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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

リコッタ・シルベール公爵令嬢は許せなかった

作者: 乃木太郎

「あら、ミラージュにしたことを忘れたのかしら?」


 リコッタ・シルベール公爵令嬢はそう言って扇をぱちんと閉じた。



「なんてこと……」


 隣国への一年の特使としての役目を終え自国に戻ったリコッタに届けられたのは、友人が婚約を破棄され修道院に入れられたという信じたくない悲報であった。

 ミラージュ・ハーツクライ伯爵令嬢は、リコッタの親友である。領地が隣接していることもあり、家同士の関係が深かった二人は、家格の差に関係なく意気投合し、一緒に木登りをしたり魚釣りをしたりと無邪気に遊び、大人たちに怒られながらも令嬢としての勉強もともに切磋琢磨して育った。

 そんなミラージュは年ごろになると、とある侯爵家の四男と婚約を結ぶことになった。ハーツクライ伯爵家にはミラージュしか子どもがおらず、伯爵家を後継するミラージュを支える未来の伴侶として選ばれたのである。

 婚約をしたときは少し不安を覚えたリコッタだったが、「とてもいい人よ」とはにかんで笑うミラージュに、リコッタは心から祝福を述べたものだ。そうして自らは、王命のもとに使者として隣国に向かったのである。

 隣国に滞在中、ミラージュとは手紙のやり取りを重ねていたが、手紙には婚約者とうまくいっていると書かれていたし、あのうれしそうなミラージュの表情を思い出してそうなのだろうと信じていたのだ。……自分も愚かだったと、リコッタは帰国して激しく後悔した。

 ミラージュの伴侶に選ばれた侯爵家の四男は、あろうことか結婚直前に子爵家の令嬢に現を抜かし、ミラージュがその醜女をいじめたと偽りの罪をでっち上げ、ミラージュを修道院送りとしてしまったようだ。しかも折も悪く、ハーツクライ伯爵夫妻は貿易で船の上であり、ミラージュは味方がいない中、まんまと愚か者どもにはめられたのである。ハーツクライ伯爵夫妻は未だ帰国の途についていない。何せ海の上だ、あと一年は戻れないだろう。

 やられたのだ、あの愚か者どもに。優しく美しいミラージュが。ミラージュは穏やかな子だった。きっと何も抵抗できなかったに違いない。

 リコッタは手元の紙をくしゃくしゃにして投げ捨てる。

 現在、愚か者二人は、ハーツクライ伯爵夫妻と正統な後継者であるミラージュがいなくなり、我が物顔で伯爵家に居座っているらしい。困り果てた家令が、シルベール公爵家を頼ってきたというわけだ。そして本来ならばこうなる前に関知しているはずの公爵は戦で前線に出ており、公爵夫人はリコッタとともに隣国に赴いていた。何もかもが、最悪のタイミングであった。


「……どうしてくれたものかしら、あの愚か者ども」


 リコッタは悪役よろしくにやりと意地悪く微笑む。徹底的に潰し、生きていることを後悔させてやるとリコッタは強く決意した。



「陛下、お忙しいところお時間を賜り、誠にありがとうございます」

「隣国大使としてのシルベール公爵家の働きに感謝する。戦も起こり、負担をかける」

「とんでもございませんわ。国のため、陛下のために働けることこそシルベール公爵家の誉れでございます」


 リコッタの凛とした姿に、国王陛下も笑みを浮かべる。本来ならば次代の王妃となってもおかしくない人材であるが、残念ながら次代の王は第一王女に確定しており、リコッタの王家入りは見送られることになった。しかしなんとかして関係を保ちたい王家は、シルベール公爵家の名声をさらに高めるため、隣国への派遣と戦への派遣を決定したのである。この二つを完遂し、功績が認められれば、シルベール公爵家は王家に次ぐ権威を持つことになる。

 リコッタは、国王陛下がシルベール公爵家に格別に目をかけてくれているこの状況を最大限利用しようと考えた。


「此度の活躍に、褒賞がほしいとのことだが。もちろんできる限りのことは致そう」

「ありがとう存じます……それでは恐れながら、領地が一つほしゅうございます」


 リコッタの発言に、国王陛下以外の家臣がざわつく。リコッタは特使として赴いた隣国で、希少鉱石の優先輸入権を自国に有利な条件で結ぶことに成功した。これは莫大な利益をもたらすものの、かと言って領地を望むほどかと言えばやりすぎではないかと思われても致し方ない。

