TURN2 思い出は遥か遠き 下
たった三日だ。
スムーズに振られる竹竿は淀みなく、綺麗な円を描く。
身体の軸にほとんどブレは見えず、風切り音も聞こえない。
「どうよ、ペネやん!」
「これは……」
魔王がこれを出来るようになるとは、ペネペローペは想像もしていなかった。
払い、切り上げ、打ち下ろし。
その全てが見事な斬線を描いている。
しかも、この三日間のうちにどれだけ振ったのか、竹竿の表面が魔王の手の形に削れていた。
「カカカカカ! どうよ、俺様もなかなかのもんだろう?」
「え、ええ……」
力のある魔物ほど、努力をしない。
する必要がない。
小賢しい技を百覚えるより、生まれついて持った力で、魔力で相手をねじ伏せる方が早いからだ。
しかし、魔王は確かにやり遂げた。
「どうした、ペネやん? 褒め称えてもいいんだぜ、俺様をよ!」
そう言って胸を張る魔王に、ペネペローペは嫉妬の炎がくすぶるのを感じる。
生来の強者が努力し更に強くなられては、ペネペローペのような弱者はどうすればいいのか。
オークという種族は力が強い。
だが、オーク以上に力が強い種族は腐るほどいて、何より致命的なまでに魔術に適性がなく、ペネペローペも魔術を学んでみたはいいが、初歩の初歩すら得る事が出来なかった。
「魔王様は……」
「おう」
自分が何を言いたいのかすらわからないまま、ペネペローペは口を開く。
「魔王様は、お強いですな」
自分の無様さに嫌気が差した。
魔王の努力を認めず、こんな意味のない事を言って誤魔化す自分が、どうしようもなく醜い。
「カカカカカ……だろ?」
からりと笑う魔王に、ペネペローペは打ちのめされた。
今すぐここから逃げ出したい。 そう思いながらも、ペネペローペの足は動かなかった。
唐突に魔王の空気が、変わる。
ここで逃げれば、ペネペローペの出世は間違いなく終わりを迎えるだろう、仕事の空気だ。
「そういやよ、今の状況どう思ってんのよ? お為ごかしはいらねえよ。 正直に言えよ」
今、城内で魔王の評判は最悪だった。
城塞都市を落としたはいいが侵攻を停止して、こうして魔王領に戻ってしまっている。
城塞都市を落とした勢いで人間達を駆逐してしまえ、というのが大部分の魔物達の意見であり、魔王の決定を不服とした魔物達は魔王軍を離脱し、略奪を始めていた。
日に日に離脱する魔物の数は増え、魔王軍の約半分が略奪に参加している。
魔王領に戻ったとて食い物はない。
なら命令を無視しても、略奪で腹を満たした方がマシなのだ。
その上でペネペローペはこう思う。
「最善かと」
「お為ごかしはいらねえって言ったよな?」
魔王の圧力が、増した。
身体中の毛という毛が逆立ち、鳥肌が立つ。
冷や汗が抑えられない。
だが、それでも言葉を撤回するつもりは、ペネペローペにはなかった。
生唾を飲み込みながら、ペネペローペは言葉を作る。
「今、魔王軍を離脱した者は魔王様の命に服さぬ者。 そんな者達は軍という存在には馴染みません」
あくまで魔王は盟主だ。
魔物にとって絶対の存在ではない。
「そんな者達を統制しようとしても無駄です。 ならば魔王様に従う者達だけで、鉄の規律を持った軍を作るべきでしょう」
更に言える事ではないが、百万という数は到底、魔王一人では統率のしようがなかった。
能力の過不足以前に物理的に不可能だ。
「そして……補給が成り立ちません」
現地調達には限度がある。
食い尽くせば次、食い尽くせば次とやっていけば、最後には勝っても何もない荒野か、飢えを突かれて敗北する未来しかない。
「適正な軍の数は三十万から五十万、これなら凌げるはずです」
魔王領から根こそぎ物資を持ち出す事になり、当分はひどい事になるだろうが、その先の百年は豊かな土地で生きていける。
ペネペローペの震えは、いつの間にか収まっていた。
「カカカカカ、さすが俺様だ」
「はあ」
いきなり圧力を収め、笑い出す魔王にペネペローペは困惑するしかない。
「俺様の目は確かだった、って自画自賛してんだよ」
「ありがとうございます」
頭を下げるタイミングがあってよかった、とペネペローペは思った。
無邪気に喜んでしまった自分を隠せる。
「ペネやんに軍は任せる。 腹案はあるんだろ?」
「はい」
魔物の特性ごとに部隊を分けるだけで、魔王軍の力は増すだろう。
これまでの生で、ずっと考えていた事が出来る。
ペネペローペは、喜びに震えた。
「なあ、ペネやん」
「はい」
「俺様を助けてくれよ」
魔王個人を好悪で見た時、正直に言えば嫌いだ。
下品な笑い声、傲慢な態度、ペネペローペにはない天性の才能、その全てが憎たらしい。
だが、本気だ。
「我が身は魔王様のために」
彼は、本気で人間を滅ぼすつもりなのだ。
自らを王と慕う魔物達を殺し、怒りと憎しみの中で生きるのは、想像するだけでおぞましい。
だが、この先に待つのは大規模な粛清の未来が待っていて、魔王は躊躇わずにそれを行うだろう。
魔物達を殺し、人間達を殺し、そこまでして全てを支配しようとしている。
それは、ペネペローペの望みだった。
だが、
「しかし、あれだな。 ペネやんは反骨ってやつだな」
その支配した先に見える景色は、恐らく違う。
魔王が間違えば、自分は裏切るだろうとペネペローペは思った。
「まぁいいや、一人くらいそういうのがいた方が面白いしな」
「……ご冗談を。 それより」
話題を誤魔化したい、という気持ちはある。
「武術は、これで満足ですか?」
しかし、あるかどうかもわからない決裂までは、全力を尽くそうと思った。
ペネペローペは、場を与えられたのだ。
それに応えないわけにはいかない。
「冗談だろ。 次があるなら教えとけよ」
「はっ、では」
言葉を続けようとしたペネペローペだったが、邪魔が入った。
「ま、魔王様〜! 大変です!」
「なんだよ、ザリニ=ガ」
泥啜りのザリニ=ガが、文字通り泡を吹きながら短い足で走ってくる。
常々、小さな事で慌て泡を吹くザリニ=ガだが、しっかりと内政を纏める手腕は見事の一言だ。
ザリニ=ガはハサミに持った紙片を魔王に渡した。
「け、今朝こんなものがありました!?」
「なになに……魔王軍四天王に選ばれた事を、私の恩人に知らせてきたいので一ヶ月ほど休暇をいただきます。 『風』のフリードリヒ」
魔王は無言でくしゃくしゃと紙を丸めて、投げ捨てる。
「あのやろう、ぶっ殺してやる!」
「……おでが、なんとかしなきゃならないのか、これ」
性格に難はあるとはいえ、四天王が任命された途端に魔王に殺される、というのはさすがに不味い。
自分の口から訛りが漏れている事にすら気付かず、ペネペローペはぼやいた。




