兵営生活
明くる朝、輸送船は無事、朝鮮半島南部に位する釜山港に入る。そこから将兵は汽車に乗り二日かけ遼東半島に至った。彼らが下車した日の満州は今だ肌寒むく、雪も所々に残っていた。
松田は田中と他愛のない話しをしている。二人はあの時列車で出会ってから、仲良く雑談することが多くあった。
しかし将兵の全部が下車した頃、号令がかかりそれは終わりを告げた。
軍は砂煙を巻き上げながら進む。軍靴の音が高くなり響いた。彼らは正午にある小村に到着した。そこには沢山の天幕が張られている。村民は皆避難しているようだった。
将兵は小さな演壇の前に整列した。一人の中年の男が演壇に登る。荒涼とした満州の地に寒風が吹き、それは砂埃舞い上げ、彼の口髭をたなびかせた。
「私が第七連隊連隊長、大内守静である」彼の声には威厳がある。
連隊長の演説はその後約十分続けられた。話は月並みであったが、全ての士卒は真剣に聴いている。
彼は最後に「偉大なる皇国の安寧は諸氏によって護られるのである」と言った。
この言葉を聴衆は何度も心の中で唱える。彼らは感動を覚えた。皆自分を一個の英雄であると思った。
雲間より光が射し込み、彼らを優しく包み込む。
その後直ぐに訓練が行われた。将兵は荒野に伏せ、時に背を丸め突貫した。これは六時間に亘る厳しいものであったが、隊の団結力を高めた。
彼らは食堂である大きな民屋に入った。この場の雰囲気は和やかである。将兵に出されたのは白飯に具のわずかな味噌汁が一杯ずつと粗末なものであった。然し古来、空腹は最高の調味料と言う。そして親しきものたちと取る食事もまた美味であるとされる。故にこの夕ゲは一同に取り、快かった。
田中は松田の横に座している。彼は「こんなに体を動かしたのは久し振りだ。ああ疲れた」と愚痴を溢した。
「ああ全くだ。」と松田は頷く
「お主ら情けないのぅ。そんなんで露助に勝てるか」二人の向かいに座る壮年の男は言い放った。
二人は壮年の男に敬礼した。階級章から彼が兵長であると分かったからである。
さっきのお主らのだらしない突撃は何だ十年前の日清戦役の折りにはと兵長は功名話を始める。二人は閉口した。いつの時代も他人の自慢は聞いていてつまらないものだ。
「戦の時には俺についてこい。さすれば出世は間違いない」兵長は完爾した。松田と田中は適当に相槌を打っている。
数十分後、将兵は各々の滞在する天幕へと分隊毎に移動する。この日から暫くの間第七連隊は小村に駐屯した。