六話 剣に死ね 下
まず場の空気は、もらった。
華やいだ黄色い声も、観衆の大声援も、慈悲深い勇者様に跪こうとしない不遜な私への怒りに染まっている。
「あんたなんて、アカツキにボコボコにされちゃいなさいよ!」
「ご主人様、あの女を虐めちゃってください!」
「天罰、下れ……」
しかし、まぁなんと言うか、もう少し慎みを持っても罰は当たるまい。
貴族の令嬢、頭に犬のような耳を生やしたメイド姿の幼い娘、胸と腰周りを隠しているだけのビキニアーマーと呼ばれる鎧を着た剣士、聖衣を纏った僧侶などなど。
非常に豊かな特色に富んだ女だけの集団が、恐らく勇者ご一行なのだろう。
「女は怖いなあ、チィルダ」
お前も怖いくらいの情念ではあるが、な。
「今なら降参してもいいんだぜ」
「それはそれは」
甘やかされただけの餓鬼が、よくぞほざいた。
「お優しいですわね、勇者様は」
と、素直に内心を吐き出してやりたい所だが、実は無理だ。
ここで命を取らずとも、骨の十や二十本へし折った日には、実家に迷惑がかかってしまう可能性がある。
つまり、勇者に怪我をさせず、それでいて顔を立てる勝ち方をしなければ、後で色々と困った事になるだろう。
勇者に斬る価値がある、と思っていた時は、実家に迷惑をかけるのも申し訳ないが、仕方ないと思っていた。
しかし、どうでもいい相手のために族滅されては、さすがに困る。
せめて育てられた恩くらいは一応、返したいとは思っているのだ。
何とも面倒ではあるが。
「へへっ」
皮肉だ、気付け。
「おやめください、勇者様」
そんな空気の中、初めてアラストール卿が口を開いた。
重々しく、大して大きな声ではないというのにも、奇妙なまでに通る。
がっしりとした身体付きではあるが、その身には一片の贅肉どころか、無駄な筋肉が見当たらない。
アラストール卿の身体は、剣のために存在する身体だ。
「は? なんで?」
「それは……」
お前が負けるからだ、とは言えまい。
アラストール卿のように、私は手加減をしてやるつもりは一切ない。
「理由がないなら黙ってろよ、おっさん……うざったいからさ」
武骨を絵に描いたようなアラストール卿は、勇者を説得出来る言葉を見付けられず、黙り込むが、私に向けて強烈な、今まで生きてた中で一、二を争うような研ぎ澄まされた剣気を叩きつけてきた。
「これはまた……楽しみだ」
「だろ?」
アラストール卿は今、私をどうやっても斬れない。
今、私を斬れば勇者の邪魔をしたとして、辺境伯の娘を斬ったとして問題になるからだ。
宮仕えで簡単には捨てられない地位のある人間は、ご苦労な事だ。
そう頭でわかっていても、私の意識の半分以上はアラストール卿に注意を引っ張られてしまう。
これほどまでか、剣聖。
私を引き上げてくれる存在が、ここにいる。
嬉し過ぎて、あの整った髭面にキスの一つでも贈ってやりたいくらいだ。
「さ、そろそろ始めようか。 皆さんお待ちかねだからさ」
「ん? ああ」
……勇者の存在を忘れていた。
場の広さは両手を広げた大人十人分ほどか。
私は中心にぽけらと突っ立っている勇者から、三歩ほどの距離に立った。
「先手譲ってやるぜ。 どこからでもきなよ」
「では、失礼して」
わざとアラストール卿に背を向けるように、右手に持った杖で軽く勇者に突き入れてやる。
「うおっと!?」
私の無防備な背に、食らえば真っ二つになるであろう袈裟斬りが、剣気という形で送りこまれてきた。
なんとか杖を受け止めた勇者が何事かを喚いているが、そんなものに気を払っている場合ではない。
懐から取り出した鉄扇をぱっと開き、アラストール卿の剣気を何とか受け流してみせた。
「まずは、一手」
私はフェンシングと呼ばれる競技剣術に似た構えのまま、左手の鉄扇で勇者の横っ面を払う。
慌てて後方に大跳躍をする勇者は追わず、というより追わせてもらえない。
たかだか剣気、されど剣気。
肉を斬られるわけでもないが、心は斬られる。
慣れていない者なら立ったまま気絶しかねない、それほどの剣気がアラストール卿から送り込まれ、私の足を止めていた。
まばたき一つの間に十の斬撃が私の背に放たれ、さすがに返すのに精一杯な状況に追い込まれている。
「お遊びはここまでだ!」
そんな中で更に蚊が耳元で飛び回られるのは目障りだ。
アラストール卿に向けた速度の一割程度か、勇者は聖剣の峰を私の頭に振り下ろしてくる。
峰を向けたのは手加減のつもりだろうが、頭に思い切り鉄の棒を振り下ろせば人は死ぬぞ。
「なかなかっ……!」
その瞬間を見計らっていたのか、更にアラストール卿からの剣気は一層の激しさを増し、息を吐く間もない。
右の横薙ぎ、左からの切り上げ、そこから変化した指斬りを避けるついでに、勇者の斬撃を打ち払い……。
