1年生7月 優しい七夕イブ
「明日は七夕だな」
無表情でぺろぺろとコーンに乗っかったバニラアイスを舐めている薪切君。そんな食べ方をしてると溶けて落ちちゃうよ。ちなみに、わたしはストロベリー。
五月に部活に入ってからよく薪切君と一緒に帰る。今日は買い食いに挑戦することになって、アイスクリームを買い、七月の日差しを避けるために公園の木陰のベンチで食べている。暑いのに薪切君は涼しい無表情。すごいな、どうしてだろう。
「そうだね。薪切君のおうちは笹を飾ったりするの?」
薪切君はうなずく。
「ああ。今日な」
「え、明日じゃないの?」
またうなずく薪切君。
「一般的に笹を飾るのは六日だ」
「へえ、知らなかった。七夕イブだね」
薪切君と話すといろいろと勉強になることが多いな。
「お前のうちではするのか?」
「ううん、したことない。してみたいんだけど」
マンションのベランダじゃ飾りにくいし、親が仕事で忙しいから。
「じゃあ、うちでしないか?」
薪切君は無表情でこちらを見る。
「いいの? でもいきなりお邪魔したら迷惑じゃない?」
「大丈夫だ。ぜひ来てくれ」
そう言って、コーンをぱりぱり食べた。
葉が茂る桜並木を歩いて薪切弁当まで来たときには結構汗をかいていた。でも薪切君はまだ涼しそうだ。
「店の横に玄関がある」
付いていこうとすると、その玄関から中学生くらいの少年が出てきて目が合った。そして輝かしい笑顔で薪切君を見る。
「兄ちゃんその人、百合ちゃん?」
「そうだ」
弟さんか。薪切君、おうちでわたしのこと話してるのかな。でもなんで下の名前?
「母さん呼んでくるね!」
慌ただしく家の中を駆けていく弟さん。
「弟の恵だ」
「中学生?」
「ああ。一年だ」
薪切君と違って、背が低くて目がぱっちりした可愛い感じの子だったな。
すぐ恵君と、エプロンを着たお母さんらしい女の人が道まで出てきた。髪が長くて綺麗で優しそうな人だ。どことなく薪切君に似てる。
「百合さんですか?」
「はい」
その人はわたしに微笑む。
「息子からよく聞いてます。いつもお世話になってます」
やっぱり。というか、薪切君もしかして家でわたしのこと百合って呼んでる? まさかね。
「こちらこそ豊くんには料理とか教えてもらって、お世話になってます」
下の名前で呼ぶのはなんか恥ずかしいな。
薪切君は不満そうにお母さんに言った。
「母さん、別に俺は倉本のことを話してるわけじゃない。母さんが聞いてくるから答えているだけだ」
「はいはい、そうね」
さすがお母さん、見事にあしらった。
「それにしても、豊に友だちが出来るなんて。しかもこんな可愛い女の子の」
可愛いなんてそんな。
「大げさだな」
……どの部分が?
恵君もお母さんの隣でうなずく。
「中学に入ってばったり友達が来なくなったもんね。みんな心配してたんだ」
まあ、薪切君と付き合うのはちょっと大変だもんね。
薪切君は反論できないらしく、ため息をついた。
「七夕前だから、倉本も一緒に笹を飾ろうと思って連れてきた」
「まあ、そうなの! 嬉しいわ、入って入って」
お母さんに連れられておうちに入る。昭和初期からあるんじゃないかと思うくらい古い建物。
「一階はお店と厨房になってるの」
お母さんが説明してくれる。ほんとだ、お店の裏は厨房になってるんだ。薪切君は毎朝ここでお弁当を作ってるんだな。
「厨房の裏には居間と庭があるのよ。そちらに行きましょう」
居間に入って庭を見ると、少し驚いた。
「畑があるんですね」
山々が綺麗に見える芝生の庭には、畑があってトマトや茄子なんかの夏野菜が実っている。
「そうなのよ。自分で作ると安心だし、安いから」
へえ、お弁当にも入っているのかな。美味しそう。
「麦茶」
お盆を持った薪切君が入り口を頭をぶつけないようにくぐってきた。背が高いと大変だな……。
「葡萄だよ」
後ろから恵君がガラスのお皿を持ってきて机の上に置く。葡萄はデラウェアかな。
「よかったらどうぞ」
お母さんが勧めてくれた。
「ありがとうございます。いただきます」
うん、麦茶も葡萄も美味しい。薪切兄弟もぷちゅぷちゅと葡萄を食べている。
「百合ちゃん、天の川を見ていかない? ここよく見えるんだ」
恵君がきらきらとした瞳でわたしを見る。
「見てみたいけど、ご迷惑じゃないかな?」
「あら、いいのよ」
お母さんは微笑む。
「もしよかったら、夕飯もどうかしら」
「そうしたらいい」
薪切君もそう言ってくれた。うん、それもいいかも。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
わたしが言うと、恵君が嬉しそうに笑った。
「やった!」
……可愛いな。
「じゃあ、笹飾りを作ろう」
恵君は引き出しから折り紙とハサミを取り出して、わたしの前に置いてくれた。よし、折り紙は得意分野。
笹飾りを作った後は、薪切兄弟と絵を描いたりトランプをしたりして時間を過ごした。こうやって男の子と遊んだのは初めてかもしれない。
