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外の世界を知らない者同士②

「そうだ、ララの事を全部知りたいな。あなたはどこで生まれたの?」

「マーロウ村と言う田舎町です」

「マーロウ村……。ごめん、聞いたことがないところだ」

「無理もありません、王都からは馬車で四日はかかるほど遠い地方ですから」


 王都の王宮に住むダニエル王子が、秘境のような田舎町の名前を知っているはずがない。

 農業でほぼ自給自足の暮らしをしていて、王都との接点はほとんどない。

 アルジー男爵というお貴族様の領地ではあるのだが、領地の片隅にある秘境なので、領主である男爵様がマーロウ村を訪れることはほぼないようだし。


「どんなところなの?」

「私も実際に見たわけではないのですが、海辺なのですぐ近くに砂浜があって、村の名産はフルーツだそうですが、輸送が大変なので王都には出荷していないようです」

「……? ララはマーロウ村で育った訳ではないの?」


 私の返答に、ダニエル王子は首をかしげた。

 どうやら聖女が神殿で育てられることを知らないようだ。


「私の生まれは確かにマーロウ村ですが、生まれてすぐに神殿へ入ったので、実は故郷の記憶はないのです」

「そうなの? 休暇に里帰りはしなかったの?」

「殿下、女神様の印を受けて生まれた聖女は、成人を迎えて正式に聖女として就任するまで、神殿の外へ出ることは許されないのです」

「それじゃあ……ララは、ずっと家族と離れて育ってきたの? 故郷を出て、一人で? とても寂しかったろうね」


 ダニエル王子が気遣うように、そっと私の手を取った。

 その手は昨日よりほんの少しだが温かかった。


「聖女がそんなに大変だなんて、知らなかった……。ララ、あなたは強い人なんだね」

「……そんな、聖女の使命ですから」


 成人まで神殿から出ずに育つ事は、聖女として当たり前の事なので、こんな風に誰かから褒められたのは初めてだった。

 何だか照れ臭くて、ダニエル王子の目をまっすぐ見られなかった。


「神殿から出られないとは言え、月に一度家族との面会が許されていましたし、私の家族は毎月必ず面会に来てくれていたので、それほど孤独という訳ではないんですよ」

「そう……。僕も、体が弱いからずっとこの離宮で暮らしているんだけど、月に一度だけ、父と母と兄が会いに来てくれるんだ。一緒だね」

「そうですね」

「ララは神殿で、僕はこの離宮で、二人とも殆ど外の世界を知らずに暮らしてきた。僕たち、とても似ているね」

「まあ……本当ですね」


 私は曖昧に頷いた。

 体が弱い為に家族と離れて離宮で療養しているダニエル王子、聖女として生まれた為に故郷を離れて神殿で育った私。

 確かに似ている。

 けれど、健康な体を持って生まれてきた私より、繊細で病弱な体で不便を強いられて生きているダニエル王子の方がよっぽど不埒に思える。

 私よりずっと苦労して生きているダニエル王子に似ているなど、とても申し訳なかった。


「ねえ、家族の事を教えて。兄弟はいる?」

「はい。兄が二人と姉が二人おります」

「いいなあ、たくんいるんだね。お兄様たちとお姉様たちは何をしている人なの?」

「上の兄と下の兄は実家の農園を切り盛りしていて、二人とも美人な奥さんを貰って子供もいます。姉たちも農園の従業員と結婚して、実家はとても賑やかになっているそうです」