所々で混ざってくる勇者の剣に、どんどん一手二手三手とアラストール卿に遅れを取っていく。
さすがは剣聖、片手間で戦えるような相手ではない。
「俺の攻撃をここまで防いだのは、お前が始めてだぜ! だけど食らえっ!っておい!?」
これ以上は無理と判断し、私はアラストール卿に正対する事にした。
勇者の速いだけの突きを、後ろ手に回した杖で受け止め、私はアラストール卿に語りかける。
「終わりにいたしましょう」
勇者の面目が立つように。
「あ、ああ、だけど何のつもりだ、背中を向けるなんて!?」
その意志を籠めた私の視線を受け、アラストール卿は深く頷いてくれた。
苦渋が、滲んでいた。
「さて」
勇者の剣を抑えこんでいた杖を投げ捨てる。
さすがに木の杖ではうまくない。
何故なら音が鳴らない。
「右」
声に出す事なく、緩い剣気で勇者に打つ場所を教えて差し上げた。
なんとか気付いてくれた勇者は、聖剣をかざし、私の鉄扇を受けとめる。
鉄と鉄のぶつかり合う、派手な音が響く。
「右、右、左」
まるで演劇でもしているような、無意味に大きな動きを加えながら、鉄扇と聖剣で音を奏でていく。
湧き上がる歓声と、踏み鳴らされる足音を束ねる旋律。
「さ、打ち込んで参られよ」
誘ってやれば、飢えた魚でもこうは食いつくまいと思われる勢いで勇者が釣れる。
すでに無駄な言葉を吐き出すのをやめた勇者の口からは、無様なまでに荒い息。
こんな有り様では、千年の恋も醒めてしまう。
「くそっ!……必殺技で決めてやる!」
そもそも必殺の技とはなんなのだ。
練り上げた技、その一つ一つが相手の命を容易く奪うだろう。
再び後方に下がった勇者は、苛立ちの混じった表情をしている。
「これだけは女の子に使いたくはなかったけど……!」
前置きが長い。
さっさと踏み込み、勇者の間合いを殺してやる。
助走を付ける間合いを失うだけで、ライト……ライトなんたらは放てない。
そんな自分の技の弱みに気付いていないのか、それでも勇者は前に出てきた。
「ライトニングファントムストライク!」
まぁアラストール卿よりは多めに受けておこうかな、うん。
十打ほど危なっかしく、ギリギリで受けて見せれば、更に観客が沸く。
「ははは」
こういう茶番も、なかなか悪くはないな。
そして十一打目を、わざと跳ね上がるように角度を整えてやれば、これで完成だ。
「くっ!?」
焦りを滲ませる勇者は必死に聖剣を引こうとしている。
が、間に合うものではない。
「お見事です、勇者様」
私の首、皮一枚を切った所で聖剣は止まった。
にこりと微笑んでやれば、呆けた勇者の面がある。
「俺の、勝ち……?」
「ええ」
自分が無様を晒しているのは自覚しただろうが、他人からの賞賛は得れる程度にはまとめてやった。
これなら私やチィルダが欲しいと、恥知らずな事は言えまい。
ここまでお膳立てはしてやったのだから、幕引きくらいは出来るだろう、勇者様。
勝っ、た……?
操られていたとした思えない、踊りでもしてるような剣舞の末、俺は聖剣を彼女の首に突き付けていた。
「さすがは勇者様!」
「信じていたぞ、アカツキ」
「やったですよ、ご主人様!」
勝った実感が、ない。
なんだ、これは。
「さあ、いかようにも」
そう言う彼女の瞳は、ひどく醒めていた。
お前には何の興味もないと、はっきり言われているようで。
ぜえぜえと荒い息を吐く俺に対して、彼女は化粧すら乱れていない涼しい顔。
だけど、俺は勝ったはずだ。 俺は、勇者が負けるはずがない。
なら、
「俺の……っ」
正体不明の苦さが口の中にせり上がってくる。
「勝ちだ!」
それだけを叫ぶのが、辛かった。
なんだよ、これ……俺は絶対最強で無敵の勇者様だったはずたろ!?
気付かない間に視界が滲む。
泣かないだけの力はあったはずなのに、どうして!
そんな風に、ぐちゃぐちゃにかき回された俺の脳は、訳のわからない行動を、身体に命じていた。
「もらうぜ、この刀」
始まりは確かにそれが理由だった。
だからって今更、そんな見苦しい事は出来ない、と囁く声は小さくて、勇者様の俺が勝ったんだ!と小さな俺が大きな声で叫んでいる。
「触るな」
だから、最後の警告を、俺は無視してしまった。
「チィルダに触るな!」
首から上が吹っ飛んだ。
そうとしか思えないような勢いで、何かがぶち当たった。
ギャグ漫画みたいな鼻血を吹き出しながら、俺は、
「俺は、勇……」
背筋が、粟立つ。
「斬るぞ、賊」
その剣撃には私を両断しようという意図しかない。
「くっ」
アラストール卿は速かった。
チィルダを抜かせてくれる隙もなく、必死にアラストール卿の剣を両手を使い鉄扇で防ぐが、すでに半ばまで刃が食い込んできている。
引くも死、進むも死。
「さあ、どうする」
「どうもこうもない」
貴様はここで死ね。
アラストール卿の剣気は、確かにそう語っていた。