第五章~事実と宿命~
静かな夜明けが開け、鳥が鳴く朝焼けの空。その下で、丘に立つ城は新しい朝を迎えようとしていた。
朝早くから聞こえる大人たちのざわめき。その中でこの城の主、まだ少年のラジウは廊下で一人の若者の服を掴んでいた。
「シルキア、今日は僕と遊ぶって言ったじゃんかーっ!」
「ずっるーい! 俺と遊べよ、シルキアっ!」
そしてもう一人、黄緑色の髪をてっぺんで結んだ少女が一人、同じく若者の手を掴んで引きとめようとしている。
流石に子ども二人の必死の抵抗と体重は重いのか、シルキアと呼ばれた青年は密かに眉根を寄せ、じりじりと前に進むしかない。
「こーらっ、あんた達! あたし達はこれから会議なんだよ、子どもは子どもらしく二人で遊んできなっ!」
困っているシルキアを見かねたように歩み寄ってきたお団子頭のキヴィが、ラジウと少女カズンの頭を本でスペン! っと軽く叩いて手を離させてやる。しかし、シルキアは三人を一瞥するだけだ。
「いったーいっ! だって、シルキアと約束~っ!」
「だいっじな話し合いなんだよっ! 終わったらあたしが連れてってあげるから、先に遊んどいで、ほら、いったいった!」
不満たらたらのラジウとカズンを一蹴し、キヴィは二人を追い払おうと立ち上がらせて背中を押す。
ちぇっと唇を尖らすものの、二人は顔を見合わせると肩を竦めて諦めたようにため息を吐く。
「キヴィ、絶対だよ!」
「シルキア、僕達先に釣り場に行ってるから、来てよね!」
そして口々に言葉を口にすると、すぐに背中を向けて駆けて行く。途中競争になったようで、二人はなにやら言い合いながら楽しそうに姿を消した。
「ったく、元気だねぇ」
「あぁ……話、とはなんだ?」
しみじみと腕組をして見送っているキヴィに、シルキアは黒い瞳を向けて問いかける。ちゃっかり話は聞いてるんだね。とキヴィは肩を竦ませてみせた。
「ずっとしてきてる話だよ。この城の城壁。そして、向こう側、魔物の動き。今朝、その魔物の動きに変動があったようでね、それについてだよ」
「そうか……行くぞ」
「あぁ、わかってる」
ため息交じりのキヴィの肩を軽く叩いて、知る気は方向転換をする。キヴィも彼に従って会議の場所、広場へと足を向けた。これからの話し合いに向けて。
結局キヴィに湖の畔に追いやられたラジウとカズンは、釣竿を持ってこなかったために暇を持て余していた。
岩に座りながらぼーっと二人して湖と森の景色を眺めている。ラジウは、この湖で起こった出来事を少なからず思い出してしまうためか、時折立ち上がってみたり、寝転がったりして、そわそわしていた。
「だーっ! うっとおしいなっ、シルキアがそんな簡単にくるわけないだろっ!」
「わ、わかってるよっ。この一ヶ月ずっとそうだし……何かずっと話してて結局夕方になっても来ないなんてわかってるよ。でも、やっぱ、ほら、暇じゃんか」
我慢しきれなくなったカズンが叫ぶとラジウはうっと呻いてしどろもどろに言い訳を口にする。しかし、どうにも機嫌を損ねてしまったカズンは顔をラジウの方に向けてくれようとはしない。
「うー……あ、そうだカズン! ちょっと特殊なおいかけっこしようよ!」
「おいかけっこ~?」
どうにか興味を引きたくて、ラジウは大げさな身振り手振りをしながらカズンに提案を出す。カズンも少しは気に掛かった様子で、不機嫌ながらも問い返してきた。今のところラジウしか遊び相手がいないからなのかもしれないが。
「そうそう! 普通においかけっこするんじゃなくてさ。この湖の畔を囲ってる岩の上をぐるぐる回っておいかけっこしようよ!」
「それって、両方とも鬼。みたいな感じ?」
「そうそう、僕が半分まで行ったらカズンがスタートで、どうかな?」
話して行くと、カズンの表情が和らいで、目が輝いてくる。しめた! っとラジウは内心でガッツポーズをしながら、問いかけると、カズンは頷いて立ち上がった。ぶんぶんっと腕を振り回して準備運動、やる気満々だ。
「なぁ、ラジウ。負けた奴が勝った奴の言うことを一つ聞く。っていうのどうだ?」
「いいよ、僕、負けないもん!」
