外の世界を知らない者同士
次の日、いつも通りの時間に目覚めて禊、掃除、お祈り、朝食と日課をこなしながら、神官長様に言われたことをずっと考えていた。
私が未来を変えることができる行動とは何だろう、全く想像がつかない。
私はこの国の聖女であり、この国の為に女神様から与えられた力を使い、この国の為に生きていくことが使命。
この国の王宮で決められたことに、私は逆らえない。
そんな私が、どんな行動を起こせると言うのだろう。
神官長様が私に何を望んでいるのか、いくら考えても、答えは出なかった。
いつも通りの日課に、今日からは新しい日課が加わった。
ダニエル王子の離宮を訪問することだ。
けれど正直なところ、私は気乗りしなかった。
神官長様からダニエル王子の余命が残り僅かと言う話を聞いて、そんな重い運命を背負った彼を支えられる自信がなくなってしまったのだ。
今まで健康に生きてきた私には、生まれつき体が弱く苦しい思いをしてきたダニエル王子の気持ちをちゃんとわかってあげられないだろう。
そんな私に何を言われたってダニエル王子の心は晴れないだろうし、私も彼の為に何ができるのかわからない。
昨日の様に突然発作が起きても、私はあたふたすることしかできないだろうし。
そんな私が会いに行って、本当に嬉しいのだろうか。
寧ろ、迷惑ではないだろうか。
散々行くのを迷っていたが、会いに行くと約束してしまったので、それを違えるわけにはいかなかった。
それに、別れ際のダニエル王子のあの瞳を思い出すと、とても切ない気持ちになった。
まるで母親を恋しがるような悲し気な瞳を見ると、すぐに駆け寄ってしまいたくなる。
私はその心に従ってみる事にした。
昨日と同じ時間に神殿へやって来た馬車に揺られて王宮へ到着すると、カイル様がにこやかに迎えてくれた。
「聖女様、今日も来てくださり、ありがとうございます」
「カイル様、こんにちは。今日も宜しくお願い致します」
王宮からダニエル王子のいる離宮までの道を、カイル様に続いて歩きながら、間をもたせる為に会話をする。
話題は自ずとダニエル王子の事になった。
「昨日は申し訳ありませんでした」
「いえ。殿下はその、大丈夫でしたか? あの後……」
「昨日は発作が治まったあと、とても疲れたようでよく眠っていましたね。そのせいか、今日は朝から調子が良さそうです」
「それはよかったです」
「朝起きてから、聖女様が来るのをとても楽しみにしておいででした」
「……まあ、それは光栄です」
ダニエル王子が私の来訪を楽しみにしてくれているのは嬉しいけれど、どうしてそんなに私を歓迎してくれるのかわからない。
私は余命僅かなダニエル王子に、何もして差し上げる事が出来ないのに。
ダニエル王子が私に何を求めているのかわからないけれど、それを叶えてあげられる気がしない。
「それにしても、あんなに調子がよさそうな殿下は久々に見ました。これも聖女様のお力なのかもしれませんね」
私を先導して歩くカイル様は昨日とはうってかわって、何だか嬉しそうだ。
昨日は朝からダニエル王子の体調が悪かったから、それがずっと気がかりだったのかもしれない。
「私にそんな力はありませんので、殿下の頑張りですよ」
「確かにそれもありますが、それだけではありません。聖女様が婚約者になってくれて、また会いに来てくれる、それがどれだけあの方の救いになったことか……」
カイル様の表現はさすがに大袈裟だけど、私を必要としてくれているのは素直に嬉しかった。
こんなに褒めてくれて、カイル様は本当にいい人だな。
「特に最近は発作を起こす頻度が高く、とてもお辛そうでしたから」
そう言えば、カイル様はダニエル王子の余命についてご存知なのだろうか。
十年もお側でお世話をしているのだから、知っているのかもしれない。
