「無反応の加護令嬢、婚約破棄された夜に愛で目覚める ~同調の加護は、真実の愛にのみ応える
「フィオナ、貴様との婚約は本日をもって解消する」
卒業の夜会で、婚約者のクラウス様が声高らかにそう言い放った。
「同調の加護が、何の反応も示さないなど有り得ん。妹のリゼットは、幼い頃から炎の加護で魔獣を退けてきたというのに。無反応の加護持ちなど、辺境防衛を担う公爵家の恥だ」
隣に立つ妹のリゼットが、勝ち誇った顔で私を見下ろす。
「お姉様、残念でしたね。私はずっと、あなたが邪魔だったの」
その声は、甘く、静かで、ひどく残酷だった。生まれつき炎の加護に恵まれ、討伐部隊からも一目置かれる天才ともてはやされてきた妹と、二十歳になっても一度も加護が反応しない私。この国では、加護は貴族の飾りではなく、国境を侵す魔獣や瘴気から民を守るための力そのものだ。比べられるたび、家族の視線が冷たくなっていくのを感じていた。
一度だけ、母に「なぜ私だけこんなに冷たくされるのですか」と尋ねたことがある。母は困ったように微笑んで、「あなたは、しっかりしているから」とだけ答えた。それが慰めなのか、単なる言い訳なのか、私には最後まで分からなかった。以来、期待することをやめ、感情を表に出すことも少しずつ減っていった。
その夜会に、マリアンヌ・ヴェルト侯爵令嬢が来ていた。セドリック様の幼馴染として社交界に名の知れた美しい令嬢で、いつも完璧な笑顔を纏い、誰からも称賛される存在だ。彼女が今夜も華やかなドレスで会場の中心に立ちながら、こちらをちらりと見た。その目が、わずかに細くなった。
「クラウス様、私を選んでくださって光栄ですわ」
リゼットが見せつけるように、掌に赤い炎を灯した。会場がどよめき、称賛の声が上がる。その炎は、この国有数の討伐貴族が扱う〈焰の加護〉の証だった。
「見ての通りだ。無反応の貴様に用はない。今日をもって、婚約破棄だ」
その一言と同時に、リゼットの炎が制御を失った。普段の火とは明らかに色が違う――禍々しい黒紫の炎が、シャンデリアを覆う。
「きゃあっ……!? これ、違う……瘴気が混じってる……!?」
「リゼット、止めろ! 加護を引っ込めるんだ!」
「で、できない……! 勝手に……!」
炎は瞬く間に天井を覆い、会場中が悲鳴に包まれる。招待客たちが出口へ殺到し、身動きが取れなくなっていた。誰の目にも、これがただの魔法の暴走ではないと分かった。会場のどこかに仕込まれていた瘴気石が、リゼットの加護に反応して炎そのものを侵食したのだ。
「下がれ、危ない!」
クラウス様が叫ぶが、炎はさらに勢いを増していく。誰も彼もが我先にと逃げ惑う中、私の足はなぜか動かなかった。
その瞬間、背後から誰かが私を強く抱き寄せた。
「怖がらなくていい。俺がついている」
「……セドリック、様?」
「ああ。離さない」
力強い声が耳元で響く。全身を包む温もりに、張り詰めていた何かがふっと緩んでいくのが分かった。
辺境伯家の嫡男、セドリック様の声だった。国境の砦で瘴気と魔獣を日々退けている一族の長子で、以前、辺境の視察先で偶然言葉を交わして以来、幾度となく手紙を寄越し、私を気にかけてくれていた人だ。
「加護が反応しないくらいで、あなたの価値は少しも変わらない」
初めてそう言われた時、私は言葉の意味が分からず、ただ戸惑うことしかできなかった。誰かにそんな風に言われたのは、生まれて初めてのことだったから。以来、季節が変わるたびに届く手紙には、いつも私自身を気遣う言葉だけが綴られていた。婚約者がいる私に踏み込むことはなかったが、その気遣いはいつも本物だった。
「あなたを一人にはしない」
「……でも、私には何も」
「関係ない。俺はあなたがいい」
抱きしめられた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
「――守って」
気づけば、私たちを中心に淡い光の膜が広がっていた。膜は瞬時に会場全体を包み、瘴気に侵された炎を内側から浄化していく。ぱちん、と何かが弾ける音がして、黒紫の炎は白い光の粒となって消え去った。
「……これは」
誰かが、呆然と呟いた。会場は静まり返り、全員の視線が私に集まっている。
「同調の加護は、誰かに真に愛されて初めて反応する希少な加護だ。瘴気を祓う浄化の力を持つ、大陸でも数十年に一人現れるかどうかの上位加護。……見事だ」
セドリック様が、静かに告げた。
「俺はずっと、あなたの本当の価値に気づいていた。加護のためではない。あなたのそういうところに、惹かれていた」
「……私の、そういうところ?」
