1.船旅 ☆
■物語の舞台
マクベス公国の港町・クラナックから船に乗ったリリィたちは、ポートランダで大平原に降り立ちます。そこから馬車で北へ向かい、ヤクトで馬車を乗り継ぎ、ついに世界の中心・王都プルージャに入ります。
■登場人物
・リリィ
召喚士の少女。死霊を宿していた右腕と共に召喚能力を失うが、ロッドと剣の腕前は健在。失った『力』を取り戻すため、王都を目指す。
・ハル
アーチャーの少女。三本の矢を同時に放つ曲芸撃ちの名手。リリィのしもべとして、リリィの旅の伴侶となる。
・シール
たおやかな銀髪をもつ風使いの幼い少女。マクベス公国(旧マクベス国)の将軍の娘。リリィ、ハルと行動を共にするようになる。
・エステッカ
旅の途中にリリィが出逢った運び屋の女性。
・ランバート
仲買い業を営む中年男性。エステッカの仕事仲間。
・フォズ
小作農の男。ランバートの幼馴染。エステッカとも飲み友達。
■その他
・1ルート(複数形『ルーテ』)
距離の単位。約1.8メートル
・1カロルーテ
距離の単位。1カロルーテ=1,000ルーテ≒1.8キロメートル
・1ソータ(複数形『ソリタ』)
通貨の単位。約0.5円。ただし食料や日用品は、我々の世界より概して安価。
「抜いたらすぐに柄を両手でしっかり握って!格闘になったら敵わないのだから、懐に潜り込んでためらわずに一撃で決めるイメージで!」
「う、うん!」
「船の揺れに合わせるのも練習だから!膝と足首で重心を移動させて、甲板と自分を一体化させて!」
「むずかしいね!……」
甲板上、山積みされた木箱の隙間で、リリィはシールにダガーの使い方を教えていた。砕ける波音や帆のはためき、軋むロープの音、それらにかき消されまいとすると、声は自然と大きくなる。
そのリリィの声に促され、シールは腰を落とし、抜いては握って刃を突き出す動作を繰り返した。だが右に左に、前に後ろに翻弄され、安定して立つことすらままならない。リリィは背後に立ち、左手で姿勢を直す。倒れそうになると腕をつかみ、胸を抱いて支える。深緑のドレスに鮮やかな銀髪を重ねるシールの姿は、積み荷の岩間に咲く可憐な花のようだった。
リリィはロッドを持たず、剣だけを腰に提げていた。彼女の長い黒髪も、海風の中を心地よさげになびく。鼻腔をくすぐる潮の薫りは、リリィもシールも初めて嗅ぐものだった。
※
東方諸候領唯一の港町・クラナックで、リリィたちは王国行きの船に乗った。
マクベスは諸候領を統一し、通貨を王国のそれにそろえた。戦乱の収束に伴う経済の発展もあり、彼の国と王国とのあいだの交易は以前にも増して盛んになった。貨物船や、荷物と乗客を混載する貨客船が日を置かずに行き来する。それらの船は木造の帆船で、全長は小さいもので十ルーテ、大きなものでは三十ルーテを超える。そしてリリィたちを運ぶ貨客船『王国の誇り号』は、全長三十五ルーテ。かつて人が造った最大の船だ。三本のマストが誇らしげに蒼穹を突く。帆は沖からの風を受けて膨らみ、白波の立つ海面上、巨体を王国へと軽快に疾走させる。
※
「ハルはどこいったの?」
突いた姿勢を解き、腰の鞘に短剣を収めたシールが愛らしい仕草で首をかしげた。リリィは並ぶ木箱の隙間から反対側の舷側を示した。
「あっちでお魚さんにエサを撒いてるわ」
「うえぇ、早く降りてぇ……」と、聞き慣れた鼻に掛かる声が波音の隙間を縫って届く。その音と声を追い返すように、リリィが声を張り上げる。
「着くのはしあさってよ!頑張りなさい!」
「あぁぁ、朝メシがもったいねぇ……美味かったのに……」
「ぐあいがわるいの?」
心配そうなシール。リリィが説明する。
「『船酔い』って言って、人によってはこの揺れで気分が悪くなるの。私も船は初めてだったからどうかと思ったけど平気みたい。シールも大丈夫ね」
「うん!げんきだよ!」
少女の笑顔が弾ける。帆の間隙を縫って差し込む陽光に、銀髪が宝石のように輝く。
「ハルを見てくるね!」
シールは生まれたての獣のように、不器用にバランスを取りながら積み荷のあいだを進む。リリィがその後ろに続く。
その時だった。泉が水を噴き出すような音が海から聞こえた。沖合に白いしぶきが吹き上がる。
「な、なんなの!?」
シールが声を上げる。うずくまるハルに駆け寄り、船べりから身を乗り出す。
「なんか、おっきいのがうごいてるよ!!」
海上を指さしシールが叫ぶ。数ルーテほど離れたところに、白波を立てて進む何かがある。船と競うように並走する、巨大な物体だ。濡れて黒光りする艶やかな曲面が波間に浮かんだり沈んだり。そしてその中央、開いた小さな穴から再び水を噴き上げる。
「うわっ!」
叫ぶシールにリリィが歩み寄る。
「あれは、クジラね」
「くじら?」
「海に棲む大きな生き物よ」
その時、後方、離れた場所で波が弾けた。跳ねたしぶきが海面に戻るのと入れ替わるように、櫂を寝かせたような、巨大な物体が海面上に顔を出す。
「えええっ、あれがもしかしてしっぽ!?」
「そうよ」
そして今度は前方、ついにその生物が顔貌をあらわにする。あごを天に突き出し、咆哮するかのごとく開く。
「うわわわわ!大きなお口!」
二度、三度、人の造りしものの不器用な泳ぎを嗤うように示威した海の王者は、やがて海中へと没した。
「海ってすごいね!船とおんなじくらいの大きさだったよ!」
シールはまだ目を真ん丸に開いている。『船と同じくらい』と言うのは全くの誤認で、実際は半分もなかろう。だが彼女には、その生物がそれほど巨大に見えたに違いない。子供らしい反応にリリィは微笑んだ。
「沖に行くと、もっと大きな魔物がいるらしいわよ」
「まもの?」
「ええ。それは本当にこの船より大きくて、大きな口でバリバリと、船ごと乗っている人間を食べてしまうらしいわ」
「いやっ、こわい!」
シールが両手で頭を抱えた。作り話でもなんでもなく、文献で読んだ内容だったのだが、ちょっと脅かしすぎたか。縮こまる姿が哀れになり、リリィはシールの髪を撫でた。
「大丈夫、こんな陸地の近くに魔物は出ないわ」
「ほ、ほんと?」
「本当。だから心配しないで」
「う、うん……」




