1章 2部
俺は飛び起きた。
(やっちゃった! 遅刻だ!)
最近はこんなことなかったのに。アラームにも気づかないで寝過ぎるなんて。
……なんてことは、なかった。
俺の目の前には太くて大きい木々が並んでいて、生い茂った緑色の枝葉の間からは木漏れ日が差し込んでいる。
空気が美味しい。思わず深呼吸すれば、清々しい森の良い匂いがする。
「どこっ!?」
夢じゃない! 夢だったら、こんなにリアルな感触するはずがない。
「っ!?」
裸ぁ!? 服もリュックもスマホも、何も無い。一糸すら纏ってない!
おかしい! ありえない! すぐに立って……それで……俺は……。
地面に生えてる緑色の草が驚くほど柔らかいし、感触も良い。背が伸びた高級な芝生みたいだ。そりゃ、ゆっくり寝てられるわと思ったけど、今はどうでもいい。
(確か……学校出て……電車に……は、乗ってない。……路地だ! いつもなら通らない路地に入ったんだ!)
俺は拳を何度も握るように指を動かしながら、ゆっくりと正確に記憶を辿った。
間違いない。大学を出て、帰り道で路地に入ったところまでは、ちゃんと覚えてる。
そこからが曖昧だった。何か怖かったような気がするけど、嫌な思いや痛みとかじゃなかった……気がする。
でも、今……その事実に気づいてから、徐々に心臓の音が大きくなっていってる。じわじわと身体中が熱くなってきた。
(もしかして……異世界転生……!?)
辺りの木々や草むらを見ながら、俺の直感が告げている。色に異常は見当たらないけど、明らかにデカい。よくよく見れば、木の幹なんて俺三人分くらいある。その周りに生い茂ってる草や花とかも、たぶん日本のものじゃない。けど……何となく似ている。
確かに、アニメやマンガなんかで、そういう流行りの設定に憧れたりもしたけど、自分が本当に転移するなんて思ってもみなかった。
もしくは、パラレルワールドかもしれない。そっちも流行りだ。いや、違う世界線の地球かもしれない……!
(……え……でも……このままだったら……俺……)
急に現実が迫ってきた。ずっとここで、こうしてるわけにはいかない。じゃあ、どうすればいいか? そんなこと知らない。
でも、そんなこと言ってたら……死ぬ?
(でも……じゃあ……どうしよう……。……ッ!!?)
涙が出そうになるくらい驚いた。左の茂みで音がした!
身体ごとそっちを向いて、すぐにでも逃げ出せるように後ずさり……。
海外の綺麗な俳優さんの様な、目鼻立ちがクッキリした綺麗な顔。3ⅮCG映画から直接出てきたようだ。それに白い肌と、大きな翠色の眼。太陽の光で神々しく輝く金色の髪。肩に掛かるくらいの長さだ。そこから横に長く伸びる耳。
薄茶色……木の幹と同じ色のマントに、動きやすそうな緑色の半袖、短パンの服装。すらりとのびる綺麗な脚。その先には茶色の靴を履いている。
弓を構えた姿は、凛としてて美しい。俺より頭一つ分くらい低い身長だから、構えている弓が大きく見える。
そう、弓を構えた、尖った耳の……!
「エルフだっ!」
「○○○!」
間違いないっ! パラレルワールドじゃなくて、異世界転生だっ!
え? でも今、動くなって言われたような……。
「ごっ、ごめんなさい大声出して……。何もしないので……弓を下げてもらえませんか?」
そうだよ、まずは誤解を解かないとだよ。エルフの子だから大丈夫だと思うけど、警戒して射たれたら大変だ。
「○○○○○○!」
「言葉通じないのっ!?」
てっきり魔法とかで自動翻訳してくれると思ったのに!
「○○○○○○○○○、○○!」
エルフの女の子の目つきが更に鋭くなった。ヤバイ、このままじゃ射たれちゃう……!
