序章〜小さな王の誕生〜
序章~小さな王の誕生
ここは魔物と人間は対立する。そんな世界。
その中でどれだけの戦乱が繰り返されただろうか。
ある時は魔物が世界を治め、ある時は人間が世界を治めた。
現在は魔物の統一する世界。
それは人がたやすく死んで行くということ。
魔物の圧倒な力というものに押さえ付けられて。
力が総てを決める。そんな世界でもあるのだ。
「父上! 父うぇえっ!」
ここにも一人、力で押さえられたものが居た。
彼の名はラジウ。金髪の髪は短く切り、気が強そうなきりっとした眉にまだあどけないくりっとした瞳と顔。先刻まで彼は、何不自由なく暮らしていた。胸を張って誇れる父と共に。
ラジウの父は一国の王で、民からの信頼は絶対なものを獲得していた。頭も切れ、何より子供には優しいことから、ラジウにとって自慢の父であったことは誰の目からも明らかだった。しかし、彼の父は国を守るために首から上が無くなって子供の元に帰ってきたのである。
魔物の力に屈してしまったのだ。国の平和と引き替えに。
「ラジウ様! 落ち着いてください!」
布を被せられ、板の上に乗せられた父の体を、歪む視界でラジウは見つめていた。彼の目は大きく見開かれ、唇は青く密かに震えている。
ラジウが父へと手を伸ばそうとした時、彼の視界を塞ごうとするように、彼の前に立つ銀髪の青年が居た。腰まで伸ばした銀髪に弱々しそうな垂れ目。頭には上部と顔の部分だけがない、耳と後頭部を隠す薄黄色い布を巻き付けていた。布の下の切目の部分には白と黄色で模様が描かれている。
青年は必死でラジウの視界を塞ぎ、彼を抱きしめた。
「クレクっ……父上はっ!」
青年の名はクレク。ずっとラジウとラジウの父に従っている者だ。
ラジウは視界を塞いだ彼の服を力一杯に握り締めた。それから、額の高さにある彼の腹に頭をぐっと押し付ける。
なんでっ。と小さく呟き大粒の涙を流すラジウを、クレクはただ抱きとめてその場に立つしか術を知らなかった。
しかし、この場にいるのは彼らだけではない。彼ら以外の人が素早くラジウの父を何処かへ運んでいってしまう。
父の姿を見送ることなく立ち尽くすラジウ達に、陰が三つ四つ近づいてきた。
「ラジウ様。この度は大変残念な結果になってしまい。遺憾であります」
決まりきったその台詞にラジウはピクリと体を反応させるが、クレクの腹に頭部をつけたまま動こうとしないうえに、黙り込んでいる。ただ、手だけはクレクの服をより強く掴んで小さく震えていた。
近寄ってきたのはラジウの父に遣えてた者達である。だから、ラジウにもクレクにも面識はあった。
「しかしながらラジウ様。いつまでも感傷に浸ってはいられません。この国には王が必要なのです。前王がお亡くなりになられた今、貴方しかおられないのですよ!」
先程とは別の人物が真剣にラジウに言った。だが、ラジウが反応を示す前にクレクがその者達を睨みつける。
「こんな幼いラジウ様にそんな重大なことをさせるおつもりですか!? しかも前王が亡くなられた感傷に浸ることさえするなとおっしゃるのですか!?」
声は静かだった。静かだが、低く怒気をはらみ、責めているような口調である。
明らかにクレクは彼らに対して怒りを露にしていた。ただ、ラジウを抱きとめる手にはいつもの優しさが残ってはいるが。
「クレク、私達がいってるのは形上。上辺だけの話です」
クレクと同じように静かな声。しかしその声は無機質で感情を読み取ることができないものだった。
クレクが反論しようと口を開きかけた時、ラジウが彼から離れた。それを驚いた目でクレクは追う。
「いいよ。やってあげる。何をすればいい?」
ラジウは顔を下に落としたまま体を回転させ、彼らに向かって言った。普段と変わらぬ声色にクレクは少しほっとしたものの、何をしだすのかとドキドキハラハラでラジウを見守っている。
「流石ラジウ様です。物分かりがよろしいようで。まず初めに明日の朝、民の前で演説をしていただきたいのです。文はこちらで用意いたしますので」
「うん。わかったよ。後で部屋持ってきて。明日の朝まで自分の部屋にいるくらいいいかな?」
静かな声と、ラジウの会話。一方は相手を見下ろすように凝視し、一方は顔を落としたままの姿勢で問いかける。