「諦めているふりをしながら、ちゃんと傷ついているところだ」
思いがけない言葉に、頬が熱くなった。会場がどよめく。先ほどまで私を蔑んでいた貴族たちが、次々と頭を垂れ始めた。
「な、なぜ同調の加護持ちが、無能力扱いされていたんだ……瘴気を祓える加護なら、王国にとってどれほどの――」
クラウス様は青ざめ、言葉を失っていた。王家の魔導調査官が駆けつけ、会場に仕込まれていた瘴気石の出所を調べ始める。ほどなくして、その瘴気石がリゼット自身の私物から見つかったことが判明した。
「リゼット嬢。この瘴気石は、討伐で押収された禁制品です。なぜあなたの部屋から」
「わ、私は……ただ、お姉様の加護が反応しないところを、皆に見せつけたくて……でも、これは、マリアンヌ様が……マリアンヌ様が、近くに置くだけでいいと言ったから……!」
会場がざわめいた。視線が一斉に、マリアンヌ・ヴェルト侯爵令嬢へと向く。
「……私が、何ですって?」
マリアンヌは微笑んだまま動じなかった。しかし、その完璧な笑顔の端が、わずかに引きつっていた。
「リゼット嬢に瘴気石を渡したのはあなたですか」
調査官の静かな問いに、マリアンヌは扇を開いた。
「証拠もなく侯爵令嬢を疑うとは、ずいぶんな話ですこと」
「証拠であれば、あります」
セドリック様が静かに割り込んだ。
「その瘴気石は辺境の砦で押収された特定の刻印入りの品だ。流通経路は限られている。マリアンヌ嬢、あなたの父君が先月、砦の視察に来られましたね」
マリアンヌの扇が止まった。
「……それが何だというの」
「フィオナの同調の加護を潰し、彼女をセドリックから引き離し、加護ごと我が家に引き込む。ずいぶん手の込んだ計画でしたね」
セドリック様の声は静かだったが、会場に冷たく響いた。マリアンヌの笑顔が、初めて崩れた。
「……違う、私はただ――」
「リゼット嬢を唆し、クラウス殿の婚約破棄を後押しし、今夜この場を仕込んだ。全部繋がっています」
調査官が淡々と告げると、マリアンヌは扇を取り落とした。それまで完璧に保たれていた立ち居振る舞いが、音を立てて崩れていくようだった。
リゼットは震える声でさらに白状した。姉の無反応ぶりを演出するだけのつもりが、瘴気石がこれほどの惨事を引き起こすとは思っていなかったのだと。マリアンヌに「ほんの少し近くに置くだけ」と言われ、疑わなかったのだと。
「禁制品の不正流通及び使用、公共の場における重大な危険行為。ヴェルト侯爵令嬢並びにリゼット嬢、追って沙汰を下します」
調査官の声に、マリアンヌは唇を引き結んだ。その顔から、ついに笑顔が消えた。
クラウス様は婚約破棄を撤回しようと躍起になったが、王家からの正式な咎めを受け、次期侯爵の座を一時剥奪されることになったという。かつて私を「公爵家の恥」と呼んだ人々の視線が、今度はクラウス様に突き刺さっていた。
「フィオナ、待ってくれ! 婚約の話は、なかったことに――」
「なかったこと、ですか」
「俺は本気でお前のことを――」
「クラウス様。あなたは今夜、大勢の前で私を公爵家の恥と呼びました。それは、なかったことにはなりません」
クラウス様は何度も謝罪の言葉を並べたが、その目には保身の色しかなかった。私は、それ以上言葉を交わすことなく背を向けた。
父も母も、態度を一変させ新しい縁談を差し出してきたが、心は少しも動かなかった。
「フィオナ、お前を正式に跡継ぎに戻したい。国境の防衛のためにも、お前の浄化の加護が必要なんだ」
「お父様。私が加護を持たなかった頃、私に何と言いましたか」
父は口を開きかけ、閉じた。
「……」
「今さら、ですか」
短くそう告げると、二人は何も言えないまま押し黙った。
数日後、屋敷に届いた花束には、セドリック様からの正式な求婚の手紙が添えられていた。封を開いた瞬間、胸の奥がじわりと温かくなるのを感じた。あの夜以来、何度もその言葉を思い返していた。加護のためではない、あなたのそういうところに惹かれていた、と。それがどれほど、私にとって初めての言葉だったか。
差し出された手を見つめながら、私は静かに問いかけた。
「本当に、私でいいのですか」
「あなただから、隣にいてほしい。それに――辺境には、あなたの加護を必要としている民が大勢いる。もちろん、それだけが理由じゃない」
「……加護があってもなくても、ということですか」
「ああ。加護が覚醒する前から、俺はあなたに手紙を書いていた」
まっすぐな瞳に、迷いは一つもなかった。
その一言に、これまで抱え続けてきた孤独が、静かに溶けていくのを感じた。
完




