賢者の石を作ることにした
私がどうしてもやりたいこと。それは、幽霊のマチさんを人間に戻すことだ。マチさんは実体化することができるが、基本的には幽霊で、歳を取ることもない。出来れば、私たちと同じ人間になって、私たちと同じ時間を経験して、私たちと一緒に歳をとってほしい。だから、私はマチさんを転生させる。そのためには、賢者の石が必要になる。私は賢者の石を作ることにした。例えそれが、人間に許された行動を超えて、女神に不都合な事態になっても、私は構わないと思った。
もちろん、私はマチさんにこの事を話した。初めは大天使に人間を超えた力を使うなと警告されたことを心配してくれていたが、私が本気だということを知ると、マチさんも同意してくれた。マチさんの身体を能力で具現化した仮の身体から、本物の人間の身体へと戻す。賢者の石を使えば、難なく成功するだろう。
私はすでにローゼズから賢者の石を精製するために必要な記憶を受け継いでいる。後は錬成に必要な素材を手に入れるだけだ。
比較的簡単に手に入るのはシンナバーと呼ばれる真紅の硫化水銀の結晶。純度の高い結晶はその真紅の色の美しさから、それ自体が賢者の石だと間違える人もいるという。これは顔馴染みのドワーフのスラインに発注済だ。スラインは宝石商とも取引をしているので、純度の高い硫化水銀の結晶を手に入れてくれるはずだ。
もう一つは哲学者の水銀と呼ばれる特殊な加工をした水銀。これは水銀を金に溶かし込んでアマルガムと呼ばれる状態にしたものだ。粉々にした金に水銀を近づけると、水銀が金を取り込んでこのアマルガムが精製される。シンナバーやアマルガムの厄介な所は、加熱すると蒸気の水銀が発生すること。蒸気の水銀は猛毒であるため、何らかの対策をしないと錬金術師の身体に深刻な被害をもたらすことになる。
そして、賢者の石には、肉体と魂を融合するアルケウスと呼ばれる力の源となるアルカナという物質が必須となる。このアルカナの精製が一番厄介で、アイシャさんが精製した賢者の石が不完全となったのは、このアルカナの精製に失敗したからだ。多くの錬金術師たちは、アルカナの精製には、魂を宿した生物の肉体が必要だと考えてきた。
しかし、実際には、私がカタリナさんの分身体を作る時にも使った万能細胞を、高等魔術言語の術式でアマルガムと融合させることで精製できる。これは、私がローゼズの記憶から知った情報だ。おそらくアイシャさんは生きた生物からアルカナを無理やり精製しようとしたため、不完全な状態のアルカナになってしまったのだろう。今回は、カタリナさんの時と同じ方法で、私自身の細胞から万能細胞を作り出して、アルカナを精製することにする。そしてこのアルカナを、加熱して溶かしたシンナバーの中に入れて再結晶化させる。
それで、賢者の石は完成となる。
賢者の石の錬成に必要な素材を手に入れた私は、入念に準備をして、空間転移の魔法で私の体内から細胞を少しだけ抜き取る。抜き取った細胞をフラスコの中の培養液に入れて、万能細胞に変えてからすぐに、あらかじめ精製しておいたアマルガムと融合させて、一気にアルカナの精製まで行った。アルカナの精製に成功した私は、溶かしておいたシンナバーの中にアルカナを慎重に入れて、ゆっくりと再結晶化が進行するように温度を調整した。
こうして、私は完全な賢者の石の錬成に成功した。ようやくだ。ようやくここまで来た。これで、私の願いが叶えられる。これで、私たちは本物の家族になれる。
私は賢者の石の力を使って、マチさんを正式な人間へと復活させた。賢者の石の素晴らしいところは、頭の中のイメージを百パーセントの精度で再現できることだ。私がこうあって欲しいと思う事が、完璧に再現できるのだ。
「マチさん、どうかな?」
「うん。なんだか身体の中が温かいわ。生きてるってこういう感じだったのね」
