3.新しい我が家 (2) ☆
※
階段は薄暗く、狭かった。建物もかなり古いようだ。
段差の大きな階段を三階まで登ると、暗い廊下に五つ子の部屋が並んでいた。木製の扉には番号札が打ち付けてあった。
「一番奥みたいね」
リリィは石葺きの廊下を進んだ。そして突き当りの前の扉に手を掛けた。押すと蝶番が軋み、開いた。
「……………」
明かり窓のない室内は暗かった。空気は止まっていて、死んでいるようだった。乾いているのに、どこかカビ臭い。
部屋は正方形で、床は板張りだった。左の壁際にベッドがふたつ。右側の奥にひとつ。その手前には大きな衣装入れがあった。装飾のない質素なベッドにはマットもなく、毛布も掛かっておらず、木製の骨組みがむき出しだった。
正面の壁にひとつだけ窓があった。上部は半円で、木蓋で封じられていた。隙間から、わずかな陽光がにじんでいた。その前には小さな机が佇んでいた。四つ脚に、引き出しが一段あるだけの簡素なものだった。机の上には真鍮の水差し。脇にはスツールが一基。部屋にあったのは、それが全てだった。
「おっ、ベッドだな」
ハルが部屋を覗き込んだ。彼女はそう言ったが、いつもの調子ではない。リリィが一歩踏み出すと、床板がギシリと鳴った。彼女は左手の奥側のベッドに進んだ。ハルは向かいに、シールはリリィの手前に。申し合わせたわけでもなく、三人は自然と自分のベッドを決めた。
「ハル、窓を開けてくれる?」
「ああ」
ハルは弓をベッドに寝かせた。そして窓に歩み寄ると、木蓋に両手を掛けた。左右に揺らして力を込めると、それは手前に外れた。
「おおお……」
「すごい……」
ハルとシールが感嘆の声を上げた。リリィも横から覗き込んだ。痛いくらいに眩しい純白の世界に目が慣れると、次第に灰色の影が浮かび上がる。
「エンベロペ……スロープと城門も」
窓の外に、視線を遮るものはなかった。幾重にも連なる屋根の向こうに、王城の円城壁・エンベロペを望む。それは山のように立ちはだかり、左右に手を広げる。しかも部屋は王城の真北。壁の上部に開口する城門が真正面に見える。その城門に向けて、左手からスロープが伸び上がる。重そうに車輪を軋ませる馬車も、城門を守る幾人もの兵士たちの姿も手に取るように観察できる。
「あれが城門か……あんな高い所にあるんだな」
エンベロペの高さは二十ルーテ。三階建てのこの建物五つ分だ。城門は、少なくとも地上から十五ルーテはありそうな位置に開いていた。
「いい眺めね」
リリィがつぶやいた。この季節、そして時間。日は高く、部屋の奥までは差し込まなかったが、それでも十分な光量を三人に与えた。流れた風が、よどんだ空気を一掃した。殺風景な部屋は、そこから覗く景観によって魔法にかかり、見違えるほど魅力的な装いとなった。斜めに差す光の柱に浮かび上がる、忌々しいはずの埃の粒も、今では砂金のようにきらめいて見える。
「あとで寝具を借りに行きましょう」
リリィは窓の横にロッドを立てた。そして腰の剣と、右腕の入った布袋を机に置いた。青く錆びた水差しが陽光を反射した。
「ハル、水を汲んできてくれる?コップも借りてきてほしいわ」
「そうだな!あたいも喉が渇いてたんだ。結構乾燥してるな、王都は」
彼女は窓から身を引いた。そして耳たぶのような曲線を描く持ち手を取り、部屋を出ていった。階段を降りる靴音が反響して、次第に小さくなった。
「おトイレも一かいなんだよね」
シールがつぶやく。
「夜にひとりで行ける?」
「だいじょうぶだよ!こんなにぎやかなまちにはおばけも出ないよ」
彼女は森の中の一軒家で、ひとりで留守番をしていたのだ。それに比すれば、二名の年長者と共にするこの暮らしに不安はないだろう。
騒がしい足音が駆け上がってきた。部屋に戻ったハルは、重くなった水差しを右手に提げ、左手には何かを包んだ布を握っていた。彼女は水差しを机に置くと、自分のベッドの上で布の結びを解いた。三つのコップとミンナ、そして平たく丸い、褐色の菓子が山になっていた。
「エレナさんがさ、菓子くれたよ。一個食ってみたんだけどさ、クッソうめぇ!」
そして布敷の上のひとつを口に運ぶ。シールが胸を張る。
「コバテリャね。小むぎとたまごとさとうにカビを少しまぜてふくらませてからやくの。あたしも作れるよ」
「お水いれるね」、彼女はコップを取り、机に歩み寄った。
「マジかよ!今度作ってくれよ!もっと食いてぇ!」
ハルは次々とコバテリャを口に放り込んだ。リリィが「売ってるのを買った方が早いんじゃない?」と言うと、シールは水差しを傾けながら、「そうだね。安いしね」と笑った。
※
地表の喧騒から離れた三階の部屋で、穏やかな午後の時が流れる。
ハルとシールは、整えたベッドの上で寝息を立てていた。馬車の上で十分な睡眠をとれなかったところ、エレナに貰った菓子とミンナで腹が落ち着いたのだろう。ハルは仰向けになり、小さくいびきをかいていた。シールは指を重ね、赤子のように丸まっていた。まぶしいのか、窓に背を向けている。
リリィはスツールに腰掛け、外を眺めた。頬杖を突く左腕に日を受ける。肌に感じる熱量が、薄暗い部屋の中で愛おしく感じる。
作業場でもあるのか、カンカンと槌を打つ音は時おり聞こえるが、眠りを妨げるほどでもない。下宿の前の通りは繁華街ではなく、そう言った職人たちの仕事場や住居が多いようだ。耳に届く音ひとつひとつを聞き分けられるくらい、喧騒とは無縁だ。世界一の都邑とは思えぬ。これならまだ、風のある日の森の方が騒がしい。
視線を上げる。そびえ立つエンベロペと、その奥にかすむ王城。幾本もの尖塔が天を衝く。城門は開いているが、見上げる角度になるため、向こう側を窺うことはできない。中には、書物の挿絵で見たとおりの光景が広がっているのだろうか。
スロープでは、人馬や荷車が蟻のように上下していた。直径一カロルーテにもなる城と街を養うには、食料や生活必需品だけでも相当な量になるだろう。そしてそれらを運ぶ人足や御者たちは、身分が低くても円城内に立ち入ることができる。自分も入る方法を探そうとリリィは思った。




