非常に申し訳なく思い、ちゃんと再生できるよう気をつけるようにはなった。
今の時間帯は人が少ない。
此処には大きく分けて2種類の職員がいる。
よく分からないが分類ごとに決められた配色の制服を着たキメラ兵と、白が基調の制服を着た研究員、医療従事者などの一般職員だ。
多くのキメラ兵は日中は外で警備やら調査同行やらで忙しいらしい。
白い制服の職員ばかりの白い空間で全身黒ずくめ、目しか見えていない状態の私は明らかに浮いていた。
あまりにも場違いなため早く立ち去ってしまいたかったが、大量に血液を失ったせいで自室まで戻る元気が無い。
――何かある度にすぐストックが無くなるなぁ。予定が無い日にたくさん採っておこう。
あれは完全に担当職員の独り言だった。
ストックは2袋できた。
立ち上がるのも億劫だが、用が済んだのにも関わらず待合室に居座るのは邪魔になる気がして胃が痛くなってきた。私は椅子やら壁やらに縋りながら何とか外に出ると、建物の影に逃げ込んだ。
外壁に寄りかかり、そのまま崩れ落ちるように座り込む。
建物の中も眩しいが、外も眩しい。
眩しいのは苦手だ。
私は目を閉じて膝に顔を埋めた。
「……大丈夫ですか?」
女性の声がした。
何故か完全に隠れたつもりになっていたが、誰かに見つかってしまったようだ。
私は慌てて顔を上げた。
「あ、この間の……!」
この間の女性職員だった。
全体的に明るい配色で眩しかったので目を逸らした。
「怪我は大丈夫でしたか?お礼を言いたかったんですが、先輩に聞いても所属が分からなくて……」
女性職員が隣にしゃがみ込んで控えめな声で話し掛けてくる。
分からなくて当然だ。所属は無い。ただの補填要員である。
そしてお礼を言われるような立場でもない。
私はこんなに至近距離で話し掛けられたことも、気遣われるような言葉をかけられたことも無いため、反応に困り黙っていると、彼女は困った顔で覗き込んできた。
「すみません、今する話ではないですよね……。どこか具合が悪いのですか?」
近い。
体調が悪そうな相手に対し大声を出さない為の配慮なのだろうが、それにしても近い。新手の拷問のようだ。
具合よりも居心地が悪い。
私は首を横に振り、立ち上がろうとしたが、その瞬間強烈な目眩を感じてまた元の位置に座り込んだ。
恥ずかしかった。
もう挽肉にされてもいいから今すぐ処分してほしい。
「……貧血かな?もうちょっと休んでから、ゆっくり立ちましょうね」
今まで聞いたことが無いくらいに柔らかい声だった。猟犬を褒める時の訓練職員の声に少し似ている。
何か得体の知れないものに対する恐怖を感じたのか、動悸が激しくなった。
今すぐ此処から逃げなくては。
「大丈夫です」
私は自分でも喋っているのか分からないくらいの声で呟き、言われた通りにゆっくりと立ち上がる。
「本当に大丈夫ですか?」
どうやらちゃんと聞こえていたらしい。彼女は私に合わせて立ち上がった。私が少しだけ彼女の方を向いて頷くと、彼女は微笑んだ。
「先日は本当にありがとうございました。色々びっくりしたけれど、あんなに早く助けに来てくれるなんて思わなくて、本当に、本当に感謝しています」
……何?この人は何を言っているんだ?
今まで聞いたことの無いフレーズが連続して上手く処理できなかったので、首を横に振って立ち去ろうとする。
すると彼女に袖を少しだけつまんで引き止められた。
何を考えているのかが分からないのが非常に怖い。 私はいつでも走り出せるように体制を整えながら恐る恐る振り返る。
「あの、これ」
彼女は何か小さな紙を私に差し出した。
「アリカ・リナリアです。ここで診療補助員兼相談員をしています。まだ新人なので不慣れな事も多いけれど、何か困ったことがあったらいつでも連絡してくださいね」
何か分からないが、彼女が首から下げている職員証のケースに入っているような紙に似ている。写真が無くて、連絡先が書いてある。職員証とは違うものだろうか。
考えても分かるわけがないので、とりあえず会釈して急ぎ足で立ち去った。
彼女は私の姿が見えなくなるまで同じ場所にいた。ちゃんと帰れるかを監視されているようで気が気でなかったので、私は途中の適当な建物に逃げ込んだ。
人気のない場所を探して再び座り込む。
ふと、先程の紙切れを見てみた。
名前以外は初めて見る単語でよく分からなかった。
名前。
もし私が名前を聞かれたら何と答えるべきなのだろう。
Z-0046番、でいいのだろうか。
いや、これはただの製造番号か。
名前とは一体何なのだろう。
私は通りがかった清掃員に躓かれるまで、黙って座り込んでいた。
アリカ・リナリア
所属:第1医療棟
役職:一般職員
職種:診療補助員/相談員
――本人の名刺より