「もちろんですよ。承ってくださり誠にありがとうございます。ラジウ様」
ラジウの返答に安堵したのだろう、笑みを零してからラジウの前に四人は膝まずいた。ラジウはうん。と小さく返事をすると踵を返す。彼の赤いマントがたなびく。
「クレク。行こう」
「はい。ラジウ様」
歩き出したラジウの後をクレクは追った。膝まづいている彼らを見ないようにして。部屋につくまで決して、ラジウもクレクも口を開こうとはしなかった。
部屋について、ラジウは何を思ったのか部屋の中をあさり始める。
「ラジウ様……?」
クレクが眉を潜めてラジウの行動を目で追った。彼は大きな鞄に服などの身近なものを次々に詰め込んでいく。
灯りもつけない薄暗い部屋。けれど、しっかりとした棚や質素だがしっかりとしてる絨毯。それらによって部屋の形は浮かび上がっていた。
ラジウは鞄にある程度物をつめ終わると、窓を開け放ち空を見た。
「ねぇ、クレク。僕が何やってもついてきてくれる?」
風がラジウの光る髪をなぜて、窓の内側にある布を揺らした。ラジウの目には自分の目と同じ爽やかな青が写り出されている。
ラジウの後ろ姿は、昔も今も変わらないあどけなさと、悪戯じみた雰囲気をかもしだしていて、クレクにふと笑みが零れさせる。
「当たり前ですよ。私はラジウについていきます。貴方がどう変わろうと、どんなことをしようと、味方が誰一人いなくなろうと、私は貴方について行きますとも」
「ほんとうに? 父上がいなくなったのに?」
クレクの答えに、ラジウはまだ疑うかのように言葉をかけた。ラジウは空を見上げたままで、一切クレクを見ようとしないから、クレクからは彼の表情を見ることができなかった。
「えぇ。私は前王ではなくラジウ様。貴方に忠誠を誓いましたから」
クレクは一礼をして笑む。そんな彼にラジウは窓から一気に駆けてきて抱きついた。
ラジウがクレクを見上げ嬉しそうに微笑む光景は、いつまでも変わらない部屋と同化している気さえする。
そのくらい、微笑ましい光景だった。
次の日。ラジウは城の一部で、街に面している場所に立っていた。そこからは、集まっている大勢の人々を見渡せる。もちろん天井がないそこは、空や街さえもよく見える。
昨夜受け取った紙の束を片手に、ラジウは皆に見えるように塀を登った。あまりにぶ厚い紙の束。それにはぎっしりと言葉が詰まっていた。そのため、初めて見た時、ラジウは眉を潜めて溜め息をついたものだ。
「ラジウ様のお言葉です」
静かな声がラジウを促すかのように民に告げた。ラジウの周りには椅子に腰をかけた大人が数人。どれもこ難しそうな顔をしている。
ラジウは小さな頃、その顔達に何度も笑いを刻んでやろうと試みたことがある。ようは悪戯なわけだが。しかし皺の入った顔はよけいに難しい顔になるだけだった。そして、額に皺をよせている顔の中にクレクの姿は見当たらない。
「この度は前王が亡くなり大変遺憾である。しかしながら、我が国には王が必要であり、彼の血をひくこの私が王になると誓おう」
ラジウは紙の束に書かれている文章を読み上げた。それに応えるかのように観衆が喜びの声をあげる。
ラジウはそれを見て、次の言葉をつむぐ前に笑んだ。笑顔は優しい、父と同じような笑みだった。しかし、笑顔とは裏腹に彼の手は、紙の束をビリビリと破り捨てていた。いきなりの出来事に民衆は静まりかえる。
そして、ラジウが口を開いた。
「なーんて、これにはそう書いてあったけど。僕、この国の王になる気がサラサラないんだ」
ラジウの口調はウキウキと弾むような。また、自信に満ちているような。そんな感じだった。顔は笑みがこぼれている。
紙が散々になって舞った。紙吹雪がひらりひらりと舞っているのだ。それはまるでラジウを祝っているかのよう。
「この国は僕が築いたわけじゃない。父上が築きあげたんだ。僕、父上のお下がりなんてごめんだね。だから僕は一から始めるよ。今はもう使われてない古城、丘の跡城で」
「ら、ラジウ様。お考え直しを」
こ難しい顔の一人が立ち上がってラジウを見る。その顔には驚きと焦りの色がありありと浮かんでいた。
ラジウはそんな彼等に向き直った。目は鋭く、怒りを露わにし、しかしその反面静かに彼は言った。
「嫌だよ。僕知ってるんだ。父上を犠牲にすること、あんたらが決めたんだって。僕は父上のにの舞い踏むなんて嫌だから」
