2.流浪の少女 (4) ☆
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村は今、一触即発の空気に包まれていた。
通りの両側、測り金を当てたように、平行に村人たちが立ちすくむ。みな無言だ。そのあいだを、商いを終えた少女が引き揚げてゆく。臭気が漂う。顔をしかめ、鼻に手をやる者もいる。
少女が広場を過ぎた。緊張の糸が張り詰めた。やがて草に覆われた森の入口が彼女を迎え入れようとした時……ついに火花が散った。
「待て!」
誰かが叫んだ。それを合図に、鍬や棍棒を手にする男たちが並んだ。少女が振り返る。
「何のつもり?」
「貴様こそどういうつもりだ?いやそれ以前に何者だ!?」
少女は眉ひとつ動かさない。
「名はリリィ。東方から来た召喚士。ふた月ほど前から、森の中の小屋に住み着いている」
「召喚士だとぉ?」
男が下あごを突き出す。だが少女は相手にする様子もない。
「今日は商いに来ただけ。あなた方に用はないわ」
「そっちになくてもこっちにはある!」
鍬を手にした男が、農具を地に叩き付けた。
「お前のようなどこの馬の骨ともわからぬ臭い娘にウロウロされては迷惑だ!騎馬隊が村に立ち寄らなくなったらどうしてくれる!?」
二、三度瞬きするあいだ、少女は男を睨み続けた。それから背を向けた。彼女は手のひらを肩越しに見せた。
「私の知ったことじゃないわ」
「何だとォ!?」
男が激昂した。彼は手にしていた鍬を振り上げた。
「!!」
飛び散った土くれが少女の脚を叩いた。
事の推移を見守っていた村人たちは息を呑んだ。少女がまとっていたくたびれた布着、その左肩の部分が裂けた。見えぬ魔物が爪で抉ったように。赤黒いシミが、不気味な生き物となって周囲に広がる。
少女の爪先が土に食い込む。彼女はゆらりと振り返る。目は憤怒と憎悪に満ちている。その圧は、村人たちを震え上がらせるに十分だった。
「よくもやったわね……」
震える口元。彼らの方から挑みかかったにもかかわらず、今や男たちの足は後ろ向きに砂を擦っていた。
「な、何をする気だ……?」
少女が背からロッドを抜く。柄を鷲づかみにし、前に突き出す。そして怒りに歪んだ口元は、恐るべき力を解放する呪文を刻み始めた。
「ンガ スベア イム デクストラ アムト……」
陽炎のように、彼女の周りの空気が揺らめく。
「サント ベロア エンシール デライブ アントゥンガ……」
右腕から蒸気が上がる。
村人たちは、無論彼女の力を知らない。しかし曲がりなりにも召喚士の血を引く者たちだ。彼らは本能的に、少女の力が自らにとって破滅的であることを悟った。
「う、うわっ!」
男たちが背を向ける。その後ろ姿に、最後のフレーズが叫ばれようとした。
「ノーモーエンフラーム コ……」
「待ちなされ!」
致死の言葉が放たれようとした瞬間……
濁声が詠唱を断ち切った。
「おぬしの力を使ってはならぬ」
制止したのは長老だった。白いローブをまとい、節くれだった木の杖を手にしている。
「村の者を傷つけてはならんぞ」
歩を止めて対峙した老人の厳然たる口調。少女の腕が下がる。ロッドの先端が小石を噛む。
「私は傷つけられても、村の者は傷つけてはならんと言うわけ?」
容姿を見れば、まだ十二、三歳だろうか。だがその彼女が、何十年という人生の経験と英知の鎧をまとった年長者と対等に渡り合っている。
「見ず知らずのおぬしを傷つけてしまった村人の非礼は詫びよう。だが今おぬしが力を使えば、ここにいる者たちは皆殺しとなろう」
「……………」
長老の言葉に、村人たちは背筋を震わせた。少女は苦々しそうに彼を睨めつけていたが、やがて振り返り、森へと歩き出した。その背に長老が言葉を継いだ。
「確かにここは召喚士の村。だが今では、おぬしのような強力な術を使える者はおらん。それに……先ほどおぬしが唱えた呪文の中には、邪悪な言葉があった。ここはカタギ者の地。おぬしの住む土地ではない」
「……………」
少女が立ち止まった。向き直って凝視する。その目に浮かぶ憎悪。だがそれを形にすることはなかった。きびすを返すと、彼女は森へと消えていった。
悶着の根源が姿を消し、村の女子供たちもはけてひと呼吸、ふた呼吸……いからせた肩を下ろした長老が、がくりと膝を突いた。精も根も尽き果てたか。男たちが駆け寄った。
「長老!」
白髪の老人は、力ない所作で垂れた頭を上げた。彼は、少女が立っていた場所にうつろな視線を残していた。
「長老、今のは……?」
「噂には聞いていたが……まさかこの村にやって来るとは」
「誰なんです?」
「『悪の大魔導士』……半年ほど前、東方で数千の民兵を皆殺しにした魔導士の噂を聞いた」
「数千!?」
「そうじゃ……東国では『ゴヤ村の惨劇』と呼ばれておるようじゃがな。『東』の領主の子飼いの刺客じゃ。その後、力を恐れた領主が重装の私兵数百名を繰り出して始末しようとしたらしいが……これも瞬きするほどの間に、ひとり残らず殺されたと言う。恐らくその者じゃ」
彼の言葉に一同は絶句した。
「……あんな幼い少女とは知らなんだ。対峙したものはみな殺されたからな。その者がなぜこの村にやって来たのかはわからぬ。だが少なくとも……こちらから手を出さねば、村に危害を加えるつもりはないように見える」
その言葉が、村人たちにとってどれほどの慰めとなったか。それは男たちの表情が雄弁に物語っていた。
「よいか、このことは女子供には内密に。動揺させてはならん」
「……………」
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