白
白
“有”なら純粋
“無”なら空っぽ
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奈緒子はいつも通り、登校して、一ヶ月ほど前と同じ反応をした。
ただのクラスメイト。
いてもいなくても、どちらでも、というような、元の関係に戻った。
そして一条夕嘉はあの日以来、数日間、ベンチに来ていなかった。
クラスも何度か覗いて見たが、彼女の姿はなかった為に学校を休んでいることが分かった。
僕は放課後、彼女の家に行くことにした。
直接彼女に聞いたことはないが、“豪邸”の場所はわかる。
着いてから僕は豪邸の前で立ち尽くした。
表札には予想通り“一条”の文字。
予想は当たった。
だが、半ば外れてほしいと思っていた為に、少し戸惑った。
家を知らないのなら、僕は彼女に対して何もしてやることが出来ない。と自分に言い訳できる。
すると、少し嗄れた声で話しかけられた。
「君は?」
「え?」
見ると、50代ぐらいだろうか、スーツを着た男が門の向こうに立っていた。
普段の顔つきは穏やかなのだろう。
しかし、今は不審な行動をしていた僕を見て顔をしかめていた。
しまった、と思いつつこのまま立ち去るわけにもいかないので僕は口を開いた。
「あの、一条夕嘉さんのお宅ですか…?」
「そうですが…」
やはり一条夕嘉の家で間違いないようだ。
「僕は彼女の同級生ですが、最近彼女、学校に来てないから心配で…。」
よくもこう、すらすらと嘘が出てくるものだと自分に驚いた。
僕は彼女の心配なんでしていない。
あるとすれば八つ当たりで首を閉めてしまった彼女への少しの罪悪感とそんな行為をした彼女の体調の様子見。
まるで一端逃げたのに犯罪現場に来てしまう罪人のようだ、と僕は自分を嘲笑った。
僕がこんなことを考えているとは知らずに男は表情を和らげ門を開けた。
「おや、そうですか。ここで立ち話はなんですから、中へ…」
広い廊下を歩きながら訪ねてくる。
「私は使用人の佐伯と申します。
貴方様のお名前は?」
「篠塚 真紘、です。」
「篠塚様ですか。」
様、とつけられることに違和感を感じる。
佐伯さんに着いていくとテーブルとソファのある部屋に通された。
調度品は全て上品で、しかしほとんど使われていないかのようだった。
佐伯さんに促され、僕はソファに座った。
僕がきょろきょろしている間に、佐伯さんがお手伝いさんのような女性に何か言って下がらせた。
そして向かいのソファに腰を下ろす。
「すみません。事前に知っていればおもてなし出来たのですが…。」
「いえ、お構いなく。
急に来たのは僕の方なので…。」
佐伯さんが夕嘉様は…と続ける。
「しばらく部屋から出ない、と仰っておりまして…ただ体調不調ではありませんのでご心配なく。」
「そうですか。」
ほっと、脱力した僕に佐伯さんが微笑んだ。
「それにしても夕嘉様にご友人が出来るとは…」
部屋にさっきのお手伝いさんのような人が入ってくる。
どうやらお茶を持ってきてくれたらしい。
紅茶やクッキーを並べていくお手伝いさんにさりげなく会釈をして、僕は佐伯さんに向き直った。
「今まで、友達いなかったんですか?」
実際僕と彼女の関係はけして友人と呼べるようなものではないが。
佐伯さんは頷いた。
「私が知っている限りでは。
何せ、毎日お世話をさせていただいている私ですらほとんど会話しておりません。」
確かに彼女はほとんど話さない。
僕がいないところでペラペラと喋っているとも思えなかった。
佐伯さんは悲しそうな顔をした。
「…お嬢様は感情を何処かへ置き忘れてしまったのです。」
「感情が、ない?」
「はい。」
佐伯さんは続けた。
「お嬢様は何も感じないのです。悲しみも、喜びも、怒りも。旦那様、夕嘉様のお父上は仕事に熱心な方でお嬢様を見向きもしませんでした。奥方様は産んですぐにお亡くなりになられたので…。」
何も言えない僕を見ながら佐伯さんが言う。
「なのでお嬢様は誰からも何も与えられたことなどないのです。いや、モノだけは沢山ありました。しかし心を受け取らずに今まで過ごしてきたのです。」
彼女の生い立ちを聞いた僕はただ黙っていた。
“気持ちが、分からない”
“普通の家庭じゃない”
彼女の言葉の意味が分かった。
どんな反応も出来ずに戸惑う僕をよそに、さっきのお手伝いさんが入ってきた。
お手伝いさんが佐伯さんに言伝し、佐伯さんは少し驚いた顔をした。
「篠塚様。夕嘉様がお会いになるそうです。」
案内された、部屋の扉が開かれた。
部屋はカラフルだった。
可愛らしい人形や、クッション、いろいろな動物のぬいぐるみ、パステルカラーのいろいろなものが置いてある。
あとは、本。
たくさんの本が床に無造作に散らばっていた。
机や椅子はなく、ただ寝るためだけの部屋。
一条夕嘉は、真っ白なネグリジェを着て、ふわふわなベッドから上半身を起こしてこちらを見ていた。
彼女の白い首に痣が浮かんでいて僕は目を逸らした。
「…痣が消えるまでは部屋にいようと思っていたが…まさか君からくるとはな。」
何も言えない僕に彼女は淡々と続けた。
「佐伯から、私の話を聞いたそうだな…。
「ああ…。
彼女の顔をちらりと見た。
彼女はなんの表情も浮かべてなかった。
「私はアレと同じだ。」
細い指が床を指す。
僕も下を見た。
本や、クッションに混じり、無造作に置いてあったのは…
「スケッチブック…?」
彼女は頷いた。
「そう、アレと同じ。」
彼女はゆっくりベッドから降りると、スケッチブックを拾い上げた。
「今まで私の心は白紙だった。」
パラララ…
ページが巡られる。
「だから余計君に興味が湧いたのだ。
周りより一際異彩を放つ君に、な。」
彼女はそういってパタリとそれを閉じた。
「君は唯一の私の興味対象だ。」