二十二話 rock'n'roll 上下
「これはなんとも……」
「すさまじい、力だな……」
リョウジとマゾーガが、えぐりとられた地面の端にしゃがみこみ、黄色く熟したバナナをかじりながら、魔王城を眺めている。
端は垂直に、そして中央に近付くにつれなだらかになっていく地面は、まるで丸い巨大な珠を地面に押し付けたかのようだ。
マゾーガはどこから持ってきたのか、兵士用の鎧を着こんでいるが、一人分ではマゾーガの巨体には足りず三人分の鎧を無理矢理に纏っていた。
板金の胸鎧叩いて伸ばしたものを正面と脇を守るように三枚、すね当てを三枚、籠手は入らずなめした皮を巻いているだけだが、その荒々しい装いはマゾーガの益荒男ぶりをますますあげている。
いやまぁ、女であることだし、益荒女と呼んでおこうか。
「何をどうしたらこうなるんでしょうね?」
立ち上がったリョウジが言う通り、山一つを綺麗にくり貫いたかのように地面が抉れている。
その中心には悪趣味極まりないおどろおどろしい、いかにも魔王が住んでいます、といった作りの城が見えた。
「元々、常識の通じない相手だとはわかっていただろう。 それとも怖じ気づいたか?」
リョウジは肩を竦めた。
その仕草はなんとも似合っておらず、ヨアヒムから借りた、黒い足元まで届きそうなサーコートも全く似合っていない。
しかも、中に着込んでいるのも黒のシャツ、ついでに黒いブーツ。
ブーツは鉄板、サーコートには鎖が縫い込まれていて、物自体はいい物だ。
「出来たら今すぐ帰りたいです」
「帰ってもいいぞ」
「後悔しそうですし、頑張ってみます」
言葉こそ静かだが、その目にはしっかりとした闘志が宿っている。
私がわざわざ何かを言う必要はなさそうだ、一つを除いて。
「お前、黒を着れば格好いいと思ってないか?」
「そ、そんな事はありませんですよ!? でもほら、イケてますよね!?」
「もう少しなんとかならんのか」
「色々スルーして全否定ですか!?」
リョウジから視線をずらすと、ルーテシアは意見を求められるのを怖れるように、少し離れた場所に逃げている。
純白のドレスのまま、器用に栗毛の馬をのりこなしている辺り、色々とどうかしていると思う。
旅の途中に学んだわけでもなく、最初からドレスで堂に入った乗馬を見せていたのだから、元からああやって乗っていたのだろう。
見た目を裏切り、かなりのじゃじゃ馬だ。
リョウジを引っ張っていくのなら、それくらいでなければ無理なのだろう。
「姉様はとてもお似合いです」
「うむ、そうだろう」
職人に作らせた藍の袴と桜色の小袖、紺の長羽織には銀糸で細やかな刺繍がなされている。
降る雪と儚げに咲く雪の花を、さらりと描く技量は職人でなければ不可能だろう。
「父様は……」
「まぁ兄達がいる。 私達がここで死んでも、ネート家は残る」
ネート家軍は辺りを探しても見付からなかった。
魔王の力を目にした兵達が、偵察に出した端から脱走してしまうのであまり探せたとは言えないが、恐らく駄目だろう。
たが私もヨアヒムとて武門の子、覚悟は出来ていた。
「よっし、じゃあ行こうか、皆の衆」
そんな感傷を切るように、兵をまとめていたジャンが前に出てくる。
「先駆けは任せておけ、年寄りの冷や水だぞ」
「何を言ってやがる。 まだまだいけるわ」
気合い十分といった様子で、言っても聞く気はないだろう。
脱走者が増え二千を切りそうな今、指揮官が前に出なければ兵は動きそうにもない。
兵にしてみれば魔王城にたった二千ほどで突撃をかけるなど、冗談ではないのだろう。
だが、魔王軍とて相当数を減らし、城に籠る数は二万か三万か。
