さようなら、愛していました。
「いやだ……、行かないで……、お願いだよ……」
いつも二人でお茶をしながらのんびり過ごしている中庭で、ダニエル王子が私の腰に縋るように抱きついて泣いている。
青い瞳から大粒の涙をぼろぼろ流して、艶のある美しい銀の髪を振り乱して、ダニエル王子は最早泣き崩れていた。
まだ15歳の少年が泣き崩れる姿を見て、私もどうしようもなく胸が痛い。
それでも必死に涙を堪えているのは、最後くらい笑ってお別れを言いたいからだ。
年上として、大人として、見栄を張りたかった。
「どうして……結婚式はどうするの? ずっと側にいると言ってくれたじゃないか」
「……申し訳ありません殿下。ですが、国王陛下はヴィクトリア様を失うわけにはいかないとお考えです。……私もそれが正しいと思います」
大聖女ヴィクトリア・サンプトン様はこの国に必要不可欠な唯一無二の存在であり、皇太子妃でもあり、国にとっても王家にとっても大切なお方。
そんなヴィクトリア様が今、隣国エトルリアに捕らわれている。
一刻も早くヴィクトリア様を保護しなければならない。
エトルリアは「聖女を差し出せば、大聖女はそちらにお返しする」と言っている。
聖女と聖女より遥かに力の強い大聖女を天秤に掛けたら、どちらを選ぶべきかあまりにも明白だ。
しかもヴィクトリア様は皇太子妃であらせられる。
国王陛下が私をエトルリアに差し出す事を決めたのは当然の事で、誰もが納得している。
納得していないのはただ一人、私の婚約者であるダニエル王子だけだ。
「大聖女であるヴィクトリア様は、聖女の私よりもずっと力が強い。その力がこの広い国には必要だと思います」
「僕にだって、あなたが必要だよ。あなたがいないと、僕はダメなんだ……、生きていけないよ……」
「私がいなくとも、殿下は今まで強く生きていらっしゃったではないですか。それに、殿下の回りには支えてくれる人がたくさんいます」
初めて会った時のダニエル王子は、痩せこけてベッドから出ることも叶わず今にも死んでしまいそうだったが、今ではベッドから出て車椅子で生活できるまでになったし、少しだけなら歩くこともできる。
きっともう余命僅かなんて診断はされないだろう。
ダニエル王子はきっともう大丈夫だ。
今は悲しいかもしれないが、何年か経って大人になれば、私なんかよりもずっと彼に相応しい人が現れるはずだ。
「違うよ、そうじゃない……。あなたが好きだから、離れたくないんだよ」
「ダニエル様……。私もあなたが好きです。短い間でしたが、あなたの婚約者になれてとても光栄でした」
恋愛の好きは良くわからない。
けれど、ダニエル王子が私を必要としてくれて、心から求めてくれた事が嬉しくて、幸せだった事は確かだ。
だからお別れしなくてはいけないのがこんなに辛い。
「やめてよ、そんなお別れみたいに言わないで!」
「……ダニエル様、兵が待っているのです。そろそろ行かなくては……」
「いやだっ! 絶対に行かせない! 行かないで、行かないで……!」
腰に回されたダニエル王子の腕は、絶対に私を離すまいと物凄い力が入っている。
このままでは動けないが、エトルリアまで私を送り届けヴィクトリア様を無事に連れ帰る為に大勢の兵が待っている。
あまり待たせるわけにもいかない。
困っていると、近くに控えて様子を見ていたダニエル王子の従者カイル様が、こちらに歩いてきた。
カイル様は、車椅子に座り私の腰に縋っているダニエル王子の手を掴むと、さっとその腕を私から引き離した。
「やめろっ! 離せ、離して!」
「……申し訳ありません、殿下」
「カイル様……」
「ララ様、お行きください。どうかお気をつけて……」
カイル様は暴れるダニエル王子を押さえつけて引き留めてくれた。
私はカイル様に感謝を込めて一礼すると、彼も小さく礼を返してくれた。
「ダメだ、行かないで! ララ、僕の妻になってくれると言ったじゃないか! 僕と結婚してくれると言ったじゃないか!!」
「……ダニエル様、私……遠いエトルリアの地から、あなたの幸せを願っています。さようなら、ダニエル王子」
怪我をしてしまいそうなほど車椅子の上で暴れているダニエル王子を見ていられなくて、私は遂にダニエル王子に背を向けた。
その瞬間、我慢していた涙が遂に溢れだした。
後ろからはダニエル王子の悲痛な叫び声が聞こえ、私も遂に嗚咽を抑えきれなくなった。
歩みを止めないようにしながらも、私は咽び泣いた。
ダニエル王子と結婚すると思っていた。
と言うかついこの前までそのつもりだった。
来週はウェディングドレスのオーダーをして、出来上がりの時期に合わせて日取りを決めようと話していたのに。
ここ数日であまりにもいろんな事がありすぎて、目まぐるしい変化に心がついていかない。
ダニエル王子の事も傷つけてしまった。
ダニエル王子の泣き叫ぶ声がだんだん遠ざかっていく。
私もそろそろ涙を納めないといけない。
これからこの国を出て、エトルリアで暮らしていくことになるのだから。
いくら気持ちを切り替えようとしても、頭の中に焼き付いたダニエル王子の泣き崩れる姿と、耳から離れないダニエル王子の悲痛な叫び声が、いつまでも私の心を乱すのだった。
お読みいただきありがとうございます。
シリアスな展開からスタートしてしまいましたが、ハッピーエンドまでお付き合いいただけたらなと思っております。
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