十二話 人生イロモノ 下中
「……死にたい」
「だ、大丈夫ですの?」
僕は絶対、詐欺は出来ないとわかった。
軍曹の信頼を裏切ってしまった僕は、蛆虫以下だ。
胸がしくしく痛い……。
「……大丈夫、泣くのは後でも出来る」
今はルーテシアを助けなきゃ。
何とか牢屋からは逃げられたんだし、上手くソフィアさんの所まで逃げれば何とかなるはずだ。
「ごめんなさい、アカツキ……」
「僕はルーテシアを守ると言った」
誰かに信頼されたいと思うなら、まず自分の言葉を裏切らない事だと、僕はこの世界に来て、働いて知った。
嘘ばかりついて働かない人間は誰も信頼してくれない。
逆に嘘はつかず、真面目に働く人間は信頼される。
当たり前の事だけど、それを学んだ。
僕らが隠れている路地裏には、ゴミ一つ落ちていない。
この街は軍人ばかりで、ゴミを捨てた所を偉い人に見つかった日には、懲罰房送りにされるくらい軍紀が厳しいからだ。
だからって薄暗くて、雰囲気のある場所じゃない。
それでもルーテシアに精一杯の勇気を振り絞って、僕は正面から向き合った。
「今度は嘘じゃない」
「アカツキ……」
誰かが信頼してくれるかはわからない。
それに僕は彼女を裏切って逃げ出した卑怯者で、信じてもらえるはずがないだろう。
「君を絶対に守る」
それでもルーテシアを守りたい。
引け目でも義務感でもなく、異世界で右も左もわからず調子に乗っていた僕を信じてくれた彼女を守ると、僕は決めた。
「……ーと呼び……い」
「へ?」
何故か俯いたルーテシアの表情は、前髪に隠れて見えない。
いつもはハキハキと話す彼女にしては、非常に珍しい態度だ。
ルーテシアは僕の袖を掴み、だけどそこに力は入っていない。
「ルーと呼びなさいって言ったでしょう……?」
顔を上げた彼女は茹で上がったかのように赤く染まり、薄暗い路地裏に僅かに差し込む光で、その艶のある金髪が数百の宝石を身に付けているかのように輝いていた。
口紅も塗っていないはずなのに、薄いピンク色の唇は瑞々しい彩りを湛えていて、もごもごと言葉を作る様すら綺麗で、僕はついごくりと生唾を飲んだ。
「アカツキの事は最初から信じてますわ」
でも、とルーテシアは言葉を切った。
さ迷っていた吸い込まれるように深く蒼い瞳は、僕をきっと睨むように、だけど潤む視線に怒りはない。
「ルーって、呼びなさい……」
「う、うん」
「……呼びなさい」
「ル、ルー?」
「はい」
もうとっくにドキドキと高鳴っていた心臓が、一際強く打ち鳴らされる。
ルーはとても嬉しそうに笑いながら、
「よく出来ました」
と、言った。
この空気に耐えきれなくなった僕は、思わず目を逸らして、ルーに背を向けてしまう。
このヘタレ!と思わず自分を罵るしかない。
「じ、時間がないんだ。 い、行こう」
「はいっ」
ああ、もう僕はこんな時に……! 煩悩よ、去れ!
「うわっ」
しかし、表通りに目をやると、一瞬で煩悩は吹き飛んでしまった。
たくさんの軍人が駆け回り、普段は走る事がない士官クラスの人達までバタバタしている。
「まさか……もうバレた!?」
今頃、軍曹は怒り狂ってるんだろうか……。
それはともかくルーを逃がした事は、もう気付かれているはずだ。
大貴族の横槍や余計な面倒をかける連中の要求を突っぱねる城塞都市が、これほどまでに大騒ぎになるなんて、相当の大物から命令が出たに違いない。
ルーは一体、何をしたというんだ。
「アカツキ……」
不安げに僕を見つめるルーの瞳を見返して言う。
「ルーは僕が守る」
「どこかで誰かがあほな事をしている気がする」
「何を言ってるんですか、お嬢様」
「……わからん」
セバスチャンは別の部屋を取り、私達は三人部屋だが、なんとも可もなく不可もなくで何も言う事がない。
「いたい」
太ももに巻かれた包帯がバリバリと音を立てながら、剥がされていく。
「もう少し優しくしろ、爺」
「そう言われましても」
優しくする気はまったくないらしく、血と体液で固まった包帯を遠慮なく剥がす爺は、悪鬼か羅刹の類に違いない。
「最近、爺は私への優しさが足りないと思うぞ」
「そうですかね?」
無限剣につけられた傷は、今もまだ包帯に血が滲んでいるほどの深手だった。
治癒魔術もある程度は効果があったが、完璧に治してくれるには至らない。
「そうだ、昔の爺なら『お嬢様、これが終わったらおやつを用意してあります』くらいは言っていたな」
「ありませんよ。 大体、どこで買って来るんですか」
「執事たるもの、みたいなあれで何とかしろ」
「干し肉ならありますよ」
「嫌だ、飽きた」
爺の作る干し肉は色々な香辛料を使っていて、旅のお供に最高だ。
今もマゾーガが無言で干し肉をかじっているが、私はそろそろ別な物を食べたい。
「はい、終わりましたよ」
「うむ」
長時間拘束されていたせいで、肩が凝ってしまった。
立ち上がり、一つ伸びをすれば背骨がぽきぽきとなる。
「空気が悪いな」
「お嬢様、そんな格好で!」
窓を開けに行く私に、爺が顔を真っ赤にしながら着いてくるが、窓を開けるくらいで爺を使うのも面倒な話だ。
「大丈夫だ」
無駄に大きな胸は、押さえつけるように巻かれた包帯で隠れているし、三階の部屋でもあるし、外から見えたりはしない。
「大丈夫じゃありませんよ、淑女としてですね!」
「わかったわかった」
爺の有り難い言葉を聞き流しながら、私は窓を開いた。
「おや」
眼下を大量の軍人が走り回っている。
これは一体、何事か。
「そこの士官!」
「はっ、小官でありますか?」
偶然、目が合った軍人を呼びつけるが、実は私の立場では微妙に問題がある。
たかだか辺境伯の娘であり今頃、縁を切られていてもおかしくない。
そんな事はおくびにも出さず、偉そうで傲慢な貴族の演技をしてみせた。
「何があった?」
「はっ、魔王軍が予想以上の速度で、こちらに向かってきているのであります」
「ふむ……なるほど、悪かったな。 行っていいぞ」
この慌ただしさなら、さっさと逃げるべきか。
恐らく邪魔以外の何物でもないルーテシア嬢も、今日のうちに引き取れそうだ。
「なかなかゆっくりしてはいられんなあ」
「なら、そんな所ばかり選ばないでくださいよ」
別にそんな所ばかりを、選んでいるつもりはないのだが。
ただ前の生から偶然、苦難が寄って来るだけで。




