二十五話 恋焦がれるように 上
どこまでも彼女はいつも通りだった。
瀟洒な衣装に身を包んだソフィアさんが、柔らかな笑みを浮かべ剣を抜いて立っているだけで、まるで演劇の一シーンでも見ているような、そんな気分にさせられる。
その細腕は剣を振り回すのには似つかわしくないはずなのに、颯爽とした立ち姿はその違和感を食い潰す。
どこまでも絵になり、どんな時でも彼女は変わらない。
「ソフィア、今は冗談を言っている場合ではありませんわよ!」
だから、僕達の中で一番付き合いの短いルーが、勘違いをしても仕方ないのだろう。
「これから魔王を倒さなければなりませんのよ! そんな下らない冗談はやめて、皆で力を合わせて戦わなければいけませんの!」
「ふむ、それは道理だ」
何も感じていないのか、ルーはずかすかとソフィアさんに近付き、ソフィアさんもそんなルーの言葉に頷く。
理屈の上ではルーの言葉は、反論の余地もないほど正しい。
このまま魔王を放置しておけば、人類は滅亡するだろう。
なら力を合わせ、魔王を倒すというのが正しい選択のはずだし、どんな極悪人だって魔王を倒すためなら協力してくれるだろう。
「ですわよね。 なら」
イライラとした様子で、ルーはずかすかとソフィアさんに近付いていく。
「ルーテシア様、止まってください!」
「なんなんですの、貴方達主従は! こんな事をしている場合ではありませんわよ!」
切迫したクリスさんの声に、ルーは足を止めて振り返った。
つまり、それはソフィアさんに背を向けるという事で、
「道理ではあるが、関係ないな」
銀光がきらめき、
「えっ」
鈴の音がした。
首を斬るように薙がれた刀を、ぎりぎりで止める。
「ルー、離れて!」
僕が割り込むだけの余裕がある程度には手加減はされていたにしても、割り込まなければ間違いなくルーは斬られていた。
誰だって人とぶつかりそうになった時、少し避ける。
ソフィアさんはそのくらい無造作な動きで、ルーを斬ろうとしていた。
「な、なんですの」
「早く!」
形こそ鍔迫り合いだけど、巧みに力を逃がされ引けば斬られ、押しても斬られてしまいかねない状況が出来てしまっている。
クリスさんに手を引かれ、ルーの足音が遠ざかるのを背中で聞きながら、僕はこれまでの人生でなかったほどに集中していた。
一瞬でも目を逸らせば、間違いなく斬られる。
例えるなら、ソフィアさんは獣だ。
少しばかり人に慣れた毛並みのいいライオンがいたとして、ライオンが人と同じように生きられるはずもない。
ライオンの牙の間に頭を突っ込んで、生きて戻れると思うほうが間違っているんだ。
ルーは正しい人間だと、僕は思う。
僕みたいな間違いだらけの人間を、首根っこ掴んで引き摺りだそうとする正しい人間だ。
だから、ソフィアさんのように間違っているとわかりながら、間違ったままの存在をルーは理解出来ない。
「ふむ、さすがにお前は気付くか」
「それなりには長い付き合いになってますからね……!」
刀身と刀身をぶつけ合う鍔迫り合い、チィルダの薄い刀身は下手な力をかければぽきりと折れそうに見える。
しかし、僕がどんな風に聖剣を動かそうと巧みに力を逃がされ、折るどころか体勢を崩さないのが精一杯だ。
「思えば奇妙な縁だな」
「それは確かに……っと!」
口を開き、肺から空気が漏れた一瞬。
ほんの僅かに力が抜けた瞬間、ソフィアさんは動き出していた。
どういう動きを成したのか、聖剣が受け流されて地面を打つ。
油断はなかったはずだし、ソフィアさんから目を離したつもりはない。
だというのに、この有り様だ。
「しっかりしろ、リョウジ」
「しっかりして、この有り様ですよ!」
迷わず首を落とそうと打たれた刃を、必死に頭を下げて避ける。
露骨に手を抜かれた一撃だけど、頭の後ろの毛がまとめて斬られた感触。
二打目が来る前に、僕は聖剣を捨てて全力で後ろに飛んだ。
直線の速さだけなら、ソフィアさんより勇者の力を使った僕の方が速いはず。
「わかってはいたが、お前は火付きが悪いな」
そんな事を思っていたのは慢心だったのか、少し顔を倒せば唇が触れ合いそうな距離にソフィアさんはいた。
香水と血の匂い、まつ毛が長い、桃色の唇は固く結ばれている。
「死ぬぞ、お前」
ソフィアさんの言葉と共に、視界がぐるりと回った。
視界には土、それが床だと理解する前に腹に何かが突き刺さる。
「げはっ!?」
膝だ。
バレリーナのように右足を上げたソフィアさんの膝が、僕の腹に突き刺さっていた。
ため息を一つ吐き、つまらなそうな表情のままソフィアさんは僕の身体を蹴り飛ばす。
「死ぬぞ、リョウジ・アカツキ」
胃液が逆流しそうになるのを必死に飲み下す僕を、ソフィアさんは見下している。
冷たくも、暖かくもない目だ。
ここに在る僕を、ただ見るだけの目だ。
僕が腹の痛みでよたよたと立ち上がるのを、ソフィアさんはじっと見ている。
「死んでしまうぞ」
その声も、どこまでもいつも通りでしかなくて、いっそ信頼さえ籠っていて、
「お前が全力で戦わないのなら、お前の周りの人間を斬るぞ」
「なっ!?」
「ルーテシアとは情を交わした。 斬るのはとても悲しいだろう。 だが、斬る」
いつも通りで、いつものように本気だ。
「マゾーガは友だ。 だが、斬る」
その言葉に嘘はないと確信出来るだけの凄味がある。
「ヨアヒムも斬ろう。 ジャンも斬ろう。 お前の知り合い、全てを斬ろう」
「正気ですか!?」
「正気だとも」
どこまでも普段通りで、それがどこまでも本気なのだと理解させられる。
「本気を出せ、リョウジ。 誰も死なせたくないのだろう?」
ソフィアさんは勇者誘拐し人質にして、剣聖と呼ばれた人を斬ったくらいだ。
言葉だけと思うのは、さすがに楽観が過ぎる。
「……行きます!」