 リコッタのまっすぐな目に何かを察した国王陛下は、小さく頷くと口を開く。


「……ハーツクライ伯爵領か」


 ざわついていた家臣たちの口が止まる。ハーツクライ伯爵家に起こった悲劇を知らぬ者はこの場にはいないようだ。


「はい。ハーツクライ伯爵夫妻は、王命により海の上です。あげくに正統な後継者は修道院にいると聞いております。ハーツクライ伯爵領の運営が心配なのです」

「……ふむ」


 国王陛下はしばし思案して、隣にいる宰相に声をかける。


「領地を運営する者がいない場合、代理を立てる必要があったな?」

「はっ。……いちおう、ミラージュ嬢の元婚約者の男がいるはずですが」

「元婚約者がいつまでもハーツクライ伯爵領にいると?」

「え、ええ……」


 宰相が気まずそうに口ごもる。それはそうだ、侯爵家の四男はハーツクライ伯爵領の運営について何の権限もない。そもそも婚約を破棄したならさっさと出ていくべきである。


「なんということだ……。リコッタ・シルベール公爵令嬢、そなたにハーツクライ伯爵領の当主代理を任せたい。領民が心配だ、必要な支援は王家も行おう」

「陛下のお言葉、しかと拝命いたしました」


 リコッタは優雅に臣下の礼を取り、誰にもわからないようにやりと口角を上げる。

 愚か者たちに地獄を見せるときがようやくきたのだ。



 王宮を出ると、リコッタはそのままハーツクライ伯爵家に向かう。先触れも出しておいたが、それよりも早くリコッタを乗せた馬車がハーツクライ伯爵家に到着した。屋敷から転げるように出てきたハーツクライ伯爵家の家令が、今にも泣き出しそうな顔でリコッタに頭を下げる。


「陛下の命により、ハーツクライ伯爵の当主代理を仰せつかりました。中に入らせていただくわね」


 家令に扉を開けてもらって中に入ると、屋敷はリコッタの記憶通り整然として威厳のあるままであった。ハーツクライ伯爵家の使用人たちがかなりがんばってくれているようだ。高価な美術品も無事である。これは家令がなんとか死守してきたのだろう。


「……ここに、例の二人を呼んでくださる?」


 懐かしさを感じるサロンに入り、リコッタはすぐに家令に命じた。家令はすぐさまサロンを出て行く。待っている間に温かい紅茶でのどを潤し、「ハーツクライ伯爵家の護衛を呼びなさい」と近くの使用人に命じた。すぐに護衛が三人ほどやって来る。その中には、ミラージュ付きの護衛も一名いた。


「本日からハーツクライ伯爵家の当主代理となった、リコッタ・シルベールよ。わたくしの言葉は伯爵と同等と考えなさい」

「はっ」

「……ミラージュの件、すぐに動けなくて本当にごめんなさい」


 小さな声でぽつりとつぶやくと、膝をついた護衛たちの肩が小さく震える。貴族は臣下に気軽に謝ることはない。そんなリコッタの心からの言葉に、護衛たちも使用人たちも涙を流す。

 彼らだってどうにかできるならしていたはずだ。しかし、優しいミラージュは彼らが路頭に迷わないよう取り計らったに違いない。でなければ、ミラージュが修道院に行くなどあるはずないのだから。


「……お嬢様は……使用人たちの……」

「いいのよ、わかっているわ。ミラージュを助けられなかったのはわたくしの罪。わたくしは自分の罪は自分で清算するわ」


 きっぱりと言い放ったそのとき、気だるげな男女がのろのろとサロンに入ってくる。昼間から何をしていたのか、だらしなく衣服は乱れていた。


「何なんだよ一体」

「黙れ、この乞食ども。……この不法侵入者を捕まえなさい」


 リコッタの命令に、護衛三人が愚か者を取り押さえる。


「な、何をする……!」

「きゃあ!何よ、わたしは次期ハーツクライ伯爵夫人よ!」

「……不愉快ね、口を押さえてちょうだい」


 リコッタの命令に、護衛たちは窒息しない程度に口を塞ぐ。それでも抵抗を続ける二人に、「それ以上暴れるなら腕を折るわ」と告げると途端に静かになった。


「わたくしは王命でハーツクライ伯爵の当主代理となった、リコッタ・シルベールよ」


 リコッタの名前を聞き、男のほうが目を見開く。直接会うのは初めてだが、名前はミラージュから聞いていたらしい。


「あなたがたはハーツクライ伯爵家とは何も関係がない者よ。今すぐ出て行ってちょうだい」

「んー!んー!」

「……男のほうだけ口を開くことを許すわ」

「どういうつもりですか、リコッタ嬢!ハーツクライ伯爵家の後継者は……」

「後継者はミラージュただ一人。ハーツクライ伯爵はあなたを後継者と定めて?」

「それは……」

「あなたたちは乞食、寄生虫、害悪。今すぐ出て行って。これは当主代理としての命令です」

「いくら何でも横暴です!私はミラージュの元婚約者で」

「その、ミラージュをわけのわからない罪をでっち上げて追い出したのは誰?」

「……それ、は……」

「その上、浮気相手がそんな汚物?あなた、頭がおかしいのではなくて?」


 バカ男の顔が怒りで赤くなる。


「いくらなんでも失礼だぞ!」

「あら、事実でしょう。伯爵令嬢として、後継として厳しくもまっとうに育てられて立派な淑女となったミラージュの爪の垢以下じゃない」


 床に転がっている女を見て、リコッタはため息をつく。バタバタと足をばたつかせ、淑女の「し」の字もない。


「こんな汚物に簡単に惑わされ、ミラージュを追いやった。そんなバカ、頭がおかしいか気が触れているかのどちらかしかないでしょう?」

「ミリアは、すばらしい女性で……っ」

「そう、そんなにすばらしいなら、早く出て行ってお二人で平民として幸せに暮らしてちょうだい。あなたは継ぐ爵位もなく、婚約も破棄したのだからもう貴族ではないでしょう?」

