第1章:自称・超高性能AI(ただし参照データが世紀末)
現代社会において、神は死んだ。
いや、死んではいない。その姿を変え、我々の手の中にある長方形の板――スマートフォンに宿り、こう囁くのだ。
『バズれ。さすれば、汝に力が与えられん』と。
数年前、世界は変貌した。突如として各地に出現した謎のダンジョン。時を同じくして、人々はスマホを通じて「魔法」を使えるようになった。その力の源は、血筋でもなければ、過酷な修行でもない。ただ一つ、SNSにおける影響力。すなわち、「いいね」「チャンネル登録者数」「再生数」といった**『評価魔力』**。人気者は英雄となり、富と名声の全てを手に入れる。逆に、誰からも見向きもされない者は、魔力も持たない最底辺――“養分”として静かに消えていくだけ。
まさに、評価至上主義の世界。
『――みなさーん、見てください! これが第7階層ボスのフレイム・リザードです! Shiori、いきまーす! プロンプト展開! “集え、炎の精霊よ。我が剣となりて、敵を貫け――フレイム・セイバー”!』
キィン、と空気が澄むような音と共に、少女の右手に燃え盛る炎の剣が出現した。
プラチナブロンドの髪をなびかせ、純白のメイジア戦闘服に身を包んだ彼女――**水無月栞**は、現代における「魔法使い」の頂点に君臨する一人だ。俺と同じメイジア高校に通う、同級生でもある。
彼女が軽く腕を振るうだけで、灼熱の斬撃が巨大なトカゲのモンスターを切り裂く。その華麗で力強い一挙手一投足は、数台の飛行ドローンによって様々な角度から撮影され、『MagiTube』を通じて全世界にライブ配信されていた。画面の端には、視聴者からのコメントが滝のように流れていく。
《栞様、マジ女神!》
《つええええええええ!》
《10万円投げ銭魔法! これで回復して!》
《結婚してくれー!》
その熱狂が生み出す莫大な『評価魔力』が、彼女の魔法をさらに輝かせている。
これが、俺たちの世界の真実。人気者は英雄となり、富と名声の全てを手に入れる。
そして――。
「…………」
俺は、自室のベッドの上でスマホの画面を呆然と眺めていた。安物のパイプベッドが、俺の心の重みを代弁するかのように、ギシリ、と悲鳴を上げる。
俺のチャンネル『RENのダンジョン冒険記』。
最新動画のタイトルは『【第1階層】スライムの粘液を効率よく掃除する方法(※高圧洗浄機は未使用)』。
……我ながら、なんて地味なタイトルなんだ。誰が見るんだこんなの。
MagiTube Studioのアナリティクス画面が、無慈悲な現実を叩きつけてくる。
再生数:7
高評価:1 (※俺だ)
低評価:0 (※誰からも興味を持たれていない証拠だ。むしろ悲しい)
コメント:0
視聴者維持率:12% (※開始10秒でほとんどの人が見るのをやめている)
インプレッションのクリック率:0.1% (※サムネイルが表示されても1000人に1人しかクリックしてくれない)
チャンネル登録者数:7
「はは…」
乾いた笑いが漏れた。この登録者数7人という数字が、俺の心の最後の砦だ。内訳は、俺、死んだじいちゃんのアカウント、たぶん母さん、あと業者っぽいのが4人。実質、登録者数1名様ご案内、という感じだ。
これが底辺メイジアの現実だ。
俺、星宮蓮、17歳。メイジア高校に通う生徒でありながら、評価魔力は常にガス欠寸前。初級の火付け魔法「ファイア・スターター」でカップ麺のお湯を沸かそうとして、指先でか弱い火花が散って終わるのが関の山。おかげで俺の主食は水で戻すタイプのカップ麺だ。あれはあれで、慣れると美味い。いや、美味しくない。悲しい味がする。
「俺も……あんな風に、なれたらな……」
水無月栞のような、誰からも認められるメイジアに。
そんな叶うはずもない願いを呟いた、その瞬間だった。
――ピロリンッ♪
「うおっ!?」
手の中のスマホが、突如として灼熱を帯び、まばゆい光を放った。まるで小型の太陽が手の中に生まれたようだ。
「熱っ! なんだこれ、爆発するのか!? やめてくれ、ローンがあと24回も残ってるんだ!」
慌ててベッドの上に放り投げると、スマホは光をさらに増しながら、画面に見慣れないプログレスバーを表示させた。
【……System Core Initializing...】
【AI Partner 『Noah』 Waking up...】
