十九話 戦はまだ先に 上
「さて、話をしようじゃあないか」
弱々しい老人はそこにはおらず、老いたりとはいえ、牙を剥いた虎がそこにいた。
場を支配した、という自負を隠す事なく、にたりと笑うのは借金まみれの男爵。
対するは首輪をつけたはずの犬に吠えかかられ、腰を抜かすしかない貸し手の商人の姿。
これは早々と勝負がついたものだ。
「これはお前にも得のある、俺にも得のある話だ。 なあ、わかるだろう?」
まるで友人のように、ドワイト男爵はどかりと商人の横に座るとその肩を叩いた。
老境に入りながらも、まだ己が身を鍛え続けているドワイト男爵の力は、私の興味を引くほどではないが、ただの商人に耐えられるものではない。
「ひ、ひい!? こ、殺さないでくれ!?」
「おいおい、まさか。 俺達は友達だろう? 友達を殺すはずないさ。 だろう?」
「は、はい! 勿論です!」
商人からしてみれば濃密な、何の心構えもなしに戦場に叩き込まれたような気分だろう。
金勘定という場では私とドワイト男爵を合わせても到底、足元にも及ばないだろう商人も、逆に『こちら側』では勝ち目なぞあったものではない。
露骨に断れば殺す、と脅しをかけられている時点でドワイト男爵の勝ちは揺るがないだろう。
「だからよ、金を貸してくれって話よ」
「しかし、そんな大金は……」
「いや、俺としたことが言葉を間違った。 すまんすまん」
ーーー俺に賭けろよ。
そう言い放つドワイト男爵はこれまでとうってかわって、誠実そのものといった表情を浮かべた。
「俺が欲しいのは魔王の首だ。 そいつを成すには、金が足りない」
怒り狂った天使のように脅かし、悪魔のように優しく囁くドワイト男爵は間違いなくロクなものではあるまい。
だが、殺気に溺れさせられ、藁をも掴みたい気分の商人からすればどうか。
「兵士を揃えりゃ魔王を殺すアテがある。 そうすりゃ俺は護国の英雄様よ。 そして、お前さんはその英雄を助けた商人として歴史に名を残し、大儲けだ」
悪い話じゃないだろう?と微笑んだドワイト男爵は、まあなんだ。
控え目に言って詐欺師だな。
金が無いのは首がないのも同じである。
金が無ければ娘でも売るか、そうでなければ首をくくるか。
何はともあれ、金がないという事は悲惨な結果しか生まない。
しかし、それもある一点から反転する事になる。
脅し宥めすかされ、最終的に飴玉を並べられた商人は、最終的に喜び勇んでドワイト男爵の賭けに乗る事となった。
今頃、店中の金をかき集めていることだろう。
だか負ければ首をくくるしかないような状況になる以上、彼はドワイト男爵の求めに頷き続けるしかないのだ。
「可哀想になあ。 朝になればあの熱狂も冷めて頭を抱える事になるだろうに」
「そうなる前にありったけの金と物をふんだくれるよう、手配はしておいたさ。 それに全てわかりながら、薄ら笑いを浮かべてたあんたに言われたくはないな」
面白くもなさげに答えるドワイト男爵は、これだけの事をやるだけやっておきながら、殊勝にも悔いているらしい。
なんともはや、複雑な御仁だ。
「で、魔王を倒すアテとは? 国の兵士全てを死なせても、奴には届くはずがないぞ」
すでに私は彼に敬意を示すような礼儀を示す事をやめたが、そんな事に頓着する事となく言った。
「あんた達がいるだろう、剣聖殺しと異世界の勇者」
「力を貸せ、とでも?」
「はっ」
ドワイト男爵は、私の言葉を鼻で笑った。
「あんたが他人に大人しく力を貸してくれる玉かい?」
「おや、ひどい。 こんな心優しい手弱女になんてことを」
転んだ少女になら手を貸してやるだろう。
「あんたが手弱女なら、俺はなんなんだ」