 兄嫁二人は一度だけ挨拶に来てくれたが、二人とも気さくで優しい人だった。

 甥っ子たち、姪っ子たちにはまだ会えていないが、いつかきっと会いに行こうと思っている。

 姉二人も無事に結婚相手が決まって、上の姉は第一子を妊娠中だとこの前手紙で教えて貰った。


「それは楽しそうだね。お父様とお母様は子供たちと孫に囲まれて、さぞ幸せだろうね」

「父はもう亡くなっていて、母は一人で子供たちを育てと農園のきりもりをして、大変だったと思いますので、幸せになって欲しいです」

「そうだね、きっとお母様は幸せにちがいないよ」


 私が生まれる直前、父は風を拗らせて若くして亡くなった。

 残されたのは子供四人と小さな畑で、母は子供たちを食べさせていく為に、畑と家を売らなければならない状況に陥ったそうだ。

 そんな時に聖女である私が生まれて、私を国に引き渡す見返りとして国から援助金が入った。

 そのお金で子供たちを学校へ行かせ、畑を大きくして従業員を雇うこともできた。

 援助金があったとはいえ、たった一人で四人も子供を育てながら畑の仕事もこなすのは、誰にでも出来ることではないと思う。


「知っていると思うけど、僕にも兄が一人いるんだ。とても優しくて、何でも知っていて、強くてかっこいいんだ」

「はい、もちろん存じ上げております。自慢の兄上様なのですね」

「そうなんだ。兄さんは国中の色んな所へ視察へ行くから、離宮に遊びに来る時には視察先のお話をしてくれるんだよ。お土産もたくさん持ってきてくれるんだ」


 ダニエル王子の話しぶりから、セドリック王子の事が大好きなのが伝わってきて、微笑ましい気持ちになった。

 二人はとても仲の良いご兄弟なのだろう。


「それに、兄さんと結婚したヴィクトリア嬢も、優しくてとてもいい人なんだ。前に兄さんがここへ連れてきて、僕に結婚の挨拶をしてくれたんだよ。ララは聖女だから、ヴィクトリア嬢を知っているよね?」

「はい。ヴィクトリア様は大聖女様でいらっしゃいますので、少しの間でしたが一緒に神殿で暮らしておりました。私も、ヴィクトリア様には大変よくしていただきました」

「兄さんとヴィクトリア嬢は神殿で結婚式をすると行っていたけど、ララは二人の結婚式には参列した?」

「はい、とても豪華で素晴らしいお式でございました」

「いいなあ、結婚式。僕も行きたかった」


 ダニエル王子は大きな瞳をキラキラさせて、参列が叶わなかった結婚式に想いを馳せているようだ。

 恐らく、体調が優れずやむ終えず欠席されたのだろう。


「残念でございましたね……、セドリック王子様の晴れ姿を見ることが出来ず……」

「それも残念だけど、僕、結婚式そのものを見てみたかったんだ」

「結婚式でございますか?」

「うん。本で読んだんだけど、結婚式は女神様の祭壇の前で、永遠の愛を誓うんだよね? 一生その人だけを愛し続けて、側にいると。女神様の前でそんな誓いを立ててくれる伴侶がいる人の事が、僕は昔から羨ましかったんだ」


 結婚式に強い憧れを抱く女性は多いけれど、男性には珍しいので、ダニエル王子が結婚式に憧れているのを知って私は驚いた。

 もちろん私も、セドリック王子との結婚式を夢見て憧れていたが、私が特に憧れを抱いていたのはドレスや白い薔薇の飾りなどの、結婚式に後からついてくるようなものだ。

 結婚式の本質である、永遠の愛の誓いを立てる事に憧れを抱くダニエル王子は、やはり私とは格が違う。


「ずっと側にいて僕を愛してくれる人を夢見てたんだ。月に一度じゃなく、毎日ずっと側にいて、寄り添ってくれる僕だけの特別な人をね。でも僕にそんな人は現れないと諦めていたんだ。だって僕はこんな体で、成人を迎えるまで生きられないから……」

「で、殿下……」


 私は思わず、ダニエル王子の手を強く握ってしまった。

 知っていたんだ。

 彼は自分に残されている時間がどのくらいなのか、知っていたんだ。

 それなのにこんなに明るく、瞳をキラキラさせて、精一杯生きていらっしゃるのだ。

 なんて──、なんて強く立派な方なのだろう……!


「あなたも知っていたんだね。病気という訳じゃないんだ。ただ、人より体の免疫力が極めて低いせいで少しの天候の変化でもすぐに体調を崩してしまうんだ。その度に体力を消耗して、衰弱死するそうだよ」


