第9話
気配が、違った。
虎は、岩陰から森を見下ろしていた。
風の流れ。
土の匂い。
そこに混じる、異質な存在。
人間だ。
しかも、ただの人間ではない。
剣を持ち、
その刃に――炎を纏わせている。
(……何者だ)
虎の体が、自然と緊張する。
鬼ではない。
だが、鬼と同じくらい“分からない”。
分からないものは、怖い。
⸻
虎は、鬼を知っている。
炎ではない。
呪いでもない。
ただ、力。
殴り、踏み潰し、引き裂く。
理屈も慈悲もなく、
命を奪う存在。
かつて仲間たちは、
その力の前に倒れた。
虎は、生き残った。
それが誇りではなく、
恐怖として残っている。
(……また、巻き込まれるのか)
虎は、息を殺す。
⸻
そのとき、
人間の少年がこちらを見た。
目が合う。
逃げない。
剣を振り上げない。
ただ、じっと見ている。
(……純粋すぎる)
そう思った。
恐怖も、敵意も、
隠そうとしていない目。
だからこそ、
虎は余計に警戒した。
⸻
虎は、姿を現す。
巨体が森から現れた瞬間、
少年の肩が、びくりと跳ねる。
だが――
剣を地面に置いた。
「……俺は、敵じゃない」
声は、震えている。
だが、
逃げるための震えではない。
虎は低く唸る。
「炎を操る者が、敵でないとは……」
短い沈黙。
虎は、少年の目を見る。
やはり、
濁りがない。
⸻
「鬼を倒しに行く」
少年は、まっすぐ言った。
虎の胸が、強く締めつけられる。
「……無謀だ」
即座に返す。
「鬼は、力が違う。
炎があろうが、剣があろうが関係ない」
それは、経験から出た言葉だった。
⸻
少年は、一歩踏み出す。
「分かってる」
即答だった。
「正直怖いよ」
正直すぎる言葉。
「でも……俺がやらなきゃいけないんだ」
剣を握る。
炎が灯るが、
暴れない。
制御され、
意志に従っている。
⸻
「俺は、強くない」
少年は言う。
「だからこそ共に闘う仲間が必要なんだ」
虎を見る。
「俺を信じろ」
その言葉に、
虎の心が揺れた。
かつて、
自分が仲間たちに言った言葉と、
同じだったからだ。
⸻
鬼の強さは身をもって知っている。
怖い。
だが――
このまま森に隠れ、
何もしない自分の方が、
もっと怖かった。
虎は、ゆっくりと前に出る。
「……愚かだな、人間」
少年が身構える。
だが、虎は続けた。
「だが、その愚かさ……嫌いじゃない」
虎は、はっきり言う。
「俺も行く」
少年の目が、大きく見開かれる。
「本当か」
「あぁ。
お前が本当に信頼に足る人間なのか、
近くで見定めさせてもらう」
虎は、山の向こうを見る。
倒れていった仲間たちを思い出していた。
(もう一度、あの時のような強い自分を取り戻すんだ)
恐怖は消えていない。
だが、
微かな希望の光を見た気がした。




