第一章〜三通りの道しるべ(5)〜
「……どんだけあの子は泣いたんだい?」
キヴィは、後ろに立っているであろうクレクに呟くように言った。
その口調は、さっきまでのどの声よりも低くて、真剣そのものだ。
「……」
クレクは、その問いに答えられずに顔を下に向ける。
また、返答がなくても、キヴィは言葉を続けた。
「目が酷く腫れ上がってたし、喉も若干赤く腫れてたよ。それと、あの子の目は……何かに怯えている」
「……」
いつまでも黙っているクレクに、キヴィは振り向いてグッと彼の胸ぐらを掴んだ。そして、口を大きく開けた。
「あんたがしっかりしなきゃいけないんだろ!? ここに連れてきた、あんたが責任持たなきゃいけないんだろ!!?」
「……すいません」
クレクを見据えて怒鳴り散らすキヴィ。そんな彼女に、苦笑い、眉を潜め、顔を歪めて、クレクは謝りの言葉を述べた。
その目は、さっきのラジウの瞳よりも弱々しく輝きがない。
そんな彼の表情を見て、キヴィは眉を寄せ、やるせないといった顔をした。
「っ……なんて顔するんだい。そんなんじゃあ、あんたの方があの子よりよっぽど辛そうで何かあるみたい……」
「余計なお世話ですよ。キヴィさん」
キヴィの言葉をさっきと同じ優しい声色のまま、クレクは遮った。そして、彼女の手をそっと取り外す。
しかし、声やその仕草に相反してその紫色の瞳は細められ、酷く冷たくキヴィを見透かしており、口許に笑みさえもなかった。
「さ、ラジウ様を見ていないと。また何かしでかしかねますから」
クレクはにっこりと笑んで、先ほどキヴィがラジウにしたように、彼女を部屋の外へと押し出した。また、自分も外に出てから扉を閉める。
廊下には、ラジウが膨れっ面をして立っており、その目はさっきよりも遥かに赤みを帯ていた。そのことからして、また彼は泣いていたのであろうことが、二人には手に取るようにわかったのである。
キヴィはチラリとクレクを見た。そこには、会った時とまったく変わらない笑顔が、自分とラジウを見ていた。キヴィは口の先端を上げ、苦笑った。まったくもって彼の内心が掴みとれなかったから。
そして、溜め息をつきながらラジウに向き直る。その行動に、ラジウは眉を潜めて彼女をいぶかしげに見上げた。
「ま、いいわ。ちっこいの、おいで」
そう言うと、キヴィはラジウの小さくて細い腕を掴み歩き出す。と言っても、廊下を横断した、手摺の部分までだが。
「よっと」
彼女は手摺の所まで歩いてくると、ラジウを手摺の向こう側に放り投げた。
「うわっ!?」
「ラジウ様!!」
慌ててラジウは受け身を取り、草地を転がった。クレクはその様子を目を丸くして凝視する。
キヴィは周りを気にすることなく、自分もフェンスに片手をつき、向こう側に飛び出た。
「ラジウっつったっけ? あんた、シルキアに泣かされたんだろ? 金髪の山賊さ」
キヴィはラジウと向かい合うように立ち、強気な態度のままに言った。
ラジウは、彼女の言葉に手をついて座ったままうつむいてしまう。
「……悔しくないのかい?」
「悔しい……悔しいけどっ! ……怖かったんだ」
バッと顔を上げたかと思うと、声の調子と共にゆっくりと降下していく。
「父上のこと言われて、ドキっとして。僕はここにいちゃいけないんだ。って。僕は間違ってるんだってっ。そう言われた気がしたんだ……」
目から次々に大粒の涙を流しながら、つっかえつっかえにラジウは話を続けた。
キヴィは、そんな彼の腫れた眼が更に赤くなるのを見て、眉をひそめる。しかし、クレクがラジウに走りよろうと動く前に、彼女は躊躇わず口を開いた。
「悔しかったら、見返してやりな」
「でも……怖いよ」
「怖かったら元を断つんだよ。奴を負かして、あんたの自信取り戻しな!」
きっぱり言い放つキヴィに、ラジウは首を横に振って小さな、今にも消え入りそうな声で呟く。それに対して、キヴィはさっきよりも大きな声で反論した。
「……勝てると思うの?」
ラジウはうらめしそうにキヴィを見上げた。
その目は勝てるわけがないじゃん。とキヴィに訴えている。
「勝つ自信がないやつに勝利なんてないね。自身を信じれない奴は、強くなんてなれないよ」
「だけどっ!!」
ラジウは大声でキヴィの言葉の最後をかき消した。拳を握り締め、肩をわなわなと震わせている。
彼も、そんなことは言われなくてもわかっているのだ。けれど、一度覚えてしまった恐怖と、敗北を認めてしまった弱さは、なかなか勝てるということに繋がらないのだ。