第6話 蜘蛛の集まる場所
わたしは蜘蛛になって街の中を散歩している。まさか蜘蛛の気分を味わえるとは思わなかった。蜘蛛の状態だと夜目が効くどころの話ではない。暗闇であるにもかかわらず、迷う事なく歩けるのだ。時々、走り行く人たちに踏みつけられる事もあるが、すぐ再生するので気にしない。
「さあ、急げ。この教会の地下なら安全だ。急ぐんだ!」と、金髪の男、サルマ・ルバンシュという名前の男は叫んでいる。以前にも魔王リリスのいる大陸で宵闇のカーテンを体験したらしく、その時も教会に人を集めてやり過ごした経験があるとサルマ・ルバンシュは熱く語っていた。この男の登場はわたしたちにとっては予定外だった。まさか宵闇のカーテンを体験した事のある人間が港町に来ているとは思わなかったからだ。サルマ・ルバンシュの演説をわたしは増幅と拡声の魔術によって港町ベルナトスへ広めた。
おかげで予想以上の人数が集まった。その数はもうすぐ500人を超えようとしている。
修道女の姿をしたベレッカが蜘蛛になった”わたし”に聞こえるように語る。
「リズ様、500人集まりました」それだけ言うとベレッカは教会の地下へ方向転換して帰って行く。
わたしはそれを見届けると、新たに人形にした修道女アンヌを呼び出す事にした。「アンヌ、来なさい」と、蜘蛛のまま声を出せるはずも無く、わたしは思う事にした。アンヌ、来なさいと。
修道女アンヌは紅茶をお盆に乗せてやってくる。
「サルマ様・・・そろそろ下へ降りて来られてはどうですか?」と、サルマに紅茶を渡す。
「そうですね。今何百人ぐらい集まりました?」と、サルマは聞く。
「はい、サルマ様を入れてちょうど500人ですわ」と、修道女アンヌは答える。
「それでは下へおります」と、サルマは歩き出した。アンヌの後に続く。大教会の赤い大扉の前に来ると、わたしの人形たちが、扉をゆっくりと開けて、人間であるサルマを迎え入れ、静かに閉じた。
サルマの前と後ろには修道女がついている。1人を案内するのに2人で案内する様にサルマは安心感を抱いているのか笑顔を見せる。「ここで退避していれば安全です。この聖なる場所にいれば魔王の魔の手など何も怖くありません」と、サルマは言う。わたしは修道女たちがわたしの人形である事をサルマに対して申し訳なく思った。ごめんね。もちろん、今は蜘蛛の姿なので声は聞こえないだろう。
階段を降りて行くとまた赤い扉がある。赤い扉・・・上位契約者の扉に似せて赤いペンキで塗られた扉はわたしの人形たちによって開かれる。サルマの演説で集まった499人以上の避難民たちが教会の机を椅子がわりにして紅茶を飲み、パンを食べながらくつろいでいる。
その奥には教壇があって今は誰もいない。教壇はわたしが集まる場所だから空けてくれているのだ。
「自分もこの辺に座って紅茶をいただきたい。それにパンも」と、サルマは案内してくれている修道女アンヌに話しかけた。
「いえいえ、サルマ様にはいちばん前の席を用意しています。」と、修道女アンヌは答える。
「そうですか。そういう事なら」と、サルマはいちばん前の席へ案内された。座ると紅茶とパンを与えられて嬉しいそうにほおばっている。
「おかわりは自由ですので」と、修道女アンヌは言って去って行く。500人そろったな。わたしはオーロラおばさんを呼ぶ。まあ、思うだけなのだが。
オーロラおばさんは教壇の前側に立って、手を叩いた。
「お集まりの皆様、お集まりの皆様、どうぞ注目してください」と、オーロラおばさんは修道女の姿で大声で話してくれる。
「何か催し物ですか?なかなか手が込んでいますね」と、サルマは感心したように言う。
「ええ、当教会の主をお呼びいたします」と、オーロラおばさんはにっこりと笑う。
「へえ。それは楽しみですね」と、サルマは机に座り直す。他の499人もドキドキしているように見える。今から蜘蛛であるわたしが集まるだけなのだが。それがそんなに楽しみなのだろうか。