(えっと……俺は……敵じゃない……えーっと、バッテンとか通じるのかな……。両手挙げる? でも、何かの合図だと思われたら――)
「○○○!」
足を動かそうとしたら、そう言われた。やっぱり「動くな!」って言われてる気がする。
(でも……じゃあ、どうすればいいんだよ……)
そう思って、ゆっくりと両手を下ろした時、右手の指が太腿に触れた。それに、さっき足を動かしたからか、少しだけ足元にくすぐったい感触が触れているのも思い出した。
「……あっ」
俺、裸だ!
その瞬間に、俺は両手を股間の前に持っていき、大事なところを隠した。でも、もう遅い。上から下まで、まじまじと観察されている。
こんな可愛い子に俺の貧相なもの全部が見られて……恥ずかしすぎる……。死にたい。すぐさま茂みに隠れたい。
でも、一歩でも動いたら射ちそうな眼で睨んでる。警戒というより不愉快な……汚いものを見る目つきだったんだ。そりゃ、そうだよね。言葉の通じない変質者が話しかけてきてるようなものだもんね。
(……そーいえば、咄嗟に動いても何も言われなかったな……)
恐る恐るエルフの女の子と目を合わせると、さっきの鋭さや殺気みたいなものは薄れてるような気がする。
服も着ているし、やっぱり全裸が恥ずかしいことっていうのが解ってるんだ。それなら言葉が通じないだけで、外国人だと思って接すれば意思疎通ができるかもしれない。
よし、できるだけ申し訳なさそうな……憐れんでもらえそうな悲しい表情にして……。
(……あっ! 耳の先端が赤くなってる!)
少し血の気の無いくらいの白い肌だから、しっかり見るとすぐに判った。
その視線に気づいたのか、エルフの女の子は尖らせていた耳を水平にした。目つきも不愉快そうなジト目に変わり、眉間に皺を寄せている。
(ご……ごめんなさい……)
俺が思わず頭を下げたくなった瞬間。エルフの女の子は矢を番えたまま、弓の照準をクイクイと下に動かしている。
「ん……下? ……低く? ……座れ?」
俺が股間を隠しながらゆっくり膝をつくと、エルフの女の子はコクコクと頷いた。言葉が通じたわけじゃないけど、やっぱり考えていることは伝わる。良かった……!
そのまま正座するように座ると、エルフの女の子は一、二歩下がって弓を下ろしてくれた。その弓を背負うようにした後、空いた左手で首に下げていた細長い薄茶色の笛(てっきりアクセサリーだと思ってた)を吹いた。
間違いない、仲間を呼んだんだ……!
ホイッスルの音よりも薄くて甲高い音が聞こえた後、エルフの女の子は右手に持っていた矢も腰に掛けている矢筒にしまっている。
あんまりガン見しないようにしてたけど、いちいち動作がキビキビしていてカッコイイ。デキる軍人の女性を見ているようだ。
歳は俺より下っぽいけど……そうだ! エルフだから外見が若く見えるのかも! もしかしたら百歳超えなんかもあり得る。
(ッ! 来た……!)
ガサガサと何かが茂みを掻き分けてくる音が聞こえてきた。たぶん、俺の右前の方向から。
何人かは分からないけど、音的に一人か二人だ。きっと、同じエルフの――
「ッ!!」
違うっ! 影――黒い狼だっ!! しかもデカい! シェパードやドーベルマンとは比べ物にならない! まるでトラみたいに大きい!
黒い狼はエルフの女の子の前に飛び出てきた後、赤い眼でこっちを睨んで低く唸っている。その姿を見て、俺は息を止めて縮み上がってしまった。
間違いなく、あの子が呼んだ仲間だ。俺を食い殺させるために……!
