8.王城へ (2) ☆
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衛兵たちが柵を閉じる。御者の掛け声に馬が重い脚を上げる。
自分たちを見下ろしていた周囲の建造物が、お辞儀をするように頭を垂れる。それらは今、普段人に見せない屋根の上の粗忽な造形をあらわにしている。
幌の中からは後ろしか見えない。今、北側の景色が一番よく見えるのは、シールの席だ。甍の波に顔を出す下宿の建物は、まるで波間を跳ねて身を翻す魚のよう……彼女は先日、船の上で見た光景を思い起こした。出かける時に蓋をした、自分たちの部屋の窓も見える。そこから望んだスロープを、今、登っている。身をよじり顔を覗かせるハルも、「すげー!」「高ぇー!」と感嘆の声を繰り返す。
やがて御者が手綱を左に引く。坂を上り切り、城門をくぐるのだ。衛兵たちが両側から見送る中、馬車は日蝕の世界に放り出される。
目が暗がりに慣れると、城門の構造がわかってくる。入ってすぐの天井に、巨大な一枚岩の落し蓋がある。有事にはそれを支える機構を破壊し、封鎖するのだろう。石組みに囲まれた牢獄のような空間の屋根には、四角い穴が開いている。
城門を抜ける。内側は、外と異なり左右両側に坂道があった。馬車はその左手を下る。そしてついに、円城壁の中の景色がベールを脱ぐ。
「うおおおおお!」
ハルが叫ぶ。
「これが王城か……すげえ……」
エンベロペに囲まれた空間は、三人の知る世界を超越していた。
外からは全貌をはかり知ることができない、城壁の全周が見渡せる。それは一片の欠けもなく、この世界を真円に切り取っている。直径は一カロルーテ。正面に見える南の壁がかすんでいる。それほど巨大だ。内側では、軒を接する住居の列が幾重もの輪を描く。外の街並みを巨人が持ち上げ、丸めて押し込んだかのように。
そしてその中央、天上人に挑まんばかりにそびえる幾本もの尖塔。
「この世のものとは思えんな……」
珍しく詩的な言い回しのハル。シールもおちょぼ口を半開きにし、瞬きを忘れている。
しかしそんな景色も、視点が低くなると変質する。スロープの終わりは、円城の東端近く。すぐ外に駅がある。そして中の街並みは、地表に降りて見ると、外部とそう変わらない。郊外から駅に続く街道をそのまま延長したように、東西に目抜き通りがある。そこでは外の街と同じように人々が行き交う。無論、この場に立つことができる者は限られている。だが住み、営み、商い、そして統治する……行うことは同じ。ただ、汚れを布で濾しただけ……リリィにはそう見えた。
馬車は石畳の目抜き通りを進んだ。ほどなくザヅツが布をめくり、御者に声を掛けた。馬の脚が止まった。
「降りて、少し景色を見ていくかい?」
「おう!」
待ちかねたようにハルが飛び降りた。シールがあとに続いた。「おおお!」とハルが声を上げる。リリィも純白に輝く外の世界に身を投じる。
「すごーい!」
「ヒエー!」
「……………」
そこは王城前の広場だった。
広い石畳の空間。その正面にそびえ立つ威容。鉄柵で囲まれているが、防御はそれだけ。内側にある円形の池も、庭園の一部であって堀ではない。その向こうに、幅の広い石段と王城の入口が見える。装飾性の高い建材、ラダンダイトをふんだんに使ったアーチ。両側には長槍を立てた衛兵が控える。その奥に低めの尖塔が三本。さらにその後ろで左右に二本。そして中央、天に挑みかかるのは……
「現王・ウインガルト十三世がまします王城、ウインガルト城だよ」
「高ぇ……」
円城壁の倍はあろうかと言う尖塔。そこは単なる王の住まいではない。議員が集まり政治を行う議会や、国王に謁見して意見を具申する枢機院と言った、国の主要な統治施設がある。軍の最高位である司令官もここで指揮を執る。
※
その後、馬車は王城を南に回った。そして南西の位置で止まった。ザヅツが降車を促した。そこはエンベロペがなければ、闘技場のある調練所から目と鼻の先だった。「この壁がなければね」とザヅツも石の壁を見上げて嗤った。そしてここが目的地なら、城門を入ったあと、右手の坂を下りた方が早かった。わざわざ遠回りしたのは、自分たちに王城を正面から見せるためのザヅツの配慮だとリリィは思った。




