二十二話 rock'n'roll 下下
城壁を破り、魔物達を蹴散らした僕達は、魔王城の前にたどり着いていた。
やたらと巨大な門は見上げるほどに大きく、その表面は何だか鉛筆の芯を思い出す光沢があり、堂々と開かれている。
「なんですの、この有り様は?」
城門前には戦いの跡が、色濃く残っていた。
折れた剣や斧、矢や棍棒が散乱し、ゴブリンやトロルの死体が転がっている。
その中にはここまでほとんど見かけなかったオークの死体もいくつかあった。
不思議な事にオークの傷は正面から、他の魔物の死体には背中に傷が多い。
「仲間割れでもしたんじゃねえのか?」
「なるほど」
仲間だと思って、背中を見せたらばっさりってことか。
僕だけに囁くように言ったドワイト男爵の言葉に納得していると、しゃがみこんでトロルの死体を見ていたマゾーガが呟いた。
「兄者……」
その死体は袈裟がけに棍棒ごと両断されていて、ひどい有り様だ。
棍棒の切り口は綺麗な断面を見せているけど、ソフィアさんの切り方ではない。
ソフィアさんは武器と武器を合わせるような戦い方は滅多にしないし、胴体を両断するなら、首を落とすだろう。
「マゾーガのお兄さん……」
城塞都市で見たマゾーガのお兄さんは、まるで竜巻のように全てを薙ぎ払っていた。
手合わせしたわけではないけど、あの派手な戦い方は確かにこの状況を作り出した原因と言われたら納得出来る。
マゾーガのお兄さんとオークの部隊が、城門を守っていた魔物達を倒した、という事なんだろうか。
何が起きてるんだろう、と思うし、ソフィアさんはどこに行ったんだろう、とも思う。
だけど、
「マゾーガ、行こう」
マゾーガがお兄さんの事で悩んでいた事は知っている。
だけど、これは逆に考えたらチャンスなんじゃないだろうか。
お兄さんが魔王軍を裏切ったとすれば、マゾーガは戦う必要もないわけだし、それどころか魔王と戦うのに協力してもらえるかもしれない。
「そう、だな」
マゾーガは立ち上がった。
どこか悲しげで、僕は言わないつもりだった自分の考えを言う事にしてしまう。
「僕は思うんだけど、ひょっとしたらマゾーガのお兄さんは魔王を裏切ったんじゃないかな? それならマゾーガはお兄さんと戦う必要なんてないよ」
状況証拠しかなく、半端な希望ほど裏切られた時に痛い。
だから、ドワイト男爵は僕にしか言わなかったし、兵隊さん達に聞こえないように囁いたんだ。
それがわかりながらも、僕は言わずにはいられなかった。
それほどマゾーガは悲しそうに、だけどしっかりとした口振りで言う。
「違う。 兄者は、裏切らない」
「だけど」
倒れている魔物達が魔王軍を裏切った、という場合なら、魔王軍のマゾーガのお兄さんには背を向けたりはしないはずだ。
僕はそう言葉を続けようとして、マゾーガに止められた。
「兄者は、裏切らない。 自分を裏切らない」
どういう事?と聞こうとして、思い止まった。
立ち上がり、こちらに背を向けたマゾーガは、全てを拒んでいる。
「行くぞ」
中はひどい有り様だった。
魔物とオークの死体が、広々としたエントランスに所狭しと転がっている。
石畳を川のように流れる血が、踏み入れたマゾーガの足を汚した。
そんな事に頓着する気はないらしく、マゾーガはずかずかと歩いていく。
「待ってよ、マゾーガ!」
僕の声はマゾーガの巌のような背にぶつかり、跳ね返った。
僕だけではなく、兵隊さん達を待つ気はないらしく、奥へ奥へと向かっていく。
「え、えーと、ドワイト男爵!?」
「追いかけろ! 俺らはここで魔物を防いでるからよ」
その言葉に迷ったのは一瞬、考えてみれば魔王を相手に普通の兵隊さんが何人いても死ぬだけだろう。
それなら背中を気にせず戦うためにも、ここで防いでもらうのが一番だ。
「皆、死なないでくださいね」
「無茶を言うなあ、お前……」
言葉とは別に、ドワイト男爵はへらへらと笑い出した。
「そうならないために早い所、魔王倒してきてくれよ」
「はい! ……行こう、ルー、ヨアヒムくん」
「僕は行きません」
「あれぇ!? ここは戦える人だけが行くとか、そういう流れじゃないの!?」
ヨアヒムくんはこちらを見る事なく、さらりと言い放った。
「僕はここで姉様を待ちますので。 それにあなたの下で戦うとか、冗談じゃありません」
ヨアヒムくんは僕にだけ、つっかかるような話し方をする。
だけど、戦っている間だけはそういう事もなく、協力してくれていたはずだ。
つまり、
「これがツンデレか」
「はぁ? 何を言っているんですか」
城の外から足音が聞こえる。