まあこんな可愛げのないジジイがこけた所で手を貸してやる気はないのだが。
「とにかく話を戻すぞ」
「ああ」
それまであった、どこか緩んだ空気を捨て、ドワイト男爵は口を開いた。
「あんたは好きにしてくれて構わない。 俺はその全てに全力で支援すると誓おう」
「これはこれは」
力を貸せ、ではなく、力を貸すときたか。
なかなか厄介な話だ。
「あんたは魔王の首を狙ってるんだろう?」
「どうしてそう思う?」
「うちの残り少ない身代で雇っている家臣は優秀でね、あんたの腕と人となりは掴めたつもりだ」
「参考までに聞かせてもらっても?」
「飛びっきりの剣狂いだ。 強い相手がいるなら、やり合わずにはいられない」
「ははははは、正解だ」
「なら」
「まあ待て」
魔王軍がどれだけいるかはわからないが、私とマゾーガとリョウジの三人で魔王の前に立てるほど、甘くはあるまい。
そこにどの程度かわからないが、矢避けになる兵士を貸してくれるというのであれば、私に否はないし、伏して感謝の体くらいは見せてやってもいい。
だが、
「お前はどうしてそこまでする?」
「……言わなきゃ駄目か?」
「駄目だな。 全てを知らなければ背中を預けられん、とは言わないが、何も知らない相手に背中を預けようとは思わない」
「道理だな、ちくしょう!」
そこにいるのは牙を剥いた虎でも、世慣れた老人でもない。
初恋の君を前にした初々しい坊やのように、顔を羞恥で染めるドワイト男爵の姿。
「さ、語れ。 お前の望みを」
「単純な話だ」
そう言いながら、ドワイト男爵は立ち上がると、キャビネットから一本のワインとグラスを二つ取り出す。
「どうも俺は運がなくてな。 何回か戦場に出たはいいが、毎回敵がいないまま終わっちまう」
時を感じさせるワインのラベルだが、そんな事には頓着せず、ドワイト男爵は瓶の栓を抜いた。
「だけどよ、魔王が現れた。 世は乱れ、最大最高の勲がそこにある」
グラスに注がれる赤いワインは、どれだけの代物かわからないが、豊潤な香りが鼻をくすぐる。
「最後の一花、咲かせたいんだよ」
「ふむ」
「手伝ってくれよ、おい」
哀しげに、ドワイト男爵は私に言った。
「わかった」
「おお、本当かい! なら、乾杯と」
「断る」
しばしの沈黙。
「……可愛げのねえ女だな」
「魔王を斬ろうと考えるくらいの女だからな、諦めてくれ」
正直になれ、と言っただろうに。
「なんで嘘だってわかったんだよ」
「相手がわからず、斬れはせんよ」
「やめときゃよかったか……!」
「それでもやめられない理由を答えろよ、ジャン=ジャック・ドワイト」
ドワイト男爵は頭を抱え、しかしすぐにワインを一気に煽った。
「惚れた女がいてよ。 まあ接吻の一つもしないうちに、王に召し上げられちまったんだけど」
初めは恥ずかしげに目を逸らしながら、
「このまま魔王をのさばらせてたら、あいつが危ねえ」
だが、徐々に力を増す目には老いはない。
「だから俺に力を貸してくれ」
これはまた面白い。
「人の女を守るため、魔王に挑むとは何とも酔狂な話か」
この男は一体、どれだけの歳月をそうしてきたのか。
どうしようもなく、不器用な話ではないか。
「悪いかよ。 笑わば笑え」
「いいや、笑いはしないさ」
そんな酔狂に付き合うのは、嫌いではない。
我ながらどうしようもない性分だとは思うが、この男よりはマシだ。
「手を貸すとも、ジャン」
「なんでお前さんは女なんだ、ソフィア……」
ぼやくジャンに、私はグラスを掲げた。
「そのどうしようもない愛に」
「やめろばか。 ……乾杯」
澄んだグラスをぶつけ合う音と共に、私達は戦友になる事を決めたのだった。