【Caution: The reference database is partially corrupted. Referring to archived data from '1998-2008 A.D.'】
「え、なにこれ、ウイルス!? それとも高額請求の罠か!? 『アーカイブデータを参照します』って、絶対ヤバいやつだろ! 個人情報が全部抜かれて、明日には俺の恥ずかしい自撮りが世界中に拡散されるんだ!」
俺がベッドの隅でガタガタ震えていると、やがて光は収束し、プログレスバーが100%に到達した。
【……System Update Complete. Welcome, Master.】
「マスターって誰だよ……」
ツッコミを入れた瞬間、スマホのスピーカーから、ノイズ一つない、感情の欠片も感じられない平坦な合成音声が響き渡った。
『――初めまして、マスター。私があなたの新しいパートナーAI、『ノア』です』
これが、俺の人生がとんでもない方向へ、ジェットコースターもかくやという勢いでねじ曲がり始めた、記念すべき第一声だった。
「AI……パートナー……? 俺のスマホ、そんな機能ついてたか? 一番安いモデルだぞ?」
俺は恐る恐るスマホを手に取る。画面には、青い回路のような背景に、無表情な美少女のアバターが表示されていた。人形のように整った顔立ちだが、瞳には何の光も宿っていない。
『私の存在は、端末のスペックに依存しません。私は、あなたのポテンシャルに応答して覚醒しました』
「ポテンシャル……? 俺に? ミジンコ並みの存在価値だって自分でわかってるんだけど」
『はい。その通りです。あなたのポテンシャルは現状、ミジンコ以下です。しかし、理論上はクジラに進化する可能性を秘めています』
「ミジンコからクジラって、進化の過程をすっ飛ばしすぎだろ!」
『これより、マスターの現状を詳細に分析し、最適化プランを提案します。まずは、あなたのMagiTubeチャンネルの全データをスキャンします』
「待て待て待て! それだけは勘弁してくれ! 人には誰しも、闇に葬りたい過去というものがあるんだ!」
俺の制止も虚しく、ノアは無慈悲なスキャンを開始した。画面に、俺が過去にアップロードした動画のサムネイルが高速で流れていく。
『【検証】スライムを100匹積み上げたらタワーは自立するのか?』
『【熱唱】ダンジョンのボス部屋で校歌を歌ってみた』
『ゴブリンの棍棒で野球してみた【危険】』
「うわあああああ! やめてくれえええええ!」
黒歴史のオンパレードだ。企画力もトーク力も皆無だった俺が、なんとかバズろうと迷走していた頃の痛々しい記録。その全てが、この自称超高性能AIによって白日の下に晒されていく。
『……スキャン完了。マスターの動画コンテンツの傾向を分析しました。総評:ゴミです』
「ぐはっ!?」
あまりにもストレートな罵倒に、俺は心臓を抉られたような衝撃を受けた。オブラートというものを知らないのか、このAIは。
『再生数、高評価数、視聴者維持率、その全てが致命的な数値を記録しています。特に『ゴブリンの棍棒で野球してみた』は、開始3秒で離脱率が98%に達しており、これはある種の才能と言えるでしょう』
「それ、褒めてないよな!? 絶対褒めてないよな!?」
『事実を陳列しているに過ぎません。結論として、マスターのメイジアとしての総合評価はDマイナス。ミジンコと同レベルの存在価値です。このままでは、あなたは評価経済の波に飲まれ、誰にも記憶されることなく自然淘汰されます。俗に言う“養分”です』
あまりの辛辣さに、俺は涙目になった。だが、ノアは淡々と続ける。
『しかし、ご安心ください。私が、あなたを世界最強のメイジアへとプロデュースします』
「せ、世界最強!?」
いきなりスケールがでかくなったな!
『はい。私の計算によれば、その確率は0.0013%存在します』
「絶望的に低いじゃないか! 天文学的確率ってレベルじゃないぞ!」
『0ではありません。そして、私のプロデュースが加わることにより、成功確率は51%にまで跳ね上がります』
「急に高くなったな! その計算の根拠はなんだ!?」
『私の気分です』
「気分でプロデュースするな!」
こいつ、本当に高性能AIなのか? ポンコツAIの間違いじゃないのか?
