二十三話 兄と妹 中下
マゾーガはペネペローペの火を吹くような猛攻を、必死に受け続けていた。
力だけではなく、技もペネペローペが数段上で、こうして自分が受け続けられるが奇跡ですらあるように思える。
「諦めろ、シャルロット」
静かな声だった。
怨念と怒りに満ちた幽鬼めいた攻撃と、その声はどこか不釣り合いで、マゾーガは口端を上げて笑った。
「いやだ」
この端的な言葉すら、必要がない。
言葉を交わす代わりに、飛び交う戦斧の応酬は互いの意思を通じ合わせるに不足はないのだ。
マゾーガは思う。
兄は賢く、強く、なにより優しい。
「兄者ごそ、引け」
死ぬ気で、死なせるつもりで振るった戦斧は他人事なら口笛でも吹きたくなるほど、軽々と弾かれる。
十合、二十合などとうに超え、腕の差があってもまだ打ち合えているのは結局の所、マゾーガが手加減されているからなのだろう。
ペネペローペはマゾーガへと致死の攻撃をせずにいる。
そして、そんな自分に苛立ち、より攻撃が荒くなるのだ。
兄らしい、とマゾーガは思う。
「引く場所など、あるものか」
「ある」
マゾーガ達の住んでいた村は、滅んだ。
ペネペローペの手腕で豊かになった村は、その豊かさゆえに、凶作で食うに困った人間達により攻め滅ぼされた。
その恨みは、ある。
だが、
「また、やり直ぞう」
村を滅ぼされ、独りはぐれたシャルロットだが、それを救ってくれたのもまた人間だった。
傷付き、倒れた幼いシャルロットを助けてくれたのは人間の老夫婦。
死にかけていたシャルロットを手厚く看護してくれた。
その恩は忘れられず、まだシャルロットの胸の中にある。
「悪いのは、人じゃない」
そして、そんな事はもうペネペローペもわかっている、とマゾーガはわかっていた。
「悪いのは、悪だ」
傷も癒え、老夫婦の元を辞したシャルロットの前にあったのは、人間が人間を襲い、魔物が人間を襲い、魔物が魔物を襲い、互いに相食むという現実。
食えなければ誰かを襲い、欲望を満たすために争う。
「マゾーガは、どごにもいない」
ならば、
「おでは、マゾーガになる」
この悪しき世界に救いがないのならば、自分が救いになる。
幼いシャルロットは、マゾーガになると決めた。
「戯れ言をいうな!」
ペネペローペの怒りは燃え上がり、その炎は自らを焼いている。
バリー達のように昔からの部下を失い、魔王軍も失った。
「俺は人間を滅ぼす! そして、この世に我々の国を興す。 それ以外に死んだ者達に報いる道はない!」
ペネペローペは死人に引きずられている。
そうマゾーガは思った。
誰の死も忘れられず、進み続けるしかないと思い込む兄の姿は、おぞましい死の臭いと、泣きたくなるような切なさが同居している。
そんなペネペローペに自分の言葉は届かない。
それは泣きたくなるほど悔しくて、マゾーガの腹を決めさせるのには十分だった。
「終わりにじよう、兄者」
一打を選んで受けたマゾーガは、その勢いを生かして後ろに飛んだ。
「終わりになど、するものか」
「終わらなきゃ、駄目だ」
距離を開けたマゾーガは、頭上で戦斧を旋回させる。
風切る音は徐々に鋭さを増し、遠心力がかかり戦斧の先端に重さがのっていく。
対するペネペローペも同じく頭上で戦斧を回転さるが、その速度はマゾーガとは段違いに早い。
男女差による力の差、才能の差、修練した時間の差。
言い訳がマゾーガの中に次々と浮かび、消えていく。
だが最後に残ったのは、たった一つだった。
「行ぐ」
兄を救わなければならない。
この血の海と化した部屋は、兄の進む道そのままだ。
ならば勝つしかない。
言葉では止まらないのなら、勝つしかない。
「来い」
これ以上に語る言葉はなく、二人は前に出た。
オークの全力での踏み込みは石畳を砕き、回転のかかった戦斧は風を切る。
だが、マゾーガの心には波風一つ立たず、静かな心持ちで手にした凶器を振るう。
「ずっと考えでだ」
ペネペローペに如何にして勝つか、その一点を。
全力を尽くそうと、マゾーガはペネペローペには勝てない。
全てを断ち割ろうとする一撃は、まるでドラゴンが急降下してきたかのような威圧感で、マゾーガがどれだけ死力を尽くそうと放てそうにもないし、受けきれる気もしないものだ。
ならば、とマゾーガはその白刃の下に身を踊らせた。
「馬鹿な」
ペネペローペの呆然とした呟きは、誰に向けたものか。
無防備に白刃へとその身を晒したマゾーガを罵っているのか、狙いを逸らしてしまった自分への自嘲か。
狙いを逸らしたペネペローペの戦斧は、マゾーガの左腕を肩口から斬り落とした。
斬り落とされた事により、驚き収縮した筋肉はまだその血を外に漏らしてはいないが、それも時間の問題だろう。
「マゾーガ!」
リョウジの叫びと、ルーテシアの甲高い悲鳴が響く。
誰もが驚愕と呆我の中にあり、ペネペローペに抱き付くマゾーガを止める事を出来ずにいた。
「兄者……」
足元にはマゾーガの戦斧が叩きつけられ、石畳にめり込んでおり、無手となったマゾーガの右手はそっとペネペローペの背に当てられていた。
優しくペネペローペの身を抱き締めるマゾーガの表情はひどく穏やかで、
「おでの、勝ちだ」
手首に巻いた皮から銀光が飛び出し、ペネペローペの肋骨の間に滑り込んだ。