そこでラジウは目を閉じ大きく息を吸った。それから背筋を伸ばし顔を上げ胸を張る。目をゆっくりと開け自分の城であったそれを見据えた。その動作を恐々と見守るこ難しい顔達。
「僕は……死んで守るじゃない。死んで英雄になるんじゃない。生きて……生きて守り続けるっ。生きて英雄になるんだ! 自分の力で!!」
ラジウのその言葉は、そこにいる者達に向けたものではなかった。もう会えはしない……この国の王だった者に別れを告げたかったのだ。
「ラジウ様!」
ラジウを呼ぶ声が下から飛んでくる。彼はその声に応えるかのように素早く振り返り城の塀に足をかけ、蹴った。彼の体が宙に飛ぶ。彼は顔をもう一度城を見て言った。
「王になりたいやつがなればいい。満足だろ?」
それは下にいる者達には決して聞こえない程度の声だった。が、しかし。こ難しい顔達にははっきりと聞こえた。
ラジウはだんだんと下に落下していく。それは彼の重みで速度を増していた。
ドサっと大きな音が響き渡る。すると、辺りはシーンと静まり返った。鳥のチュンチュンといった鳴き声や、遠くにある川のせせらぎが聞こえるくらいに。
「あたた」
ラジウが身を起こす。彼の下には見慣れた銀髪のクレクが苦笑を浮かべていた。彼がクレクを受け止めたらしい。しかし、流石に高さがあったのだろう、落下の強さに押され、ラジウともども倒れたようだ。
「大丈夫ですか? ラジウ様」
クレクも身を起こしながらラジウに問う。彼等の隣には馬が立っていた。毛並みが鮮やかで、白い毛が風でなびく。どうやらクレクは、受け止める直前までは馬にのっていたようだ。ラジウを受けとめるために馬から落ちたらしい。
「うん。全然平気。クレクこそ平気か?」
立ち上がって馬に乗ろうとしているクレクをラジウは心配そうに見上げる。作戦ではしっかり馬の上に着地するはずだったが、どうも着地点をミスったことが気になっているようだ。
「私はそんなにヤワではありませんよ。さ、乗ってください」
クレクは優しい笑みを浮かべ馬の上から手を差しのべた。
ラジウは片方の口だけ上げて苦笑いをしながらその手を取り、引っ張られるようにしてクレクの前に腰を降す。
「行きますよ」
今だに静まりかえって、ただ呆然とラジウ達を見ている回りの民たちの間を、クレクは上手な綱さばきで馬を走らせていく。人垣をやっと抜けると、ラジウがクレクの脇腹から顔を出し城と大勢の人を見て叫んだ。
「僕は父上をいつか抜かすよ! もし僕についてきてくれるなら丘の跡城に来て!!」
それはまだ幼い子供特有の高い声で。必死になっていることが伝わってくるくらいはっきりとしていた。けれど、自信がなさそうに弱々しくもあった。
馬がだんだんと人混みから離れていく。静まりかえっていたはずのその場所から、今はザワザワとした人混み特有の音が出てきていた。
クレクはいったん馬を止め、街をラジウと共に見た。日は暮れ始めていて辺りを赤く染めている。街はポツポツと灯りがともされ、輝いていた。
ラジウがクレクの袖を引っ張り、そして顔で丘にある跡城を指す。ようするに街を見てないで行こう。と言っているのだ。それは同時に彼にとってこの街は何の意味も持たないのだとクレクに教えてくれた。
クレクは小さく頷くと手綱を動かしその城に向かったのだった。
城につく頃には、既に辺りは暗く、どっぷりと日が沈んでいた。闇夜を星明りが照らす。
「懐かしいね」
暗い中に、どっしりとそびえ立つ丘の跡城をラジウは見上げて呟いた。
近くに来ると城はかなりの大きさがあった。あの街にあった城よりもでかい。けれど、ところどころ錆ているところや崩れているところがあり、見た目は何か出そうなくらいだ。何年も使われていないのだろうツタも巻き付いている。
「はい。昔を思い出しますね」
クレクは馬から降りると、ラジウに手をかし彼も降ろした。それから、中に入りましょう。と促し、ラジウが頷いたのを確認すると城へ足を踏みいれた。
城の中はガランとしており広さだけが身にしみる。
「ここ。あんなに賑わってたのに……今は何もないんだね」
ラジウは残念そうに肩を落とした。
この城は彼が生まれ、また今は亡き父と過ごした場所だった。
昔、城に入ったすぐの広間にはいろんな店が出ており、人で賑わっていたものだ。が、今では何もないガランとした空間とかしている。