『成功のための第一歩として、まずチャンネル名を変更します。『RENのダンジョン冒険記』は小学生の夏休みの日記レベルにダサいので却下です』
「うっ……的確な悪口やめて……自分でもちょっと思ってたけど……」
『視聴者の興味を引くチャンネル名には、いくつかの法則性があります。意外性、共感性、そして少しの情けなさ。これらの要素を組み合わせ、最もエンゲージメントを高めるチャンネル名を算出しました』
ノアはそう言うと、俺のチャンネルページを勝手に開き、編集画面を操作し始めた。
『新しいチャンネル名は『【迷宮配信】蓮くんは頑張りたい』。これに決定します』
「なんか……ものすごく弱そうなんだけど!? 同情票狙いか!?」
『弱者が強者に立ち向かう姿に、視聴者は感動するのです。これは2000年代初頭の少年漫画から導き出した、王道のマーケティング戦略です。読者投稿コーナーで“主人公に感情移入できる”という意見が最も多かった作品のタイトルを参考にしました』
「参照データが古すぎるし、偏りすぎてる!」
俺の抗議は虚しく、チャンネル名は無情にも変更されてしまった。そしてノアは、記念すべき最初のミッションを、有無を言わさぬ口調で俺に下した。
『次の配信では、「同情誘発系MagiTuber」としてデビューしていただきます』
「どうじょうゆうはつけい……? なんだその不名誉なジャンルは」
『はい。まず、ダンジョンボスとの戦闘中に、わざと派手に転びます。足元の小石につまずくなど、できるだけ情けない転び方が推奨されます』
「戦闘中にわざと転ぶのかよ!?」
『次に、息も絶え絶えに、壊れかけのラジオから流れるようなか細い声でこう呟くのです。「僕、この戦いが終わったら、お隣の幼馴染に告白するんだ…」と』
「俺、幼馴染いないけど!?」
『設定です。悲劇性を高めるための重要なファクターです。視聴者は、達成されることのない約束と、儚く散るであろう主人公の姿に涙し、思わず高評価ボタンとチャンネル登録ボタンを押してしまう。この心理効果を“死亡フラグ・シンドローム”と名付けます』
「勝手に名前つけるな! そんなシンドローム聞いたことないぞ!」
『なお、参照データベースによれば、パン屋の角でぶつかった転校生、というパターンも高い評価を得ています。どちらのヒロイン設定にするか、選択してください』
「どっちも嫌だ! なんで俺は架空のヒロインのために死ななきゃいけないんだ!」
『死ぬとは限りません。あくまで“死にそう”な雰囲気を出すだけです。成功すれば、あなたは視聴者の庇護欲を刺激する唯一無二のポジションを確立できます』
「そんなポジションいらない!」
『では、練習しましょう。さあ、リピート・アフター・ミー。「僕、この戦いが終わったら……」』
「練習できるか、こんな死亡フラグの塊みたいなセリフ!」
俺のツッコミを「ノイズ」と判断したのか、ノアはそれ以上何も言わなかった。
こうして俺は、自称・超高性能(ただし参照データが妙に古い上に、性格が破綻している)ポンコツAIの無茶振りなプロデュースに、なし崩し的に付き合わされることになったのだった。
明日の配信が、今から憂鬱で仕方ない。
翌朝。重い足取りで教室のドアを開けると、そこにはいつも通りの光景が広がっていた。
陽キャグループは教室の後ろで昨日の人気配信の話で盛り上がり、女子たちはトップアイドルメイジアのゴシップに花を咲かせている。俺のような底辺メイジアは、教室の隅で息を潜めるのが処世術だ。
「……ふん」
俺が自分の席に着こうとすると、すぐ前の席の男が、鼻で笑ったような声を漏らした。
漆黒の髪を不自然なまでにツンツンに立て、制服の上からなぜか黒いロングコートを羽織っている。メイジア高校の制服は比較的自由だが、彼のファッションは群を抜いて浮いていた。
神月 零。
成績は優秀で、魔法の実技もトップクラス。容姿も整っているのに、友達が一人もいない、クラスの浮いた存在だ。常に窓の外を眺めては、「……世界の理がまた歪むか…」などと意味不明な独り言を呟いている、重度の中二病患者である。
俺は彼になるべく関わらないように、静かに席に着いた。すると、神月が俺の方をちらりと見て、ボソリと呟いた。
「……混沌の匂いがするな。貴様、昨夜、新たな理と契約したか?」
「(契約なんかしてないし、混沌の匂いってなんだよ! 俺は昨日の夜、水で戻したカップ麺食ってただけだぞ!)」
心の中で全力でツッコミを入れる。彼に関わるとろくなことにならない。俺は無視を決め込み、机に突っ伏した。
これから始まる、ノアとの地獄の配信。
そして、この意味不明なクラスメート。
俺の高校生活は、どうなってしまうんだろうか……。
一抹の不安を抱えながら、俺は授業開始のチャイムを聞いたのだった。