第7話
朝の空気は、やけに澄んでいた。
まるで、この日を覚えているかのように。
桃太郎は家の前に立ち、草履を履き直す。
「……行ってきます」
静かに言うと、おじいさんは薪を割る手を止め、こちらを見た。
深い皺の刻まれた顔で、ゆっくり頷く。
「戻る場所は、ここにある」
それだけで十分だった。
おばあさんは、何も言わずに近づき、
そっと桃太郎の胸元を整える。
「...体に、気をつけてね。
無理しないで、いつでも帰ってきていいんだからね。」
その声が少し震えていたから、
桃太郎は笑おうとした。
でも、うまく笑えなかった。
「……必ず、生きて帰る」
深く頭を下げ、家を出る。
振り返らなかった。
振り返れば、足が止まる気がしたから。
⸻
村を抜け、山道へ入る。
木々が密になり、
鳥の声が遠のく。
そのときだった。
「やはり、来たか」
背後から、しわがれた声。
振り向くと、
いつからそこにいたのか分からない老人が立っていた。
白い髭。
杖も持たず、
だが、山そのもののような存在感。
「誰だ」
桃太郎が問うと、老人は笑った。
「名乗るほどの者ではない」
そう言って、腰の袋から包みを取り出す。
「これを渡しに来た」
包みの中には――
キビ団子が五つ。
淡く光り、
触れる前から温かさが伝わってくる。
「キビ団子……?」
「そうじゃ」
老人は、桃太郎の目をまっすぐ見た。
「一つは、お前自身のため。
残り四つは、お前の旅が意味を持つ時に使え」
「意味……?」
「今は、分からん」
老人は、どこか懐かしそうに言う。
「だが、お前は必ず、その時に出会う」
⸻
桃太郎は、一つの団子を手に取った。
理由はない。
ただ、今食べなければならないと、
体が理解していた。
口に入れた瞬間――
世界が揺れた。
熱。
胸の奥で、
何かが弾ける。
呼吸が乱れ、
膝をつく。
「……っ!」
痛みではない。
苦しさでもない。
力が、目を覚ます感覚。
桃太郎は剣を抜いた。
――ゴウッ。
刃に沿って、
炎が生まれる。
赤く、激しく、
だが暴れていない。
炎は、桃太郎の呼吸に合わせて揺れていた。
「……俺が、操ってる」
老人は静かに頷く。
「それがお前の潜在能力じゃ。
意志を炎に変え、操る力」
怒りでも、憎しみでもない。
恐怖でもない。
守ると決めた覚悟が、炎になる。
⸻
「忘れるな」
老人の声が低くなる。
「心が乱れれば、炎も乱れる。
使い方を誤れば、全てを焼く」
桃太郎は立ち上がる。
剣を握る手は、震えていなかった。
「……それでも、俺は進む」
老人は、満足そうに微笑む。
「よい炎じゃ」
⸻
風が吹いた。
木々が揺れ、
霧が流れる。
次の瞬間、
老人の姿は消えていた。
手の中には、
確かに残る五つのキビ団子。
炎を消し、剣を収める。
桃太郎は前を見る。
この先に、何が待っているのかは分からない。
だが、もう立ち止まらない。
「行こう」
これは、力を得た物語ではない。
戦う覚悟を、炎として宿した日の物語だ。