「ね、クレク。僕……あんなこと言ったけどさ……」
ラジウは顔を落として弱々しい小さな声を発した。しかし、このガランとした空間にはその小さな声でさえよく響く。
彼はそれを肌で感じながら唾を飲み、喉をゴクリと鳴らしてから言葉をつむいだ。
「本当は……自信がないんだ」
ラジウの言葉にクレクは彼の肩をポンと叩いた。いつもの優しい笑みのままで。
ラジウはクレクを見上げた。その顔は不安と驚きが入り混じってなんとも奇妙な表情になっている。
「自信がないなら辞めてもいいですよ。誰だって何か新しいことをする時は不安です。その不安に討ち勝っても、その後良いことがあるとは限りませんから。逃げるのも一つの手です。でも……今の貴方の望みは、逃げ出してしまうと絶対に叶えることはできませんが」
相変わらず優しい笑みのままさらりと言ってみせるクレクに、ラジウは苦笑った。
「そんな風に言われたら僕、逃げられないじゃん」
「別に逃げても良いですよ? 貴方が後悔しないなら。自分の生き方は自分で決めてください。貴方の人生ですから」
クレクの笑みはそのまま。けれど、クレクはラジウの性格をよく知っていた。決して彼が逃げ出さないこと。それは彼の父ゆずりだと言うことも。それでも、辛いなら逃げ出して欲しいとクレクは思っていた。その気持ちが言葉になって出て行く。
「クレク。お前判りすぎなんだよ。僕が絶対に逃げないってさ。ただ背中を押して欲しいだけだった。ってさ」
ラジウは頭を掻いてクレクを横目で見る。彼の言葉で自分の気持に気付いたことが恥ずかしかったようだ。しかし、その顔は先程よりも明るく笑みが溢れていた。
それにクレクは少しほっとした。逃げ出すなら、きっと彼が後悔し続けることがよういに想像できたから、逃げないで居てくれて良かったと。
「そんなこと私は知りませんし、しませんよ。甘やかしてもラジウ様のためにはなりませんから。で、決心はおつきで?」
「もっちろん! 絶対に逃げないよ! 逃げたらきっと後悔しちゃう」
クレクが確認がてらに問うと、ラジウは顔を正面に向け、にっこりと笑んだ。そこには子どもの無邪気さが滲出ていた。そんな彼の笑顔にクレクはさっきよりも柔らかい笑みを返す。
「それでこそラジウ様です。貴方らしい。付いてきた私達も安心しますよ」
「は? 私達?」
クレクの言葉に照れていたのもつかの間、妙な単語にラジウは固まった。片頬がぴくぴくと痙攣を起こしている。
「はい。後にいらっしゃる方々ですよ」
ラジウはギギギといった音が出そうなくらいぎこちなく振り返った。そこにはドアから顔を出している数人の少年と少女が居た。彼等の視線は明らかにラジウに注がれている。
ラジウの顔がだんだんと赤く染まって行く。
「あ、あんたら何時からそこに?」
上擦った声で問う。彼等の年頃はラジウより小さくもあり大きくもあった。ようはバラバラの年代が集まっているのだ。しかし、彼等はけして大人ではない。
「最初から」
1番小さな女の子がラジウを凝視したまま呟いた。ラジウはその言葉に耳まで真っ赤にする。最初からということは弱気になった自分を見られたということ。それをラジウは実感しているようだ。
「っ……もう絶対に弱音なんか吐かないからなっ!!」
耳まで真っ赤にし、恥ずかしさのあまり大きな声で叫び、あまつさえ膨れているラジウは、そこにいる少年少女となんら変わりはない。それをクレクは微笑ましそうに見ていた。
「うん。ね、ラジウ様。父ちゃんと母ちゃんの仇とってくれよ」
「それで早く平和な世界にしてっ。こんな恐い世界嫌よ!」
彼等は未だにラジウに視線を送っている。何故自分に彼等がついてきたのか、ラジウはよくわかった。彼等と自分は同じなのだと。
ラジウは手を握り締めた。仄かに暖かくなった胸がドクンドクンと波打って身体中に勇気を与えてくれる。そんな気がしたからこそ彼の顔には笑みが溢れたのた。そして彼はこう言った。
「もちろん!」
と。元気よく。
今はまだ、小さな子どもたちが集う城だが、いつの日か彼が王になり平和な場所になるのかもしれない。
ただ、少年と少女達がクレクへと、ラジウのことを"小さな王だね。"と言ったことは確かである。
序章~小さな王の誕生
完