「そんな……そんな……私は、伯爵に……」

「本当に頭が悪いのね。あなたは次期伯爵のただの配偶者。何の権限もないのよ。まさか、そんなこともわからないでミラージュを追い出したの?」


 リコッタは扇を広げ、ほほほと優雅に笑う。


「すごいのね、頭の悪い人って!自分の都合のいいようにしか物事を考えられないのね」

「それでも、こんな仕打ちはあんまりだ……」


 愚かな男が体を震わせてうなだれる。


「あら、ミラージュにしたことを忘れたのかしら?」


 リコッタ・シルベール公爵令嬢はそう言って扇をぱちんと閉じた。


「醜い乞食のあなた方はミラージュを修道院に追いやった。貴族令嬢の尊厳を踏みにじったのよ?それでどうして無事でいられると?」


 リコッタは紅茶を飲んで喉を潤すと、小さく息をつく。


「そこの無礼な男を不法侵入と貴族への暴行で突き出して」

「かしこまりました」


 護衛が元気よく答え、さらに愚か者の腕をねじり上げる。


「いだ……な、なぜ……」

「公爵令嬢で、今は伯爵家当主代理に無礼を働いたじゃない。当然でしょ?」

「話が……違う……出て行けと……」

「ごめんなさい、あなたの頭の悪さがうつったみたい。よく覚えていないわ。早く、突き出して」


 ぎゃあぎゃあと喚く男にみぞおちを入れ、護衛がズルズルと男を連れ出す。ここのカーペットはすべて取り替えね、とリコッタは考える。


「……さて、そこの醜女」


 リコッタが近づくと、女がびくりと肩を震わせる。口をおさえられているが、涙と鼻水でぐしゃぐしゃであった。


「わたくしの質問に大人しく答えなさい。それ以外の発言をすればどうなるなわかっているわね?」


 リコッタがにっこり笑みを浮かべると、女はこくこくと頷く。護衛がふさいでいた手を離した。


「もしあなたが、先ほどの男を犯罪者として突き出すなら恩赦を考えてあげてもよくってよ?」

「や、やります!わたし……」


 即答する女に、リコッタは笑みを浮かべた。愚か者どもの愛などしょせんこの程度なのだ。家畜の糞よりも役に立たない。


「あなたはあの男に脅され、ミラージュに虐げられたと嘘をついた」

「そ、そそ、そうです」

「いいわ。そして、愚かなあの男は、わたくしにも暴力をふるおうとし、護衛に取り押さえられた」

「はは、はい、そ、その通り、です」


 リコッタが口角を上げると、女の顔がますます青くなる。今のリコッタは立派な公爵令嬢であるけれど、それ以外の、別の生き物のように見えた。そして、この女の予想はおおむね正しかった。大切な親友が大変なときに何もできなかった事実は、一人の女の心を確実に蝕んていたのである。


「よくできました、いい子ね」


 女は、裁判でリコッタの指示通り証言した。男は、裁判の前に生家の侯爵家から縁を切られて、平民としてその罪を受けることになる。そうして証言をした女は、その日のうちに忽然と姿を消し、その後の行方を知る者は誰もいなかった。



 そうしてリコッタ・シルベール公爵令嬢は、ハーツクライ伯爵夫妻が戻ると、伯爵代理をすぐさま辞任し、消息を絶ってしまった。リコッタの両親もハーツクライ伯爵夫妻もリコッタの行方については固く口を閉ざしたという。

 その数年後のことである。国境沿いにある小さな教会で、とても美しい二人の修道女が寄り添い合い祈りを捧げるその姿が、まるで聖女のようだと人々の間で噂になったのは。

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オチで草。 そういうお怒りだったのか。
愛する人のためなら身を引けるタイプのガチレズだったか…… 乗っ取りとざまあはあっさりだけど、まさかこんな馬鹿はいねえという隙を狙われただけだからこんなもんか
これは後追いかけ落ちエンドなのかしら… 探索発見即鏖お見事。戦が始まったこともあって皆色々憤ってたのかしら…と思いつつも、後片付けまでもの苛烈さを含めた押しかけ修道女のクソデカ感情に元令嬢は押し倒され…
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