二十五話 恋焦がれるように 中
りぃん、と音が響く。
リョウジの剣を受け止めると、まるで非難するようにチィルダが鳴いた。
時間が経つにつれ、鋭さを増していくリョウジの剣閃は、単純に避け続ける事を許さない領域にまで高まってきている。
しかし、
「何を呆けている」
「うぼぁ!?」
私に受けさせた程度で呆然と突っ立っていたので、リョウジの腹に蹴りをぶちこむ。
それなりに力を籠め、ひっくり返る程度に蹴りこんだはずが、すっくとあっさり立ち上がる辺り、リョウジも割とどうかしている。
「い、いや、だって今」
「私の身に辿り着いたわけでもあるまいに」
しかし、まるで生まれたての子馬が自分の力を確かめるように、リョウジの動きは一振り毎に鋭さを増していく。
勇者だからなのか、それともリョウジだからなのか。
そのどちらなのか考えた所で意味はなく、なんにせよ私のやる事に関係はない。
リョウジが無手の右手をこちらに突き出す。
すると次の瞬間、手の内に聖剣が呼び出され、その切っ先が踏み込んだ私の腹を抉ろうと置かれる。
ただ手を向けるだけで、こちらに回避を要求するという意味では聖剣の召喚は非常に有効だ。
「まさかこれでどうにかなると思っていないだろうな」
「げっ」
手を向けられた瞬間に、私は更に踏み込んでいた。
長大な刀身の脇を滑るように懐に潜り込み、
「ふむ」
後ろに跳ね、リョウジの左手から召喚された聖剣の切っ先をかわす。
「あのタイミングで避けられるとか……!」
「演技なら、もっと上手くやれ」
驚いたふりをし、懐まで呼び込んでの聖剣召喚という発想は面白かったが、演技が不味すぎる。
まぁ頭を使い始めたのは評価してもいいが、技の工夫ではなく所詮は小細工でしかないのは減点だ。
距離を取った所で、観客に回っていたルーテシアが口を開く。
「もういいでしょう!」
「何がだ?」
「どうして仲間同士で争わなければならないんですの!?」
まるで決壊する寸前の堤のように、彼女の大きな瞳には涙が湛えられている。
麗しい乙女の涙を見れば、私の心もまた痛む。
「そうしなければいけないんだよ、私には」
だが、それ以上に渇望があった。
私の中にぽっかりと空いた穴があり、そこにどれだけの美しい物を投げ込もうと、底の抜けた桶に水を注ぐように流れ落ちるだけで意味がない。
ただ闘争という名の炎がその穴の中を照らし、私という存在を確めさせてくれるのだ。
満ち足りる、という事を知らない浅ましい貪欲さは、我ながら呆れるしかない。
「あ、あの……お嬢様」
「どうした、爺。 小言なら聞かんぞ」
「お嬢様は、これで満足出来ますか?」
「……ふむ」
満足出来るか、と言われると困るな。
何せ私の渇望は消えた事がない。
誰かの肌に触れようと、美味い飯にありつこうと、そして魂が焼き切れるような戦いをしようと、何かが決定的に足りないのだ。
「やってみなければわからんなあ」
「僕は従者で、お嬢様が幸せになる事を一番に考えています」
爺の言葉は静かで、波一つない。
しかし、深々と溜め息を吐き、頭痛を堪えるような表情をしながら口を開いた。
「やるのなら、後悔の無きように」
「あ、貴方は何を言っていますの……?」
ルーテシアの前で、こんな事を言うのは従者として育てられ、従者として生きる爺にとっては崖から飛び降りるくらいの覚悟があっての事だろう。
何せ大貴族の前でこんな事を言えば、主家が不味いに決まっている。
今更、もうどうしようもないと腹をくくって、ただのやけくそで言ったのかもしれないし、匙を投げられたのかもしれない。
「ああ、やるだけやってみるさ」
それでも、私は想われている。
自意識過剰かもしれないが、そう感じた。
愛でも恋でもなく、ただ幸せになってくれ、と想われるのは心地いい。
誰がどう考えても、私は間違っている。
だが、それでも誰かが私を受け止めてくれるのならば、私はどうしようもなく幸福なのだろう。
口を開けばお小言、お小言。
だが、結局は私のために苦言を述べ、何の見返りもない旅に付き合う爺は、私なんぞには勿体無さすぎる。
勝手気ままを通さずにはいられない、どうしようもなく我の強い主に何が楽しくて着いてきているのやら。
「お前はどうだ、リョウジ」
こんなにも身勝手な私を、お前は受け止めてくれるだろうか。
駆け引きもなく、思いをぶつけるだけの青い恋をしているかのように、ただお前の前に立つ私を、お前は受け止めてくれるのか。
私の後ろの魔王を気にして、どこか散漫だったリョウジの瞳が私を射抜く。
ただ私だけを見つめるリョウジに、背筋が粟立ってくる。
ぞくりとするような、情熱的な瞳だ。
「僕が負けたら、魔王をお願いします」
リョウジが何をどう覚悟を決めたのかはわからない。
ひょっとしたら私が考えるだけで、自惚れになるような理由か。
それとも違う何かか。
どちらにせよ、本気のリョウジが来る。
そんな彼に応えるため、私はありったけの誠意を籠めて答えた。
「言われずとも、斬るさ」
「じゃあ、やれるだけ……いえ、僕の全力でソフィアさんを倒します」
慢心と自信を履き違え、恥を晒していた勇者様の姿はもうそこにはいなかった。
私の技に憧れるだけの少年でもない。
ここにいるのは数え切れないほど打ちのめされ、それでも私を打倒しようという意思を持った敵だ。
「ああもうっ……! アカツキ、負けたら許しませんわよ!」
ルーテシアのように真っ直ぐには生きられないが、ありきたりだが人は違うからこそ意味がある。
「うん、勝つよ。 勝って、ソフィアさんを止めてみせる」
「吐いた唾は飲めんぞ」
「やるしかないなら、やってみます。 ……いつもこんなのばかりだなあ」
「そこでぼやくから、お前は決まらないんだ」
「……性分ですね、本当」
まったく締まらない奴だ。
だが互いに浮かぶ笑みに暗いものはなく、
「魔剣チィルダが主、ソフィア・ネート」
「『勇者』リョウジ・アカツキ!」
改めて私達は名乗り合った。
後から考えれば何を今更、間抜けな事をと思うかもしれないが、今はこれでいい。
「参る!」
私達は、改めて敵になった。