「言ってろ、ぜったーい俺だって負けないんだからなっ!」
カズンの提案に乗って宣戦布告をしたのが気に障ったのか、カズンはビシっとラジウに指を立て付けて対抗した。ラジウはにんまりと楽しそうに笑う。
「僕、ちっちゃい頃からやってる遊びだから自信あるもんねー! じゃあ、先行くよ!」
「あっ、ずるっ!」
へへっと笑って、ラジウはカズンが止めるのも聞かずに湖を囲む岩に登り、一つ一つに足を乗せて軽々と駆けて行く。ごつごつとした岩は決して平面だけでもなければ、斜めっているのさえある。しかし、しっかりとバランスをとっているのだ。
そうこうしているうちにラジウがカズンが立っている丁度正面へと到達する。カズンもラジウを真似て、岩へと登る。思ったよりも急な角度に一瞬よろめくも、負けたくない。という気持ちからなんとか踏ん張って彼の後を追った。
けれど、よろよろと足はよろめいておぼつかない。ぐんぐんとラジウが距離を縮めてきて、カズンもなんとかそれから逃げるように足を進めた。
「ちょっと、ハンデぐらいくれてもいいじゃん!」
もう少しで追いつかれるところで、カズンは振り向いてラジウに抗議をした。足元がおぼつかないせいで、不満たらたらなのだ。
ラジウは足を止めると唇を尖らせて手を後ろに組みながらぶーぶーっと抗議する。
「もう、しょうがないなー。シルキアなんて一発でできたよ~? なんて、10秒数えてあげる」
「くそっ、覚えてろよっ!」
へへ~んっと鼻を擦りながら、余裕ありげに上から目線で発言するラジウにカズンは頬を引きつらせて捨て台詞を吐いた。そして、ラジウが数を数え始めると同時に岩を蹴る。
一週目、なんとか足も慣れて来た。まだ半分先にいるラジウは、動かない。背中が迫ってきた。そう思った瞬間、ラジウが動いた。カズンよりも早い動きだ。
「待て!」
「やーなこった!」
どんどんと引き離されていく。そんな広くもない湖だ、二週目はすぐにやってきた。けれど、ラジウは三週目。カズンが二週目を終わる直前でラジウは後ろに迫って来ているのだ。
「つっかまえたー!」
ラジウが手を伸ばした。カズンの身体が衝撃で前につんのめり、突き出した岩から落ちる。
カズン青くさい草の中へとダイブするはめになったのだ。
「ったぁ! ラジウ、押すのはやめ……えっ?」
顔の中心、鼻を押さえながら起き上がり、カズンは文句を言おうと振り返った。しかし、岩の上には誰もいない。森の風景が向こう側にくっきりと見えているのだ。
カズンは慌てて辺りを見回した。けれど、目立つ金髪の髪はどこにもない。呆然としてカズンは目を瞬く。
「ラ……ジウ?」
名前を呼んで湖をそっと覗き込む。もしかしたら落ちたのかもしれない。そう思ったからだ。しかし、湖はまったく水面が揺れていなかった。ついさっき落ちたなら、まだ水面が揺れていてもおかしくないはずだ。
辺りをもう一度見回す。けれど、やはり緑と青だけが世界を支配していた。
「……どこ、行ったんだ?」
カズンは体を起こすと、不思議そうに足を踏み出した。ラジウは、おいかけっこの途中でいなくなった。こうやって、岩の上を走って、俺が二週目、ラジウが三週目。と、ぶつぶつ言葉を零しながらカズンは岩の上をゆっくりと歩いて行く。
半分を過ぎた頃だ。何か、カズンの視界に妙なものが移りこんだ。白い、光。のようだ。始めた箇所、わかり易いからと一際大きな岩、いつも釣りをする岩の上の部分、空中が白く輝きを放っているのだ。
不思議に思って一歩下がってみる。すると、光は消えて、いつもの風景が広がった。一歩踏み出してみると、また白い光がその空間に現れる。
カズンはゆっくりと白い光へと近づいた。間近で見ても白くて、先に何があるか見えないくらいだ。
「なんだ、これ? ラジウ、こん中に落ちたのか?」
眉を潜めて、カズンはじっとその光を見た。しかし、特に何かを感じることもなく、ただ存在しているだけのような、漂うイメージをカズンは受けた。
だから、少し途惑ったものの、そっと手を伸ばして、体を白い光の中へ滑り込ませたのである。
カズンが白い光に飲み込まれると、湖は静まり返った。誰もいなくなったのだ。