 ダニエル王子が見せたほんの少しの暗い表情に、思わず涙が出そうになってしまった。

 まだ子供である彼が自分の運命を受け入れようとしている姿に、胸が締め付けられそうだ。

 ダニエル王子は私を見て、困ったように微笑んだ。


「そんな顔をしないで。僕は幸せなんだよ、あなたが僕の願いを叶えてくれたんだから」

「私が……?」

「ずっと側にいて寄り添ってくれる、僕だけの特別な人が欲しい。もう長くない僕を可哀想に思った両親が、その願いを叶えるためにあなたを僕の婚約者にしたんだよ」

「そうだったのですね」

「王位継承権も未来もない僕の婚約者なんて、断られても仕方ないと思ってた。でも、あなたは断らなかった。嬉しかったよ。本当に、飛び上がるくらい」


 王宮に服従する聖女の地位を賜る私にとって、王宮が決めた事に従うのは当たり前の事。

 今回の婚約を断るなんて考えてもみなかったが、ダニエル王子がこんなに喜んでくれるのを見て、私も嬉しくなった。


「ララ、本当にいいの? 僕はもうすぐ死ぬのに、それでも一緒にいてくれるの? 引き返すのなら今だよ」


 ダニエル王子は真剣な眼差しで私を見つめている。

 私の本心を絶対に見逃すまいとする、真っ直ぐな瞳に射貫かれて、心臓が大きく鼓動を打った。

 私も真っ直ぐダニエル王子を見つめ返し、彼の手を両手でしっかり包み込んだ。


「はい。ダニエル様の婚約者として、お側にいさせてください」


 私がそう答えると、ダニエル王子はまた嬉しそうに笑ってくれた。

 大きな瞳をくしゃっと細めて、少し困った顔のように見える可愛らしい笑顔だった。


「ありがとう、僕の特別なララ。僕が永遠に眠るまで、ずっと側にいてね」

「はい、ダニエル様」


 私がダニエル王子の為に出来ることは何もないかもしれないけれど、婚約者として彼の側にいることを決めた。


「殿下、聖女様、ヘレナがお茶を持って参りました」


 婚約者同士とはいえ、未婚の私たちを密室で二人きりにしない為にずっと部屋の中で控えてくれていたカイル様が、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。

 見られていたのが急に恥ずかしくなって、ダニエル王子と私はどちらともなく繋いでいた手を離した。

 使用人らしき女性がワゴンを押して部屋に入り、カイル様と一緒にサイドテーブルへお茶を用意してくれた。


「ありがとう、ヘレナ」

「いいえ。何かございましたら、お呼びくださいませ」


 ダニエル王子がヘレナと言う名前の年配の侍女にそう言うと、彼女は優しく微笑んだ。

 背が高くてスラッとしていて、とても美しいご婦人だった。


「ララ、こちらはヘレナ。僕が幼い頃からこの離宮で働いてくれているんだよ」

「初めまして、聖女様。お目にかかれてとても光栄でございます。聖女様が会いに来てくださって、今日の殿下は見違えるようにお元気に過ごされていらして……。聖女様、本当にありがとうございます」

「いえ、私はなにもしていませんよ」

「そんなことはございません。聖女様が殿下の為にお祈りしてくださったからだと思います」


 感極まって瞳に涙を滲ませているヘレナさんからお礼を言われ、たじろいでいると、カイル様がにこやかに会話に入ってきた。


「まあ、聖女様、きっとそうですわ。さすが聖女様のお祈り。なんて素晴らしいお力でしょう」

「ええ、本当に素晴らしい。聖女様、本当にありがとうございます」


 ヘレナさんとカイル様に大仰に褒められて、何だかくすぐったくなってきた。

 けれど、悪くない気持ちだ。

 誰だって煽てられたら嬉しいだろう。

 祈り一つでこんなに喜んで貰えるとは思ってもみなかった。

 私は久々に、人に必要とされる喜びを噛み締めた。




 夕方までダニエル王子の離宮で過ごしたが、彼が昨日のように発作を起こすことはなく、穏やかに別れの時間を迎えることが出来た。

 別れ際に、また明日会う事を約束して笑顔で別れた。

 カイル様が昨日と同じ様に本殿まで送ってくれて、本殿からは馬車に乗り一人で帰路についた。

 帰りの馬車の中で、ダニエル王子のお元気そうな顔と、そんなダニエル王子を見て喜ぶカイル様とヘレナさんの顔が胸に浮かび、思わず一人きりでにやけてしまった。

 今日も、帰ったらすぐにダニエル王子の為に祈りを捧げようと決めた。


 神殿に帰り、私は昨日と同じ様にダニエル王子の為に祈り続けた。

 婚約者として私が出来ることは、何でもしてあげたかった。


 ヴィクトリア様が大聖女として君臨してから、自分が必要とされていない様に感じていた私にとって、私を求めてくれるダニエル王子の心がとても嬉しかった。

 聖女としての居場所を失くしたような気になっていた私に、ダニエル王子は婚約者という居場所を与えてくれた。

 人から必要とされるのがこんなに幸せだったなんて……。


 私に居場所をくれたダニエル王子に、少しでも返せるものがあるとすれば、私は何でも差し出したい気持ちになっていた。

お読みいただきありがとうございます。

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