一気に斬り込んで、魔王を討ち取る目は十分にあるはずだ。
他に味方も見つかりそうにないし、選択肢がないとも言うが。
「お嬢様!」
「ん、どうした、爺」
これからさあ、行こうか、という時に爺が兵達の間を抜け、走り寄ってくる。
後ろに下がり、補給物資と共に待っているはずで正直、いるのを忘れていたが、一声くらいかけてもいいだろう。
「なんですか、その忘れてたみたいな顔は!って」
「あ」
と、爺の身体が宙に浮いた。
足元には石があり、つまづいたのだろうな、という変に冷静な現状分析が入る。
その先は垂直に落ちる地面で、爺の身体を押し止める物は何もない。
あまりの光景に誰もが動けず、落ちていく爺を、ただ見送るしかなかった。
「あー!?」
「クリスさんが勢いよく転がっていく!?」
「ええい、追うぞ!」
反射的に動いたらしいリョウジを先頭に、雪崩れ込むように一斉に動き出す。
なんの冗談だ、と思わなくもないが、さすかに見捨てるわけにはいかない。
「何かこう、びしっと決めて魔王城突入とかじゃないんですかー!?」
「うるさい、追え!」
ごろごろと転がる爺は速度を増していく一方だが、二本足で追う私達や馬に乗る連中は、この角度のある地面を全力で走れるはずもない。
ぐんぐんと近付いてくる魔王城の城門には、当たり前だが誰もいないという事はなく、ゴブリンやオーク、トロルなどが守りについているのが見える。
「くそっ、ソフィア、このまま突っ込め! そいつは後続で回収する!」
「それしかないか!」
やけくそにしか聞こえないジャンの声に、やけくそで返すと、私は覚悟を決めた。
城壁の上には魔物達が見えるが、まさかこんな形で突っ込んでくるとは思っていなかったらしく、どいつもこいつも慌てた様子がある。
「奇遇だな、まったく! 肩に剣を構えろ、リョウジ!」
「え、なにを」
坂を下る速度をそのままに、私はリョウジに向かって走る。
「刃は寝かせろ!」
リョウジが刃を寝かせるのを確認しないまま、剣に飛び乗った。
そういえば聖なる剣などと言われていたはずだが、粗末な扱いに神が罰を下すなら、まずはリョウジからに違いない。
「振り抜け!」
「はい!」
私の意図を理解したリョウジは、思いきり剣を振り抜く。
投石器にはね飛ばされたかのような勢いで、私の身体は宙を舞う。
普通の城壁ならこんな人力で何とかなるようなものではないが、地面より低いにある魔王城に飛び込む分には問題ない。
しかし空を飛ぶ鳥の気分、というよりも投げられたゴミのような気分を味わう事になるとは思わなかった。
魔物達が慌てて矢を放とうとするのを眼下に見ながら、私は身を翻した。
「やれやれ……」
目標にしていた城壁を通りすぎ、ぶち当たりかけていた見張り台の柱に足をつく。
リョウジがどれだけの力で投げ込んだのか、私の華奢な足では支えきれないほどの力がかかっている。
世の中、全てが上手くいくものではないが、少しくらいはきっちり決めさせてくれないものか。
そんなぼやきを呟きながら、足腰にかかる力を地面へと向ける。
こうなればやけだ。
「魔剣チィルダが主、ソフィア・ネート」
見張り台を蹴り、真下に駆け下る勢いそのままに、城門の前で隊列を組んでいたゴブリンどもに斬りかかった。
首を失ったゴブリンに頓着することなく、一息で五匹ばかり斬り捨てると、辺りの魔物の視線が私に向く。
「魔王城一番乗りぞ! さあ、私を討ち取ろうとする者はかかってまいれ!」
にわかに立ち上る血臭、首を失ったゴブリン達が倒れ伏す。
さあて、せめて私くらいは格好つけさせてもらうとしようか。