最終話 世界の全てを敵に回してでも 下中
有名な棒使いといえば、斉天大聖孫悟空であり、如意棒だろう。
東海龍王の子を打ち殺し、 那吒太子を退けたその暴れっぷりは中国だけでなく、日本でも人気だ。
同じように世界各地の神話で、棒を持った神様が存在しており、かの大剣豪宮本武蔵と引き分けたとされる夢想権之助は棒、杖術使いだ。
彼が創始した『神道夢想流杖術』には、こんな道歌が残されている。
「突けば槍 払えば薙刀 持たば太刀 杖はかくにも 外れざりけり」
古来より、その変幻自在な動きを恐れられていた棒術=杖術だが、そこに魔王の天下無双の剛力が加わればどうなるか。
まともに避ける事も叶わず、聖剣で無理矢理に受けみれば胸骨が砕け、血へどを吐き散らす事になるだろう。
突けば何物も貫く槍と化し、払えば薙刀のように一刀にして死を迎え、回転を加えれば全てを切り裂く太刀となる。
聖剣で力を持って受ければ押しきられ、刀で受ければへし折られる。
よれよれと立っているだけの僕に、魔王はしっかと対峙した。
死に体である僕を前に、腰を落とし、今にも突かんとする構えは油断も隙もない。
腕を上げているのも辛く、だらんと右手に聖剣、左手に刀を持っているだけの僕とは大違いだ。
「言い残す事はあるなら、聞く」
「ねえよ」
しかし、あえて聞く。
対峙、視線を交わす。
「お前、どこに入ってやがる」
「必要なら、死域にだって入る」
身は死に向かい、心も死んでいる。
ただ自分という機能を、目の前の敵を斬るだけに特化させていく。
呼吸は細く、今までにないほど頭脳は冴え渡る。
先の先は取れない。
槍と化す杖術の前に、刀が先手を取るという事自体が無理だ。
無理をすれば、そこを切って落とされるのは確実。
ならば、後の先を取るしかないが、生半可な回避は不可能であり、聖剣で受ければ押しきられ、刀で受ければへし折られる。
魔王退治という難題を成し遂げるには、一手足りない。
しかし、答えは出ている。
「人間ってのは、化けるもんなのか」
「斬られても生きるから」
死を恐れる事なく、再生なんてものをする魔王は絶対に"ここ"には届かない。
魔王から発せられる天すら揺るがす剣気も、所詮はただのこけおどしだ。
雪で覆われた冬の山々に、一つばかり強い風が拭いた所で何が変わるものか。
魔王の顎を、つつっと大粒の汗が流れた。
「死ねないのは、悲しいな」
胸骨が潰れ口からは血が零れ続け、呼吸がしにくい。
本当は肺まで潰れているのかもしれないけど、喉に血が登ってくるせいで、実際がどうであれ、呼吸がしにくいという一点で変わりはなかった。
だけど、僕は生きている。
明確な死を前にすれば、誰でも走馬灯くらいは見るだろう。
そして、その先はひどく冷たい場所だ。
ソフィアさんはいつもここにいたのかと思って、僕は寂しくなった。
「俺様を哀れでんじゃねえ!」
僕の言葉が何かに触れたのか、魔王は激昂しかけ、だが止めてみせた。
そのまま来れば斬れたのに、と惜しむ気持ちもない。
相手の事情も切って捨てている。
僕が握りしめられるのは、一つか二つしかない。
ただ目をつぶり、深く息を吸った魔王を見て、一段上がったと思うだけだ。
かっと目を見開いた魔王の顔に、激情の色はなかった。
「てめえが俺様の敵でよかったわ」
そこにどんな感情が籠められているかはわからない。
しかし、
「お前は僕の通過点だ」
「そう言うなよ、あと少しばかり付き合え」
もう言葉はなく、ただ友情にも似た何かを目の前の敵に抱く。
きっと僕は彼を嫌いじゃない。
だけど、斬れる。
斬れるかどうかで他人を判断する自分に恐怖が沸き上がり、それもやがて消えた。
風が止む。
夜空を舞っていた桜の花びら達が、ひらひらと落ちてくる。
風に流されるのはきっと心地いい、虚ろに佇むよりは。
胸にぽっかりと空いた虚ろに籠めた想いは、二つ。
ルーの顔が見たかった。
君が今の僕を見たら、どう思うんだろう。
そう考えてみると、答えは一つしかない気がしてくる。
この場所は死者の場所だ。
そこから引きずり出すなら、怒り狂いながら殴りかかってくるに違いない。
それを思えば、微かな笑いが浮かび、
「勇者ッ!」
死から生に向いた僕を、魔王は突いた。
基本の一にして、奥義。
ただ速く、目にもとまらぬ。
ただ重く、穿ち貫く。
「勇者じゃない」
だが、身体は動く。
音は四つ。
「なにっ!?」
魔王の突きは、僕の右側に流れた。
しかし、それで終わる魔王の杖術ではない。
勢いそのままに右手を離せば、突き出していた左手に杖の柄尻を渡せる。
左腕の手首と肘を柔らかく使うことにより、僕の頭を後ろから狙う変化を見せた。
普通の人間であれば無理のあり過ぎる変化だが、魔王の力と大樹を圧縮し数tはあるであろう特製の杖の重さを合わせれば、十分に致命の威力を乗せられる。
受けられる物ではない。
しかし、音は五つ。
弾ける音と、弾かれる杖。
魔王の左腕ごと弾き返す。
「僕はただのリョウジだ」
「なんつー真似してやがんだ、おい……」
魔王の顔はひきつり、歪み、
「面白れえなあ……リョウジ」
それでも笑ってみせた。
あと一手、届くかどうか。
想像以上の負担に目眩がしそうだ。
だけど、僕も魔王に笑ってみせた。
自分が魔王と似たような笑みを浮かべているのを、鏡を見ずともわかる。
立ち合いは、最終局面を迎えようとしていた。