第一章〜三通りの道しるべ(6)〜
「だけどっ……僕は間違ってるんじゃないか。って、不安で……不安で、怖くて、勝てる気がしない。自分自身を信じられないんだっ!」
「あまったれんじゃないよ!」
大声で叫びに近いラジウの声に反論するかのように、キヴィも出来るだけの大声で怒鳴った。
びくっとラジウが身を強ばらせ、キヴィを凝視する。
「あんたは善悪が解らないほど幼いのかい!? 自分で何が正しくて、何が間違ってるのか判断もできないのかい!? ぇえ! どうなんだい!? 他人の言葉に惑わされるんじゃないよっ!」
キヴィは、一気に怒鳴り散らしたせいか息遣いが荒い。
一回息を吸って呼吸を整えるとラジウを見た。反論されると思ったからだ。
「……あんたは、僕を信じてくれる?」
返って来たのは自分をじっと見つめる涙に濡れた青い瞳と、思いもよらない問いかけだった。
今度はキヴィが眼を見開いてきょとんとラジウを見る。
「僕が、正しいと思う?」
返事を返さないキヴィに、もう一度問いかけるラジウ。
青い瞳に見られてキヴィは溜め息をついた。それは、キヴィが訴えかけることをやっとラジウが理解したということ、返答の問いかけに呆れていることを示していた。
彼女に対して、ラジウは頬を膨らませる。
「自分で判断くらいできるよ。できるっ……けどね、人の言葉に左右されるな。なんて、無理だよ。やっぱり気になるもん。……だから、さ」
じっとキヴィを見ていたかと思うと、恥ずかしそうに苦笑した。
キヴィは、そのはにかみ笑いに彼の気持ちが出ていることに気付く。そして、同じく苦笑って、彼の次の言葉を待った。自分が何も言わなくても、彼なら自分で言えるだろうと感じたから。
「あんたの言葉で僕を左右してよ」
期待通りの言葉に、キヴィは思わず吹き出した。口を押さえながら笑いを堪えて肩を震わせる。
そんな彼女の反応にラジウは顔中。いや、耳まで真っ赤にして眼を反らした。しかし、表情は頬を膨らませてすねているようだ。
「っ……あんた、もう心はすでに決まってるんだね。まったく、後一押しが欲しいだなんて自分から言うなんて……ぷっ」
キヴィはなんとか笑いを堪えて言葉を綴った。すねているラジウを、さもおかしそうに見ながらである。
「うるっさいな~っ! だって、そう思ったんだもん!」
「あはははは。ごめんごめん。まったくあんたは……気に入ったよ」
ラジウは大口を開けてキヴィに食ってかかる。顔はまだ真っ赤。対してキヴィは、涙目になるまで大爆笑。そして、その涙を拭ってポンと膝を叩いたかと思うと、立ち上がった。
ラジウは大口を開けたままポカンと彼女を見上げる。
「ラジウ、あたしは正義なんてくそくらえと思ってる。だから、正しいなんて言えやしないけど、あんたは勝てるって信じてるよ」
キヴィが、柔らかい笑みを浮かべ、ラジウにそう言った。すると、パァっとラジウの顔が明るくなる。それを確認して、クレクはほっと胸を撫でおろした。二人のやりとりにおろおろとしながら入るに入れなかった彼にとって、このことはとても良かったに違いない。
「さて、シルキアを見返したいかい?」
「うん!」
「勝ちたいかい?」
「もちろん!」
ラジウは涙に濡れた目を拭い、キヴィの言葉に大きく首を縦に振る。そして元気よく立ち上がった。顔は、悪戯っぽくキヴィに微笑んでいる。
キヴィはそんなラジウよりも子供っぽく、悪戯じみた緑眼を光らせた。
「よし! それじゃあ、わたしと勝負しようか!」
「へっ?」
ラジウは彼女をきょとんと見上げた。
そんなことお構いなしに、キヴィは白衣のポケットからゴム玉を取り出す。ゴム玉はテニスボールくらい。それをラジウにつき出すように見せた。
「か弱いわたしに勝てないで、あいつらには勝てないだろう? このキヴィ様から、このボールを奪ってみるんだね。時間は無制限。道具の使用は一切不可。以上がルールだよ。ほら、来な」
ゴムボールを持っていない方の手で、キヴィは人指し指を動かしてラジウを挑発した。
「くっそー! なめないでほしいなっ!」
馬鹿にされたと思ったラジウは、一度頬を膨らませ、地面を勢いよく蹴った。一気にキヴィとの間をつめる。
「行くよ! おばさん!!」
そして、大声で宣言し、ゴムボールに手を伸ばした。
ゴンっ!!
大きな鈍い音が辺りに響く。
「だーれが、おばさんだって!? あたしゃ、こう見えても二十歳になったばかりだよ!!?」
大きな音の原因は、横にずれてラジウを避けたキヴィが彼の頭に思いっきり肘鉄を食らわせたせいだった。やけにばかでかい声で巻くし立てながらである。また、数メートル先で止まり、振り返ると同時に、ラジウに向かって中指をおったてて見せた。ようは戦線布告である。
「そんな風に言うガキに、手加減なんてしてやらないからね! 覚悟おし!」
「望むところだよ!」
痛みに頭を抱えてうずくまっていたラジウだが、キッとキヴィを睨みつけた。それからスクッと立ち上がり、またキヴィ目がけて走り出した。
そんな様子を、クレクは溜め息をついて見ている。しかし、溜め息をついているわりに、顔は微笑ましそうだ。子供相手に真剣に遊ぶキヴィの楽しそうな顔と、避けられては転がり悔しがるラジウのランランと輝くいつもの瞳に。
クレクは微笑みながらも、きっと彼女がしたことは、自分では決してできなかっただろう。と感じていた。
「さて、二人が疲れたら、きっとお腹も空くことでしょう」
そう呟いて、クレクは屋敷の奥へと消えていった。まだまだ元気に遊ぶラジウとキヴィを残して。