「よかった。本当によかった。マチさん、大好き。これからもずっと一緒にいてね」
「もちろんよ。私はアリサもナルカも大好きだもの。これからも三人で暮らしましょうね」
私はマチさんに抱きついた。本物の肉体を取り戻したマチさんは、仮の身体の時とは違って、生命力に満ち溢れていて、とても暖かかった。マチさんの全身から、温もりを感じられた。涙が溢れて、止まらなくなっていた。そのまましばらくマチさんの胸の中で、私は泣き続けた。
◇◇◇
私の夢を実現するために、最後の問題を解決する必要がある。その問題を解決するために、私は以前聖騎士たちと戦った森の中の広場で、彼女たちが来るのを待っていた。
案の定、すぐに女神たちが私の元へやってきた。あのミカエラも一緒だ。女神は怒りが収まらないようで、いきなり私を魔法の枷で拘束した。
「一度警告したはずです。次は無いと。私は約束を守れない人は大嫌いです」
ミカエラが悲しそうな顔で私を見つめている。私はそれを覚悟して賢者の石を作ったのだから、あなたに悲しまれる筋合いはないのだけれど。
「私は自分の願いを叶えただけです。誰にも迷惑はかけていない。人間だからやってはいけないなんて、そんなのは間違っている」
私は、女神に対抗するために、かばんの中から赤く輝く石を空間転移の魔法で私の右手の上へと移動して、素早く握りしめた。
「ミカエラ。あなたは人間を甘やかしすぎです。それに、もっと用心深くなりなさい。この娘は賢者の石を持っているのですよ」
次の瞬間、女神はこの世界の時間を停止した。
「念のため、私がこの世界の時を止めました。賢者の石を使われたら厄介ですからね。今、動くことができるのは時の影響を受けていない私たちだけです。このまま賢者の石を取り上げて、二度と作れないように、記憶を消してしまいましょう。これさえ無ければ、この娘は何もできないのですから」
女神は、怒りの表情を崩さないまま、私の手から賢者の石を取り上げようと、私に近づいてきた。
でも、なんで私はこの時の女神たちの行動を知っていると思う?
それはね――
私は女神に着けられた、すでに効果の無い魔法の枷に拘束されているふりをして、彼女が私に接近するのじっと待っていた。
そして――
女神が私の手から賢者の石を奪い取った瞬間、私は彼女の胸元に、隠し持っていた短剣を突きつけた。突然の出来事に、女神は驚きを隠せないでいる。
「バカな。時を止めているのに、何故――」
「残念。その石は紛い物なの。純度の高いシンナバーの見た目を賢者の石に見えるように細工しただけのイミテーションよ。本物の賢者の石は、この剣の柄に埋め込んである。あなたなら、この剣が何かわかるでしょう?」
「その剣は――。まさか、賢者の石からアゾット剣を作り出したというの?」
「御名答。そして私はこの剣に、私にとってネガティブな現象を全て無効化するように術式を仕込んでおいた。だから、私はあなたが時を止めた影響を受けずに済んだ」
私は、賢者の石を錬成した後に、さらにその賢者の石を素材として錬成することで、アゾットと呼ばれる剣を精製していた。このアゾット剣こそが、この世の始まりと終わり、つまりこの世界のすべてを創造し破壊できる力を持った、錬金術の頂点ともいえる究極のアイテムなのだ。
私が賢者の石の効果を使えば、女神や大天使たちが私の元へやってきて、罰を与えようとすることはわかっていた。私に降りかかるネガティブな事象を自動で無効化するこの剣は、彼女たちに対抗するための切り札となる。相手が神ならば、神を超える力を手に入れればいい。ナルカとマチさんとずっと家族として暮らしていくという夢を叶えるためなら、私は神を殺すことすら恐れない。
「さすが、賢者の石を精製するだけのことはありますね。ですが、あなたは所詮人間です。そのアゾット剣が無ければ、何もできないのですよ」
