二十三話 兄と妹 中上
マゾーガ、本名シャルロット・ブィーヤンデキュイットの少女時代は、何とも不思議なものだった。
魔王領と人間の国との境界に暮らすブィーヤンデキュイット族はいつも貧しく、族長の娘であるシャルロットも間引かれる可能性すらあったらしい。
今だから言うが、と酒の席でガハハと笑いながら母親に言われた時は、三日ほとグレるべきかとシャルロットは悩んだほどだ。
しかし、シャルロットが物心ついた時には、そんな笑い話にもなりそうにない話を、笑って話せるようになるほど、ブィーヤンデキュイット族は豊かになっていた。
その原動力となったのはたった一人の幼いオーク、ペネペローペ・ブィーヤンデキュイット。 シャルロットの兄であるその人だ。
シャルロットが生まれた日、間引くべきかと悩む両親に、ペネペローペはこう言った。
「おでが、シャルロットを腹一杯食わせてやる」
両親は驚いた。
五歳にもなるのに言葉は怪しく、どこか弱々しさを感じさせていたペネペローペが、こうもはっきりと自分の意志を示すとは、誰も思っていなかったのだ。
しかし、その日からペネペローペは変わった。
渋る大人を説得し、畑に灰を撒き、麦を育て終わった畑に何やら雑草を植え……一年も経つと他の者が育てた畑と、ペネペローペが手をかけた畑では誰が見てもわかるほど差が出たのだ。
これらはすごい、と皆がペネペローペに頼り始め、ペネペローペもまたそれによく応えた。
幼い頭脳から次々に湧き出す新しい知識は、ブィーヤンデキュイット族に豊かさをもたらしたのだった。
シャルロットの考えるオークと人間の一番の差は、『オークは食わせてくれる奴が一番偉い』という決まりだと思っている。
能力に差がないのなら腕っぷしの強い者が族長になる所だが、ペネペローペのした事は圧倒的だった。
齢十歳にして、ペネペローペは族長会議に選出され、圧倒的な支持を受け当選する。
自分の目で見なければ、幼いシャルロットでもわかるくらいに冗談としか思えない結果だった。
族長となり、夜を徹した宴が終わると酔ったペネペローペは独り呟いていたのを、今でもシャルロットは覚えている。
「どうしてこうなった」
言葉こそ冗談めかして、オーク訛りのない人間に似た話し方だったがどうにもそれが寂しげで、宴の楽しげな雰囲気にベッドに入りこそすれ、眠れずにいたシャルロットの小さな胸がきゅんと痛みを与えた。
「お兄ちゃん……」
「シャルロット、起きてたのか!?」
暗い家の中、たった独りだからこそペネペローペは胸の内を表に出したのだろう。
もし自分が寝ていなければ、ペネペローペがこうして自分の弱さを表に出す事も無かったのだと思うと、それがどうにも悔しくて、幼いシャルロットの瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「な、なんで泣くんだ、シャルロット!? え、なにこれ、何のフラグ立ったの!?」
「ごめんなざい……」
すでに母親から自分が生まれた時、ペネペローペが言った言葉を聞いていたシャルロットは、とても悲しかった。
大人に囲まれ、族長として振る舞うペネペローペは無理にオーク訛りを使おうとしているせいか、とても口数が少なく、いつも厳しい顔をしている。
その無理は、シャルロットがいなければなかったものだ。
幼いシャルロットはそう思い、その柔らかな心に傷が生まれた。
「ごめんなざい……」
「あー……違うんだ」
泣き止まぬシャルロットを前に、ペネペローペは頬をかく。
ぼそぼそとペネペローペが話し始めたのは、それからしぼらくしてからだった。
「俺はさ、前世があるんだ」
「前……世……?」
「そう、前世。 その頃の俺はさ、家から出ないで、遊んでばかりいたニート……って言ってもわかんないか。 とにかく駄目な奴でさ」
「お兄ちゃんはだめじゃない」
悲しげに苦笑いを浮かべるペネペローペに、シャルロットはどうしていいかわからず、ぎゅと抱きつく。
せめて、少しでもペネペローペが楽になるように、と。
「ありがとな。 ……でもさ、ちょっと思っちゃったんだよ。 俺は前世の両親に何も返せないまま死んじゃったなって。 今くらい、とは言わなくても、今の半分くらい頑張ったらさ、少しくらい何か返せたはずなのに」
何もしなかったよ、と呟いたペネペローペの瞳から、涙が一滴だけ流れ、抱き締めていたシャルロットの首筋を濡らした。
「なら、その分、誰がに返せばいい」
「誰かに?」
何か考えがあったわけではない。
ただ胸の内から湧き出す想いをそのままに、シャルロットは言葉を紡いだ。
「前世のお兄ちゃんが、じながった分、誰かを幸せにじよう。 ぞうすれば、きっとお父さんもお母さんも許しでぐれる」
涙でつまり、聞きにくいであろうシャルロットの言葉。
ーーーああ、そうか。
だが、そう呟いたペネペローペの声は、どこか力が抜けていて、
「ありがとう、シャルロット。 俺は俺のやりたい事が見つかったよ。 お前みたいな妹がいて、俺は幸運だ」
すっきりとした笑顔を浮かべていた。
嬉しくなったシャルロットは、もう一度ペネペローペの首筋にぎゅっと抱きついたのだった。
黄金時代だったのだと、シャルロットは今にして思う。
精力的に働くペネペローペは、ブィーヤンデキュイット族だけではなく、別な部族、違う種族でも困っていたら助けた。
シャルロットもそんな兄を助けるために必死に腕を磨き、勉学に励んだ。
昼はペネペローペが作った学校に通い、友達も出来たシャルロットだったが一番の楽しみは夜、眠る前にペネペローペと話す事だった。
前世の事をシャルロットにだけは隠さず、色々な事をペネペローペは話してくれた。
森のように摩天楼が立ち並ぶ街、空を飛ぶ鉄の鳥、地を走る鉄の牛、好きな歌、好きだった人、心踊る話ばかりだった。
その中でも好きだったのは、
「白馬の騎士?」
「ああ、マゾーガだ」
悪あれば、愛馬『大嵐号』を駆り、颯爽と現れるマゾーガ。
世界征服を企む悪の秘密結社との最終決戦は、夜中だというのに、歓声を上げてしまったほどだ。
不屈の心で悪を許さないマゾーガは、幼いシャルロットの憧れとなり、その心はまだ消せずにいる。
そして、シャルロットの黄金時代は、終わりを迎えようとしていた。




