第一章〜三通りの道しるべ(4)〜
1日寝て、2日目の昼になっても、ラジウにはいつもの元気がなかった。起きてはいるものの、布団を被り、ベットの端に足を抱え座り込んでいる。食事は少し口をつけるものの、ほとんど残し、クレクはそれが心配だった。けれど、彼はラジウに無理矢理食べろなどは決して言わなかった。ただ、見守っているだけ。
今日も他の子供達は庭で遊んでおり、クレクはラジウのそばで本を読んでいた。
「ぉーぃ!」
広間の方から、小さくだが声が聞こえてきた。クレクは疑問に思い、本を机に置き耳を澄ます。
「誰かいないのかい!?」
少し怒ったような高い声が、さっきより大きく聞こえた。
声からして、女性か若い男。クレクはラジウに、ここで待つよう注意を促し、広間へと出ていった。
「はーい、今行きます!」
クレクは、広間に向かいながら大声で返事を返す。なぜなら、その声はここにいるであろう人に、ずっと呼び掛けていたからだ。
「あぁ、いたいた」
広間に出ると、白衣に身を包んだ女性が立っていた。
彼女は、青とも緑とも言えるような長い髪を、お団子状に結んでいる。顔は美人とは言いがたいが、引き締まった気の強そうな瞳が独特で。それが、彼女の魅力なのだと、クレクは思った。
けれど、彼女をクレクは知らない。見たことがない顔だ。
「えっと……」
「あぁ、私はキヴィ。医者です。一応」
キヴィと名乗る女性は、にっこりと笑んだ。
最後の言葉が多少気になりはしたが、クレクもキヴィ同様に笑みを浮かべ、言葉を返す。
「私はクレクです。キヴィさんは、この城に何か用ですか?」
「えぇ。と、いうわけで、ジャマさせてもらうよ」
キヴィは、なかば強引にクレクが来た方向に歩き出す。そんな彼女の行動に、クレクはポカンと口を開けてつっ立っていた。
「何をモタモタしてるんだい? とっとと子供のとこまで案内しな」
ボケッとつっ立っているクレクに、さっきよりも低い独特の声で、キヴィは言った。
彼女は見た目からして、明らかにクレクより年下だ。しかも、面識などまったくないはずなのに、彼女はきっぱりと次の行動を彼に指し示している。
どうやらこのキヴィという女性は、気持が高ぶると、いつもの口調に戻るらしい。と、クレクは勝手に解釈をした。そして、足早にキヴィを追い、一緒に歩き始めた。
「キヴィさんは、ラジウ様をご存じなのですか?」
「いいえ。まったく知りません」
さらりと答える高い声に、クレクはその場に立ち止まった。キヴィは気にも止めずに、廊下を突き進む。
「私は、シルキアからここに来るように言われただけです」
不思議そうな顔をしているクレクに、キヴィは振り向きもせずに言った。
「シルキア?」
「寝癖ばっかついてる金髪で、無愛想な奴さ。アレンっていう、赤髪の軽い男と一緒に、あんた達に会ったって言ってたけどねぇ」
「あぁ……あの山賊の。あの方が?」
「あいつらが山賊なんて、ちゃんちゃらおかしいね。なんだかんだであいつ、子供好きなのよ」
いぶかしげに首を傾げるクレクと、豪快に笑いながら歩くキヴィは、まるで正反対。
クレクは苦笑って、キヴィの後を追い、彼女の肩を掴んだ。
「キヴィさん、ここですよ」
そして、左の扉を親指で指す。キヴィがさっさと歩き過ぎて、ラジウがいる場所を通り過ぎそうになったのだ。
「おや、ここかい」
キヴィは止まり、扉の正面に立つ。それから躊躇うこともなく、扉を押して開けた。ずいぶんと開けた場所で、キヴィは端から端に目を移動させる。ベットや絨毯は、暗めの赤をベースにしており、棚などでいくばかのスペースが埋まっていた。
「……誰?」
ベットの端にあった赤黒いタオルケットに包まれている何かが動いた。すると、真っ青な目がキヴィの青緑の瞳とかち合う。
「私はキヴィ。医者さ。あんたがラジウだね?」
おくすることなくキヴィは、ベットに近付いていった。そして、ベットの脇にしゃがみ込み、真っ青な瞳に自分の視線を合わせる。
「そうだけど……何?」
赤黒いタオルケットをギュッと握り直し、ラジウは後ずさるように体を動かした。しかし、壁に阻まれてそれ以上後ろへは行けない。
キヴィは確認の言葉を聞くと、自分が持っていた長四角の白い固い鞄を床に置いた。それをパチンと音を立てて金具を外し、大きく見開く。そして、その中から聴診器を取り出すと身に付けた。
「診察してあげる。タダで」
「うわっ!?」
キヴィはそう言って、にやりと笑った。かと思うと、ラジウがはおっていたタオルケットを、あっと言う間に取りあげた。
金髪のサラサラした髪と、黄褐色の肌が姿を現す。真っ青な瞳が小さくなって、キヴィを見つめかえした。
「さっさと上脱ぎな。診察できないだろう?」
まだ目を大きく見開いているラジウに、キヴィは鞄から医療の道具を取り出しながら促しの言葉をかける。
その声はハキハキとしており、逆らえないような感じだ。だから、ラジウはわけがわかないまま、いそいそと上着を脱ぎ始める。
ラジウが上着を脱ぎ終ると、キヴィはテキパキと診察を始めた。聴診器を胸、腹、背中と順々に当てた後、口を大きく開かせて覗いてみたり。一通り終わりラジウが服を着ると、キヴィは立ち上がって言った。
「異常なし。だね。全くの健康体だよ」
そして、ラジウに片手を差し出す。
「元気なんだ。こんなとこでウジウジしてないで表に出るよ。ほら、さっさと立ちな!」
ラジウがその手を取ると引き起こし、彼女は彼の背後に回った。また、彼の背中をグッと押して、部屋の外へ押し出してしまう。
それからパタリと扉をしめてしまった。扉の向こう側から小さく叩く音と、何かを叫んでいる声がするが、キヴィは扉を開ける様子をまったく示さない。