女神は空間転移魔法でアゾット剣を私の手元から彼女の手のひらの上へと移動させた。
「これでいい。アゾット剣を私に見せたのは失敗でしたね。この剣が無ければ、もうあなたには私に対抗する手段が無い」
動揺していた女神は私からアゾット剣を奪って安心したのか、落ち着きを取り戻していた。
「人間から剣を盗み取るなんて、女神様のくせに、随分とセコい真似をするのね。まあいいわ。あなたの手をよく見てみなさい」
自身の手のひらを見た女神は驚いている。手の上に載せていたアゾット剣が、突然消失したからだ。
「バカな。アゾット剣は確かに私の手の上にあった。何故消えたのだ?」
「アゾット剣はここよ。私から剣を取り上げても、この剣は必ず私の元に戻ってくるから、意味が無いわよ」
私は自分の手の中に戻ってきたアゾット剣を女神に見せつける。
私はこの剣を精製する時に、いくつかの術式を仕込んでおいた。まず、私にしかこの剣の効果を使えないように、術式で認証をかけた。そして、私の身体から剣が離れても、必ず私の元へ空間転移されて戻ってくるようにした。つまり、この剣は私にしか使えず、どんな場所に移動したとしても、必ず私の元へと戻ってくる。
「ねえ女神様。取引をしましょう。この剣がある限り、あなたは私に何をすることもできない。だから、私をこのまま見逃してくれるのなら、私もあなたに何もしないわ。でも、私の邪魔をするのなら――」
私は女神の身体を少しだけ石化させた。
「このままあなたを石化して、女神像にしてあげる。どう? 女神像の姿でも人間からは信仰されるんだから、悪くないとと思うんだけど?」
「……巨大すぎる力は、必ず代償を伴います。例え、私を石像にしたとしても、あなたは幸せにはなれませんよ。この先、あなたを待っているのは破滅です」
女神は悲しそうな顔をしながら私に語りかける。この状況でも、女神が私を脅迫するようなことを言ってきたので、私は彼女に失望した。
「ズレた命乞いね。別に私は幸せになるつもりはないわ。私の願いは、大切なナルカとマチさんと、本物の家族になった世界を創ること。そして、いろんな経験を三人でするの。良いことも、悪いことも、いっぱいいっぱい三人で共有するの。私はそれ以外は何も望まない。それでも私の邪魔をするのなら、排除するだけよ。例えあなたが女神様でもね!」
この時の私は、女神の言っていることを何も気にしていなかった。アゾット剣という、神をも超えた力を得て浮かれていたのかもしれない。破滅という言葉がハッタリでは無かったということに気づいて悔やむことになるのは、もう少し先の話だ。
私は女神をゆっくりと石化させた。彼女が悲鳴を上げながら少しずつ石像へと変わっていく。そして、本当に生きているかのように精巧な作りの女神像が出来上がった。
「ステキな女神像になったわ。きっと、たくさんの人に信仰してもらえるわよ。後で、あなたにお似合いの神殿も作ってあげる」
私が女神を石像に変えたのを見て、大天使たちは明らかに動揺していた。逃げ出そうとする者もいたので、私はまず、アゾット剣の効果で彼女たちの動きを封じた。
「さて、大天使さんたち。あなたたちも、神殿のオブジェにされたくないのなら、私の邪魔はしないことね。そうだ。私の邪魔ができないように、神聖な力を奪って人間と同じ姿に変えてあげる。これからは人間の暮らす世界で、人間と同じ生活をして、人間が味わってきた苦しみを味わうといいわ」
私は大天使たちを人間に変えて、世界の様々な場所へと転移した。ちゃんと人間が生活できる場所を選んで飛ばしてあげたんだから、感謝してほしい。
これで邪魔者はいなくなった。私は、このアゾット剣の力を使って、私たち三人が本物の家族になって、ずっと暮らしていける世界を作ろうと考えていた。
でも、そんな私の前に、意外な人物が姿を現した。