聞いてみたいが、万が一ダニエル王子の余命が短いことを知らなかった場合、私のような第三者の口から主の重大な情報を聞かせるのは申し訳なくて、結局聞くことはできなかった。
その後も当たり障りのない会話をしながら離宮に連れていって貰うと、昨日と同じように主寝室に案内された。
カイル様が開けてくれたドアの先には、ベッドから身を起こしたダニエル王子が、ニコニコと手を振って出迎えてくれた。
「いらっしゃい、ララ」
「お招きありがとうございます、殿下」
「ここへ座って」
「はい、失礼致します」
ベッドのすぐ隣に用意された椅子に腰かけると、昨日と同じ様にダニエル王子と同じ目線になった。
殿下の頬は僅かに血色があり、昨日に比べるとかなり顔色がよく見えた。
別れ際に見た悲し気な瞳は、今は爛々と輝いている。
昨日はとても苦しそうだったので、元気そうな姿を見てほっとした。
「来てくれてありがとう。少し心配していたんだ、昨日はとてもびっくりさせてしまったから、僕の事嫌になったんじゃないかって……」
「そんな、殿下を嫌になるだなんて。それに、明日も来るとお約束したではないですか」
「そっか、約束守って来てくれたんだね」
「もちろんです」
嬉しそうにはにかむダニエル王子は、とても可愛らしい。
やっぱり約束を守って来てよかった。
殿下の笑顔ひとつで、そう思えた。
「昨日はあの後、大丈夫でしたか?」
「うん、先生が発作を落ち着かせる薬を打ってくれたからね。薬の副作用で眠たくなって、そのままぐっすり眠っていたよ。ララは、神殿へ帰ってから何をしてたの?」
「私は、帰ってすぐに、女神様の祭壇で殿下の為に祈っておりました」
「え、僕のため……?」
「はい。どうか殿下のご容態が落ち着きます様にと祈っておりましたら、すっかり夜が更けてしまいました」
「僕のために……お祈りを……それも何時間も……」
ダニエル王子の頬がぽっと赤くなり、殿下はそれを両手で隠すように頬を押さえつけた。
やがて赤い顔のまま、目を細めてとても柔らかく微笑んだ。
「どうしよう……あなたが僕のためだけにお祈りをしてくれたのがとっても嬉しい……。嬉し過ぎて叫び出してしまいそうだよ……」
少し潤んでキラキラした青い瞳に見つめられて、思わず胸がドキリとした。
私の祈り一つで、こんなにも喜んでくれる人がいたなんて。
先代の聖女様から聖女の地位を譲り受けてから半年の間は、私は自分が皆から必要とされていると強く感じていた。
雨が降らない地域に雨乞いへ行くと、領主や住人たちに感謝され、病院や孤児院へ訪問するとそれだけで皆が喜んでくれる。
皆から必要とされることが、私の支えになっていた。
私はここに居て良い。
聖女の地位こそが私の居場所だと、深く実感していた。
ところが、ヴィクトリア様が大聖女の地位に君臨され、私の地位はとてもあやふやなものになってしまった。
どの町へ行っても皆大聖女ヴィクトリア様しか見ていない。
雨乞いの依頼も訪問の依頼も、大聖女ヴィクトリア様にしか来なくなってしまった。
ヴィクトリア様のすぐ後ろに控えているのに、誰も私を見ていない。
ついこの前までは、私の事を見て喜んでくれていたのに……。
大聖女ヴィクトリア様が存在する今、聖女である私は必要とされなくなってしまった。
人から必要とされる事でしか自分を保てない私は、ヴィクトリア様が大聖女様となってから、どこか不安な日々を過ごしていた。
ダニエル王子なら、私を必要としてくれるかもしれない。
だって私がダニエル王子の為に祈った事を知って、とても喜んでくれているのだ。
たったそれだけの事なのに、嬉しさで叫び出したくなる程だと、そう言ってくれた。
しばし二人で見つめ合って、どちらからともなくクスクスと照れ笑いが漏れた。
胸の奥がじんわりと温かくなった。
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