「ヴァル!」
その声を聞いて、狼の唸り声が止んだ。そして、逆立たせていた毛と尻尾を元に戻して、エルフの女の子の方に振り向いている。
その姿が飼い主に呼ばれた犬そっくりで、ほんの少しだけ気持ちが和らいだ。良かった。たぶん襲わせる気はない――
「あぅ!?」
突然目の前が草しか見えなくなった。何かが頭に乗って――いや、手だ! 誰かに頭を押さえられてる! 地面に叩きつけられたわけじゃないけど、無理やり頭を下げさせられているみたいだ!
「うぁっ!?」
痛い! 膝と股が! このままじゃ裂ける!
そんなに重さは感じないけど、上から押さえつけられてる!
両手を取られた! 後ろ手にされてる! 一瞬で持ってかれて、そのまま身体を押さえつけられてるんだ……! ……紐? 紐で両手を縛られてる!
せめて振り向いて、いや、抵抗しない方がいい? けど……。
(……! 緑……色……)
人間≪ひと≫じゃない……! 今、俺の腕を握ってる手? の感触は硬くて冷たい。石みたいだ。でも、振り返った時に見えた緑色の大きな足、肩幅……内側の白色に近い橙色……。
「う……!」
驚くほど早く俺の両手が縛られると、右腕が冷たい感触に引っ張られる。押さえつけられた状態から解放されて痛みはなくなったけど、右腕から感じるパワーが凄くて逆らえない。まるで吊られるように立ち上がっちゃう。
「○○○○○○」
右上から、太くて逞しい男の声が聞こえてくる。何を言ってるのか解らないけど、良い声なのは判る。
「○○、○○○○○○○○○○……」
エルフの女の子が汚いものを見るような目で、何か言いながら俺の下半身を指差している。
(そ、そうだ……! 隠せない……!!)
「○○○○、○○○○○○○」
(なにか……せめて……ッ!!?)
俺の右後ろから、突然トカゲの顔がヌッと出てきて、こっちを静かに見つめている……! 瞳孔が縦に長い蒼色の眼を合わせ、俺の目をジッと見つめている。
不思議と恐くない。澄んでいて綺麗だ。いや、やっぱり恐い。
爬虫類の姿に似合った冷たい目ではないけど、だからこそ何を考えているか分からないから恐い。
そこでリザードマンは視線を外すと、俺の腰辺りを見つめている。
そう……やっぱり、リザードマンだ……!!
トカゲ人間、レプティリアンとかなんとか、いろいろ呼び名はあると思うけど、ファンタジーが好きな人間だったら、リザードマンだ。
でも……俺の横で、風呂敷の様な布をナイフで縦に裂いているリザードマンは、イメージと大分違う。
身長は見上げるほど大きくて、トカゲと人間を足したような姿なのはイメージ通りだけど、佇まいとか手先の器用さとか、股間にフンドシを巻いていたりするのを見ると、ちゃんとした人のように思える。
リザードマンっぽい荒々しさとか野蛮さは感じずに、賢く……知能とか高そうな振る舞いをしてる。
今も俺の前からじゃなく、後ろから腰に麻のような紐を巻いて、そこに細長く切った布をフンドシのように通して、股間が隠れるように巻いてくれてる。きつく縛らないでくれているけど、布が荒いから少し痛い。
抵抗する気なんて全く起こらない。少しでも機嫌を損ねたら食べられそうだし、少なくとも言うことや、されることに素直に従ってれば殺されずに済みそうだ。
大丈夫。……大丈夫……。殺す気だったら、こんなに丁寧に扱われないだろう。
「○○○○○○?」
リザードマンはフンドシ一丁の俺の前にまわった後、エルフの女の子に話しかけている。それにエルフの女の子は「○○」と言って頷いた。
(慣れるまでゴワゴワが気になりそうだけど……そんなこと気にしてらんない……)
俺が俯いてフンドシを見ていると、リザードマンはそっと背中を押してきた。歩くように促されている。
されるがままに頷いて、ゆっくりと歩こう。……走って逃げても、絶対に捕まるだろうし。ヴァルって呼ばれてた狼が一番怖いよ……。
エルフの女の子についていくくらいのスピードで歩けばいいのかな……?
足元気をつけないと……。