まあ、知らないという事はそういう事かもしれないな。ジャックや、メフィストフェレスは最後に現れるように手配している。
教壇の後ろ側へ蜘蛛が集まって行く。”わたし”が集まって行く。
そう、”わたし”だ。
「きゃ、蜘蛛よ。蜘蛛が床にいるわ」と、誰かが言う。
「蜘蛛が行列を作っているなんて。何かの前ぶれだろうか」
「気持ち悪い蜘蛛め」と、足で踏みつける者もいる。
「ねえ、この蜘蛛たちどこへ向かっているの?なんか気味が悪いわ」
「おい、もしかして教壇に集まっているんじゃ」
「おいおい、蜘蛛の怪物でも見せてくれるのか?」と、ヤジが飛びだした。
「・・・・・・」ヤジは止まった。いや、誰も話さなくなった。
何だ?どうした?うん?怯えているな。
目が再生されたのか?そう言えば見上げなくてもよくなっている。どちらかと言うと今は見下ろしている。
500人を?ああ、黒いヒールがわたしを浮かせているのか。
なんだ、目だけで身体はまだ蜘蛛のままじゃないか。
真っ黒い蜘蛛の化物が宙に浮かび上がり、それも自分たちと同じ目が・・・。
わたしの目は赤い。同じじゃないか。
ふふ、気味悪がられているというわけか。
そろそろ頃合いだな。ジャック。
となりにジャックが現れる。カボチャ顔のお化けだ。今日もランタンを持っている。
見る者によってジャックの持ち物は変化するらしい。そうおばさんに教えてもらった。
おばさんもメフィストフェレスの魔力を吸い出して、わたしの人形になってもらった。
誰も声を出さない。
逃げ出そうとすらしない。
わたしの皮膚が徐々に再生されて行く。わたしは裸体をさらす事になるがそれはいい。そのあと、黒いイブニングドレスも再生されて行く。
「メフィストフェレス」と、わたしはつぶやく。
<<お呼びですか、リズ様>>
珍しく執事姿でわたしの横に現れる。というか、そういう段取りだったわね。
目と鼻の無い顔。
そろそろ叫び声が上がってもいいのに。魔王の声は脳に響くから。
「ここは教会ですよね」と、立ち上がり、やってきたのはサルマと呼ばれた男性だった。
「はい、ここはわたし、リスティア・ウィズ・クラインを信仰する教会ですわ」と、わたしはサルマに告げた。サルマは頭を押さえて、膝を地面につける。
「ヴァルス・ウィズ・クラインの娘?宵闇のカーテンを起こした魔女の娘?いやいやいや、聞き違いをしただけだ。そんなことが起こってたまるか。ここが魔女の巣窟だなんて・・・嘘でしょ。うそだと言ってください。ねえ」と、サルマは突然立ち上がり、わたしをの胸ぐらをつかんでくる。わたしは少し息苦しいなと感じつつも
「母さんを知っているの?どこ?母さんはどこへ行ったの?」
「はは、知っていても教えるものか。誰が、誰がお前なんぞに」と、サルマは叫び、わたしを殴ろうとしてきた。「メフィストフェレス、腕を」サルマの振り上げた腕は切断されて落とされる。サルマは痛みで後ろへ倒れる。「母さんはどこに行ったの?」
「竜が支配する大陸ムースに」と、サルマはすっかり怯えた表情になっている。
「そう、ありがとう・・・サルマさん。そしてさよなら」それが合図になり、サルマの首は消えた。
いや、食べられたのだろう。黒い狼が見える。ああ、フェンリルも身体を分離させていたのか。わたしは今ごろそれに気づく。残り499人も首が消えていた。心臓は「集めて」わたしはそう短く命令した。
499人の心臓が分離した黒い狼に食べられていく。
<<サタンとの上位契約を結ばれました。リズ様、心臓を捧げるならサタンを使用できます。サタンの能力は脳に声を響かせる力です。サタンは姿を見せません。以上です>>と、メフィストフェレスの低い声が脳裏に響く。
わたしは静かに笑った。さあ、母に復讐しましょう