まだ見えないが、魔物達が再び集まろうとしているのだろう。
「頼む、と言っておく」
「言われずともやりますよ。 ああ、そうだ、クリスさんだけ連れて行ってください。 姉様付きの執事を傷付けるわけにはいきませんから」
「わかった」
乱戦になった時、クリスさんがいると邪魔になる。
それなら僕の方で預かった方が、まだマシなはずた。
百本飛んでくる矢から守るより、一の大魔術の方が守りやすい。
程度があるから、どこかで待っててもらうことになるだろうけど。
「あうう……なんでこんな所まで来ちゃったんだろう」
「そもそもネートの家で大人しくしてればよかったでしょうに……」
「お嬢様付きの執事ですから……」
可哀想なほど肩を落とすクリスさんだけど、自業自得だと思って諦めてもらうしかない。
「アカツキ、マゾーガを見失ってしまいますわ」
「そうだね。行こうか」
進路としては単純だった。
エントランスから上に登る階段が一つだけで、あちこちに争った跡が点々とある。
始めは少なく、段々と歩を進めるにつれ、オークの死体が増えていく。
ゴブリンやトロルだけが相手ではなく、猫族や吸血鬼の死体も残っていた。
「……アカツキ」
「逆に考えるんだ。 何が出てきても、魔王よりはマシだってね」
「マシはマシでしょうけど……」
場を和ますためのジョークだったはずが、逆に呆れられてしまった。
まぁ怖がっているよりは、マシなはすだ。
「どうしてマゾーガは……」
クリスさんは言葉を途中で切ると、それきり押し黙ってしまった。
くねくねと曲がり角が多く、先が見通せない魔王城の通路は、マゾーガの姿を見失うには十分だ。
一本道でこの道以外、通れないはずだけど、角を曲がった瞬間、何かがありそうで走ろうとも思えない。
「マゾーガにも何か考えがあったのですわ」
「でも、これまでずっと一緒に旅をしてきたのに……」
どうして一人で行ってしまったのだ、と話し合う二人の間に僕は混ざる気にはなれなかった。
これまでも通路は血の臭いに満ちていて、吐き気を覚えるようなひどい有り様だ。
だけど、
「二人とも、静かに」
より一層、濃くなった血の臭い、全てを呪うような激しい殺意。
ふと視線が壁際に流れると、そこには見覚えのあるオークが倒れていた。
「バリーさん……」
マゾーガと、お兄さんの古くからの仲だったはずのバリーさんが倒れていた。
腰から下はどこへ行ったのかわからず、苦悶の表情を浮かべたまま、息絶えている。
お兄さんはもう独りになってしまっていると、僕は何となく思った。
角を曲がる。
むせかえるような血の臭い、足下は赤い川のような有り様だ。
何の装飾もない、ただ広いだけの部屋に足を踏み入れると、原形を留めていない肉片を踏んでしまう。
その感触に怯える暇などはなく、部屋の中央の二人に意識が向く。
マゾーガと、緑の皮膚を真っ赤な血で汚しているオークの姿だ。
マゾーガよりも頭二つ大きいオークは、まさに鬼といった形相。
目は爛々と輝き、手にした戦斧はまるでどこかから柱でも引っこ抜いてきたかのように巨大で、凶器という言葉がこれ以上、相応しい武器はない。
その刃をマゾーガに突き付け、静かにお兄さんは言った。
「帰れ、シャルロット」
必死に何かを押さえ込んでいる声。
「おでは、兄者を止めにぎだ」
「皆、死んだ。 俺だけが止まれるはずはない」
絶望、という言葉を声にすれば、こうなるんだろうと思わせられる声音。
「これ以上行けば、兄者は戻れなくなる」
「俺はそれを望んでいる」
僕もルーもクリスさんも動けない。
「おでは、望んでない」
「帰れ、シャルロット。 俺はお前がこれ以上、進むのを望んでいない」
柱のように巨大な戦斧が振られた。
突風を巻き起こす激しい一振りは、ぴたりとマゾーガの頬を掠めるだけに留まる。
だが、マゾーガは微動だにせず、静かに見つめ返すだけだ。
「兄者はもう、おでのために生きなくていい」
「今の俺は魔王に殺された部下の鎮魂のためにある。妹可愛さなど、とうに捨てた」
「ぞうか」
マゾーガは静かに構えた。
地に根を張るような、しっかりとしたいつもの構えだ。
「なら、おでを斬れ。 おでもお前を斬るぞ、ペネペローペ」
「そうか」
マゾーガのお兄さん、ペネペローペも構える。
マゾーガを大樹とするならば、自分すら焼いてしまいそうな烈火のような殺気を振り撒きながら。
部外者が入り込む隙間は一切なく、僕達はただ見ているしかなった。
「さらばだ、我が愚妹シャルロット」
「さらばだ、我が愚兄ペネペローペ」
そんな静かな言葉と共に、お互いの戦斧が振りかぶられた。