「だいぶ暗くなってきたね。夜にならないうちに、笹を飾ろう」
トランプが終わると、恵君はそう言って笹飾りが入った箱を持ってきた。
「そうだな」
薪切君は答えて、トランプをまとめて引き出しに片付けた。
「先に飾っておいてくれ」
「うん、分かった。百合ちゃん行こう」
わたしは恵君と縁側に行く。日が暮れて少し気温は下がったみたいだけど、まだまだ蒸し暑い。
笹の根元を麻の紐で括り付けて、笹飾りを結んでいく。どんどんカラフルになっていく笹に風が当たると、さらさらと音を立てて涼しげ。そんなとき、薪切君が縁側に出てきた。
「恵、また蚊取り線香焚いてないのか。お前、夏外に出たら必ず蚊に刺されるくせに懲りないな」
「分かったよ」
恵君が面倒くさそうに蚊取り線香を焚いて、わたしたちは縁側に座った。
「そういえば、百合ちゃん。兄ちゃんすごいんだよ」
「なに?」
「兄ちゃん、蚊に刺されたことがないんだ!」
驚いて薪切君を見る。
「ほんと!? 一度も?」
「ああ」
真顔で答える。すごいな。
「言われてみれば、薪切君の血ってまずそうだよね」
なんとなく。
すると、薪切君がぎょっとした様子でわたしを見た。
「あ、今のは蚊の立場に立って言っただけで、別に人の血を吸う趣味はないからね」
それじゃ吸血鬼だよね。
「それは分かっている。ただまずそうと言われて反応しただけだ」
ああ、薪切君が恐れている言葉だったのかな。料理がすごく上手いもんね。
恵君が吹き出した。薪切君は気に入らなかったのか、無表情になった。そして、思い出したように恵君に尋ねた。
「そういえば、恵の願い事は今年もあれなのか」
あれ?
「そうだよ。お姉ちゃんが欲しい」
それ、無理難題だね。
「恵は小さいころから毎年七夕の願いはそれなんだ」
恵君はうなずくと、あっと声を上げた。
「そうだ、百合ちゃんのことお姉ちゃんって呼んでいい?」
わたしは微笑んだ。
「いいよ」
今度は薪切君は顔をしかめた。
「くだらない。お前が倉本を姉と呼んでいいのは、倉本がうちの養女になるか俺とけっこ……」
最後まで言わせずに恵君が薪切君の口を手でふさぐ。
「くだらないのは兄ちゃんの方だろ。お姉ちゃん気にしないでね、こういう奴なんだ」
「知ってるよ」
薪切君は恵君の手を外し、今度はそっぽを向いてしまった。怒ったのかな。
「あ、蚊に刺された!」
恵君が腕をかく。
「でも、かゆみどめはこの間からどっか行っちゃったからな。探したらあるかな……」
恵君はかゆみどめを探しに中に入る。しばらくして、縁側に出てきた。
「どこにもなかった。かゆい」
恵君は腕をかきむしる。だめだよ、傷になっちゃう。
あ、わたしも脚がかゆい。
「わたしも蚊に刺された……」
すると、薪切君がポケットからチューブのかゆみどめを出してわたしに渡した。
「兄ちゃんが持ってたの!?」
恵君が怒って頬を膨らます。
「なんで隠してたの?」
「隠してない。忘れていただけだ」
薪切君、怒っていたとはいえ大人げない……。
「兄ちゃんは蚊に刺されたかゆみの辛さを知らないからそんなことができるんだ」
あれ?
「そういえば、薪切君はどうしてかゆみどめを持ってたの? なくなっていたし、蚊に刺されないのに」
薪切君は目をそらした。
「いや、それは……」
すると、お母さんがお盆を持って縁側に出てきた。
「お疲れ様。ジュースを持ってきたわよ」
すると、恵君がお母さんに不満を言った。
「母さん聞いて、兄ちゃんがぼくが蚊に刺されたのにかゆみどめを隠してたんだ」
すると、お母さんは不思議そうな顔をした。
「あら、でもさっき豊がかゆみどめを探してるとき言ってたわよ。『恵はすぐ蚊に刺されるから、蚊取り線香とかゆみどめがいる』って」
薪切君がため息をついた。薪切君、お兄さんらしいところもあるんだね。大人げないけど。
恵君は驚いた顔をして、笑った。
「兄ちゃんありがとう」
薪切君はきまり悪そうな顔をした。
「悪かったな」
そんなことをしているうちに夜になった。わたしたちは短冊に願い事を書いて、笹に付ける。
「お姉ちゃんはなんて書いたの?」
「料理が上手くなりますように。料理部だから」
「兄ちゃんの色に染まってるね……」
恐ろしそうな顔をする恵君。別に染まってるわけじゃ……。
「薪切君は?」
「商売繁盛」
なるほど。薪切君らしい。
「恵君は?」
「蚊に刺されませんように、とお姉ちゃんといっぱい遊べますように」
わたしは笑いかけた。
「いっぱい遊ぼうね」
恵君も嬉しそうににこにこ笑った。
すると、薪切君が電気を消して庭に出て夜空を見た。わたしたちも庭に出る。
「わあ、天の川だ」
夜空のたくさんの星の中に、ぼんやりと天の川が見える。風が吹いて、縁側の風鈴が鳴った。神秘的、ずっと見ていると宇宙にいるみたい。
「織姫と彦星、会えたかな」
薪切君はそうつぶやいた恵君を見た。
「会えたと思う」
蚊取り線香の匂いが、なんだか優しく感じた。